昨晩、私が上海に到着したとほぼ同時に中国共産党中央政治局から発表されたのが、令計劃・前党中央統一戦線工作部長が収賄などの規律違反で党籍を剥奪され、司法機関に移送されたことだった。周永康・前党中央政治局常務委員、薄熙来・元重慶市党委書記と組んで習近平政権の転覆を企てた政治連盟3人のすべてが裁かれることになった。詳細は文藝春秋8月号に書いたので省略する。
令計劃は胡錦濤前総書記に抜擢され秘書役の党中央弁公庁主任を務めた。中国において政治家と秘書は一心同体であり、胡氏が令氏を登用した政治的責任は逃れることができない。秘書の不祥事とそれをかばいきれなかった二重の意味で胡氏のメンツは丸つぶれとなり、次期政権人事では事実上、発言権を失った。
胡氏から令氏へと連なる共青団(共産主義青年団)出身者の評価も地に落ちた。共青団は党官僚の養成機関だ。令氏の妻、谷麗萍は共青団が主管する全国青少年宮協会の副会長などを歴任し、起業支援の基金を中核とした公益団体「中国青年創業国際計画」の発足に参加し、副理事長に就任した。令氏は妻の経済活動に便宜を図った問題も問われ、谷氏は収賄の共犯として名を挙げられている。
興味深いのは、党中央政治局の決定の中で、令氏が反党的な「政治規律」のほか「政治規矩」に著しく違反したと断罪されたことだ。規律は党章や党内規則など明文化されたものであるのに対し、規矩は戦争と革命を経た党組織の中で長年にわたって築かれてきた不文律である。鉄の結束を固め、仲間を裏切る者を排除する、いわば「組織の掟」だ。過去の処分決定で「政治規矩」という表現が使われた例は寡聞にして知らない。
周永康や薄熙来、令計劃の政治連盟を「非組織政治活動」と認定したことと軌を一にしているとみてよい。出身地や友人関係などによって派閥を作り、組織のルールを守らず、派閥の利益を追求する活動を指している。利益が衝突すれば分裂の危機が生じる。党内では毛沢東以来、派閥間の権力闘争を繰り返し、庶民が巻き添えになって国全体に大きな災難をもたらした反省から、分派行動を極力警戒する。
習近平総書記に権限を集中させ、その他の政治勢力を抑えつけようというのが今日の状況だ。異論をはさむ者はたちどころに排除される。人間関係を重んじる中国人社会においては、法よりも明文化されていない「掟」の方が重んじられる。法に裁かれてもやり直しがきくが、人に見捨てられた生きてはゆけない。それを堂々と言ってのけられるのは、紅二代ならではの気質だ。彼らは自分たちこそ党の優良な伝統を受け継ぐ正統だと信じて疑わない。紅二代による共青団の摘発は、官僚主義の打破という政治目的にも通じている。
だが、掟による制裁は、一方で反腐敗の制度化、法制化を進めることと矛盾しないのだろうか。習近平氏や王岐山氏に聞けば、「掟をルール化するのだ」と答えるに決まっている。だが、「政治規矩」の根本にある思想、つまり明文化されていない血肉化されたからこそ結束の中心となるという、掟の掟たるゆえんを否定することになりはしないか。ルールができた途端、抜け道を探る人が現れる。これは中国の法治建設が容易に抜け出すことのできない命題、かつ「迷題」だと思う。
令計劃は胡錦濤前総書記に抜擢され秘書役の党中央弁公庁主任を務めた。中国において政治家と秘書は一心同体であり、胡氏が令氏を登用した政治的責任は逃れることができない。秘書の不祥事とそれをかばいきれなかった二重の意味で胡氏のメンツは丸つぶれとなり、次期政権人事では事実上、発言権を失った。
胡氏から令氏へと連なる共青団(共産主義青年団)出身者の評価も地に落ちた。共青団は党官僚の養成機関だ。令氏の妻、谷麗萍は共青団が主管する全国青少年宮協会の副会長などを歴任し、起業支援の基金を中核とした公益団体「中国青年創業国際計画」の発足に参加し、副理事長に就任した。令氏は妻の経済活動に便宜を図った問題も問われ、谷氏は収賄の共犯として名を挙げられている。
興味深いのは、党中央政治局の決定の中で、令氏が反党的な「政治規律」のほか「政治規矩」に著しく違反したと断罪されたことだ。規律は党章や党内規則など明文化されたものであるのに対し、規矩は戦争と革命を経た党組織の中で長年にわたって築かれてきた不文律である。鉄の結束を固め、仲間を裏切る者を排除する、いわば「組織の掟」だ。過去の処分決定で「政治規矩」という表現が使われた例は寡聞にして知らない。
周永康や薄熙来、令計劃の政治連盟を「非組織政治活動」と認定したことと軌を一にしているとみてよい。出身地や友人関係などによって派閥を作り、組織のルールを守らず、派閥の利益を追求する活動を指している。利益が衝突すれば分裂の危機が生じる。党内では毛沢東以来、派閥間の権力闘争を繰り返し、庶民が巻き添えになって国全体に大きな災難をもたらした反省から、分派行動を極力警戒する。
習近平総書記に権限を集中させ、その他の政治勢力を抑えつけようというのが今日の状況だ。異論をはさむ者はたちどころに排除される。人間関係を重んじる中国人社会においては、法よりも明文化されていない「掟」の方が重んじられる。法に裁かれてもやり直しがきくが、人に見捨てられた生きてはゆけない。それを堂々と言ってのけられるのは、紅二代ならではの気質だ。彼らは自分たちこそ党の優良な伝統を受け継ぐ正統だと信じて疑わない。紅二代による共青団の摘発は、官僚主義の打破という政治目的にも通じている。
だが、掟による制裁は、一方で反腐敗の制度化、法制化を進めることと矛盾しないのだろうか。習近平氏や王岐山氏に聞けば、「掟をルール化するのだ」と答えるに決まっている。だが、「政治規矩」の根本にある思想、つまり明文化されていない血肉化されたからこそ結束の中心となるという、掟の掟たるゆえんを否定することになりはしないか。ルールができた途端、抜け道を探る人が現れる。これは中国の法治建設が容易に抜け出すことのできない命題、かつ「迷題」だと思う。