行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

古い体質を抱えた中国共産党が最も嫌うのは「掟破り」

2015-07-21 18:08:57 | 日記
昨晩、私が上海に到着したとほぼ同時に中国共産党中央政治局から発表されたのが、令計劃・前党中央統一戦線工作部長が収賄などの規律違反で党籍を剥奪され、司法機関に移送されたことだった。周永康・前党中央政治局常務委員、薄熙来・元重慶市党委書記と組んで習近平政権の転覆を企てた政治連盟3人のすべてが裁かれることになった。詳細は文藝春秋8月号に書いたので省略する。

令計劃は胡錦濤前総書記に抜擢され秘書役の党中央弁公庁主任を務めた。中国において政治家と秘書は一心同体であり、胡氏が令氏を登用した政治的責任は逃れることができない。秘書の不祥事とそれをかばいきれなかった二重の意味で胡氏のメンツは丸つぶれとなり、次期政権人事では事実上、発言権を失った。

胡氏から令氏へと連なる共青団(共産主義青年団)出身者の評価も地に落ちた。共青団は党官僚の養成機関だ。令氏の妻、谷麗萍は共青団が主管する全国青少年宮協会の副会長などを歴任し、起業支援の基金を中核とした公益団体「中国青年創業国際計画」の発足に参加し、副理事長に就任した。令氏は妻の経済活動に便宜を図った問題も問われ、谷氏は収賄の共犯として名を挙げられている。

興味深いのは、党中央政治局の決定の中で、令氏が反党的な「政治規律」のほか「政治規矩」に著しく違反したと断罪されたことだ。規律は党章や党内規則など明文化されたものであるのに対し、規矩は戦争と革命を経た党組織の中で長年にわたって築かれてきた不文律である。鉄の結束を固め、仲間を裏切る者を排除する、いわば「組織の掟」だ。過去の処分決定で「政治規矩」という表現が使われた例は寡聞にして知らない。

周永康や薄熙来、令計劃の政治連盟を「非組織政治活動」と認定したことと軌を一にしているとみてよい。出身地や友人関係などによって派閥を作り、組織のルールを守らず、派閥の利益を追求する活動を指している。利益が衝突すれば分裂の危機が生じる。党内では毛沢東以来、派閥間の権力闘争を繰り返し、庶民が巻き添えになって国全体に大きな災難をもたらした反省から、分派行動を極力警戒する。

習近平総書記に権限を集中させ、その他の政治勢力を抑えつけようというのが今日の状況だ。異論をはさむ者はたちどころに排除される。人間関係を重んじる中国人社会においては、法よりも明文化されていない「掟」の方が重んじられる。法に裁かれてもやり直しがきくが、人に見捨てられた生きてはゆけない。それを堂々と言ってのけられるのは、紅二代ならではの気質だ。彼らは自分たちこそ党の優良な伝統を受け継ぐ正統だと信じて疑わない。紅二代による共青団の摘発は、官僚主義の打破という政治目的にも通じている。

だが、掟による制裁は、一方で反腐敗の制度化、法制化を進めることと矛盾しないのだろうか。習近平氏や王岐山氏に聞けば、「掟をルール化するのだ」と答えるに決まっている。だが、「政治規矩」の根本にある思想、つまり明文化されていない血肉化されたからこそ結束の中心となるという、掟の掟たるゆえんを否定することになりはしないか。ルールができた途端、抜け道を探る人が現れる。これは中国の法治建設が容易に抜け出すことのできない命題、かつ「迷題」だと思う。


本を書き終え 慣れ親しんだ上海へ

2015-07-21 00:54:33 | 日記
20日夜の便で上海に到着した。すでに10時を回っていた。夜気は湿気を帯びているが、肌にまとわりつくような感じはない。東京のムッとする熱気はない。一か月以上離れていたが、違和感なく町に溶け込むことができた。

帰国してから本一冊の原稿を仕上げた。自分の記者生活、特に中国特派員としての生活を総括する内容である。外からはうかがい知れない、稀有な経験が描かれている。私にとっては決して愉快な思い出ではないことが多いが、読売新聞のため、日本のメディアのため、民主主義の発展のため、世間に公表すべきと判断した。以前、上司に「墓場まで持っていくつもりはない」と言った、その時が来たのである。

この本は私の新聞記者としてのけじめになるものである。これまで後ろを振り返らず、前のめりになるぐらい走り続けてきた。「生き急ぐ」とはこのことかとも感じた。初めて過去を振り返ったが、最初ははるか昔のような出来事に感じられたことが、反省を深めるうち、現在的意味を持って生き生きとよみがえってきた。過去への反省が新たな一歩への土台になるのだと知った。この本が出なければ前に進むことができない。どうしても通らなければならない道なのだ。

上海行きは一つのけじめをつけたことへの記念と言える。慣れ親しんだ上海の町は私を拒まず、自然に受け入れてくれたようだ。ホッとしたら眠気が襲ってきた。機上で飲んだワインがきいてきたのか。シングルモルトに手を出す元気はない。今は心を空っぽにして、この町に身を託してしまおう。

なぜ200人以上の人権派弁護士らが一斉拘束されているのか

2015-07-20 13:00:40 | 日記
7月10日の金曜日以降、中国で人権擁護活動を進めてきた「北京鋒鋭弁護士事務所」の関係者が相次ぎ連行、拘束されている。すでに釈放された者もいるがその数は200人を超えると報じられている。日本の報道による限り、習近平政権による「社会の安定」を目的にした人権弾圧運動ということになるが、公式な発表もなく真相は不明だ。こういう時にこそ北京に駐在する記者の真価が試される。大いに奮闘を期待したい。

私が注目するのは二点である。憲法による権利擁護運動を広めようとした憲法学者の許志永氏が2014年、投獄されて以来、横断的な人権活動に対する習政権の態度は明確だが、どうしてこの時期なのか。一つは7月1日に施行された国家安全法、そしてもう一つが9月3日に予定されている抗日戦争勝利70周年記念日での軍事パレードだ。

旧国家安全法は1993年に制定されたが、2014年11月1日、反スパイ法の施行により失効した。新国家安全法は罰則のない総括的な法律で、第一条に「中華民族の偉大な復興を実現する」ことを法制定の目的として挙げた最初のものではないかと思われる。当然、習近平氏が執政後、打ち上げたスローガン「中国の夢」を反映している。そして、反腐敗によって権力を掌握した習氏にとって、「中国の夢」を担う強いリーダーを内外に示すセレモニーが軍事パレードである。

この二つの出来事の間で起きた人権弾圧は、国家と民族の利益を前面に出し、それを乱しかねない個人の権利や外国の干渉を制限する姿勢を示したものにほかならない。とすれば、民主と科学を訴えた近代の五四運動以来、中国の民主化運動が常に直面し、挫折してきた「愛国か、民主か」という問いかけを、現政権が改めて突きつけているとみることができる。

中国の対日関係においてこれをみれば、抗日戦争を通じた「愛国」のために犠牲となった「民主」という図式が、被害者感情を克服し戦勝国の自信に支えられた「愛国」によって「民主」を抑え込もうとする図式に取って代わったことになる。「愛国」の前で多くの中国人はひれ伏すしかない。この点、日本の対中強硬姿勢や歴史認識論争は、中国の「愛国」を強化し、結果的に「民主」を抑圧する効果を持つことに留意する必要がある。

この「愛国」と「民主」のジレンマに向き合うのが、かつての日本と同様、中国の知識人にとって大きな課題となっている。ノーベル平和賞の授賞式で読み上げられた劉暁波氏の一審最終陳述「私には敵はいない」はこうある。

「恨みや憎しみは個人の知恵や良知を腐らせ、敵対意識は民族の精神に害悪をもたらし、食うか食われるかの残酷な闘争を扇動し、社会の寛容と人間性を破壊し、国家が自由と民主に向かうプロセスを邪魔する。だから私は、自分が遭遇した事柄を乗り越えて国家の発展や社会の変化をとらえ、最大の善意をもって政権の敵意に向き合い、愛によって恨みを解きほぐしたいと望んでいる」

今年の2月、北京で行われた「東方歴史サロン」で日中関係に関する座談会に参加した際も、中国知識人の苦悩に接した。万聖書園創業者の劉蘇里氏がまとめの言葉で、「中国人が持っている抗日戦争の被害者感情は、我々がまだ乗り越えられていない課題だ」と話した。彼は私とほぼ同世代の戦争を知らない60年代生まれだ。私はその場で「それは中国人だけでなく、日本人も共有しなければならない課題だ」と話したが、昨今の状況を前にしてその課題の重さを痛感している。

日本のメディアにあふれる中国脅威論を目にするたび、私はこうした知識人の良心を思い、胸を痛める。東京本社の空気を読先読みし、型にはまった原稿を流れ作業のように処理している北京特派員たちは、時に劉暁波氏の最終陳述を読み返し、ペンを持つ者の良心を知るとよい。


新聞法を毛嫌いする日本と 新聞法を求める中国

2015-07-19 04:37:28 | 日記
『炎黄春秋』6月号の続きである。71歳になる孫旭培氏が「新聞立法の道」を寄稿している。孫氏の同テーマに関する論文掲載は初めてではない。この機に袁偉時氏の巻頭言と合わせて取り上げたのは、主力編集者が追われ、存亡の危機に立たされている同誌の精一杯の意思表明だと思える。

 中国で新聞立法制定を求める理由は、党宣伝当局の報道規制を前提としつつ、恣意的、人為的な介入を排除し、一定のルールに基づく透明性を担保するのが目的だ。電話や口頭で示され、証拠の残らない記事削除や修正の指示では、対抗手段を取りようがない。人事権をちらつかせ、個人的な力関係による介入ではなく、みんなの目に触れ、チェックを受ける手続きにしようというのである。いわゆる報道禁止のネガティブリストを作り、そこに記載のないものは自由にする行政権限の限定化、効率化を図る趣旨だ。

習近平政権が進める法治社会建設の改革にぴったり沿った発想のはずだが、「報道の自由」と聞いただけで震えあがる保守派が宣伝部門を牛耳っているだけに、容易には進まない。6月末をもって楊継縄氏が『炎黄春秋』を去った背景にも、高齢や古巣の新華社通信幹部への配慮など表向きの理由のほか、外からはうかがい知れない不当な圧力が加わった可能性が大きい。だからメディア管理の法制化が必要なのだ、と孫氏らは考えている。

孫氏の同論文は、多額収賄で2000年死刑になった胡長清・元江西省副省長が反省文の中で、「もし江西省のメディアが、アメリカの記者がクリントンのスキャンダルを報じたように私の不正を暴いてくれたら、死刑になるまで落ちることはなかった」と嘆いたとされる話を引用し、報道の自由による腐敗の監督機能をアピールしている。社会の安定を理由にした報道規制が、結果的に腐敗を放置することになってしまったというのだ。この当たり前の視点は、対症療法の摘発にばかり力を入れる現政権に改めて聞かせたい。

孫氏は元人民日報記者で中国社会科学院新聞研究所所長などを歴任し、1980年代の趙紫陽総書記時代、報道の自由を保障する新聞法の草案作成にかかわった。1989年の天安門事件で立案作業がストップしたが、まだ信念は捨ててはいない。2013年には国内で発行が禁じられた『中国における報道の自由』の日本語版を桜美林大学北東アジア総合研究所から刊行した。その後、当局から相当の嫌がらせがあったと聞く。

今回の寄稿では、従来の草案にない三項目が追加提案されているが、中でも目を引くのが、発行の主管単位を置かず、自主経営による新聞発行の権利を認めるよう求めている点だ。主管単位はその刊行物に応じた規模の党・政府機関にしなければならないと決められているので、編集権が大幅に縛られる。新聞発行の権利を拡大することは、主管単位の変更によって窮地に追い込まれている同誌への強力な援護射撃となる。

一方、日本は戦前の新聞紙条例や新聞法が無制限な検閲を招いた苦い経験から、新聞法と聞いただけでたちまちアレルギー反応が現れる。憲法21条で認められた「言論の自由」と「検閲の禁止」、その延長線上にある「知る権利」が報道の自由を支えており、判例の積み重ねによって自由の中身に一定の枠がはめられてきているのが現状だ。その他、業界や各メディアの自律的、自主的なチェックや、限定的ではあるが第三者による監督も受け入れ、権力による介入を排除する努力が払われてきている。

だが問題は自己チェックの限界である。自分で自分を監督することが至難であることは言うまでもない。権力について言えば、それを制限するために法があり、メディアによる監督システムがある。個別の規制法を持たず、自己規制をしなければならない日本の新聞社には二つのリスクがある。手ぬるい監督と過剰な自己規制である。いずれも第三者の目がないために起こる悪弊だ。

権力の規制を受け入れる中国メディアと自律的な監督責任を負う日本メディア。制度的にはまだ独り立ちしていない子どもと、成長した大人の違いがあるように見受けられるが、国情も社会の発展段階もすべて相対化してしまえば、求められる価値観は「透明性」に尽きるのではないかと思う。それは情報公開制度や知る権利の核心である。社会の不正義はみなブラックボックスの中から生まれる。

歴史の真相が明らかになることをおびえる人たちは『炎黄春秋』を攻撃する、と楊継縄氏は離別の辞を残した。民主、自由、法治・・・どこの国にもこうした政治スローガンがあふれている。だが「透明」という言葉はその用語集から漏れていることが多い。人の心も同じではないか。心の透明な人と会ったとき、うれしく、喜ばしく、快く感じた経験は、だれしも持っているのではないだろうか。逆に自分のあずかりしらないところで、自分にとって重要な事柄が決まっているとしたら、疎外感、徒労感、ひいては絶望感に襲われるに違いない。






歴史の真相は それを知りたくない人を恐れさせる

2015-07-17 14:49:59 | 日記
『炎黄春秋』の6月号は、巻頭の「一家言」に中山大学の袁偉時教授が「法治国家建設の障害」という論文を寄せている。袁教授は学問の独立を主張し、共産党史観の中で愛国的革命行為とされている義和団事件を「盲目的な排外主義だ」と批判する骨のある学者だ。2006年、『中国青年報』の付属週刊紙『氷点週刊』が袁教授の論文を掲載したために党中央宣伝部から停刊処分を受け、李大同編集長が解任される氷点事件も起きている。

 「一家言」に掲載された袁論文は、昨年来、体制側インテリが西側の民主主義思想を敵対勢力とみなし、階級闘争の継続を主張している現状への危惧を表明したものだ。特に、中国社会科学の王偉光院長が2014年9月、『紅旗文稿』で「国内の階級闘争が終わることはない」と主張した文章をやり玉にあげた。階級闘争を肯定すれば、法の前の平等は否定される。時代錯誤の階級闘争論が堂々と大手を振って登場していることに対し、真っ向から異議を唱え続けているのは『炎黄春秋』のみである。

袁教授は「学術や思想文化の分野においても、自由がなければ新たな創造も生まれない」とし、官僚がこの領域に介入することが「中国人に奴隷根性を植え付け、小さいころから人の顔色をうかがい、小さなことにびくびくすることに慣らされる。創造力を奪い、活力を失わせること甚だしい!」と憤慨する。締めくくりの言葉は以下の通りだ。

「国家と公民の前途と利益を思えば、断固たる決心をしなければならない。誤った理論を糺し、権力行使を制限し、真に憲法と法律を至上とする考えを中国に根付かせ、中国の安定と発展に堅固な基礎を打ち立てるべきだ」

このメッセージは日本に置いてもなんら違和感はない。中国を対岸とみるのではなく、ともに弱りかけた日中の知識人が相互に手を結ぶ意義がここにある。

『炎黄春秋』で12年間、副社長として主要な編集業務を担い、6月30日をもって不本意ながら同誌を離れざるを得なかった楊継縄氏が、「孔子春秋をなして、乱臣賊子懼る」(孔子が歴史書の『春秋』で善悪の基準を定めたため、悪人たちはその道徳に縛られ、悪さができなかった)と孟子を引用し、別れの言葉を残している。

「『炎黄春秋』は歴史の真相を明らかにし、真相が暴かれることを恐れる人たちは恐怖を抱いてきた。このため『炎黄春秋』はしばしば少数派の罵声を浴び、攻撃を受けてきた。だが罵声や攻撃は『炎黄春秋』を半歩も退かせることができなかった」


楊氏は元新華社通信記者で、『墓碑』(邦訳名・毛沢東 大躍進秘録)などの名著を数多く残している。歴史を記録することはジャーナリストの使命である。理想を捨てていない老記者のメッセージもまた、日中で共有すべきである。

『炎黄春秋』6月号には報道の自由を訴え続けている孫旭培氏の「新聞立法の道」もあるが、これについては後日、改めて紹介したい。