片山修のずだぶくろ Ⅰ

経済ジャーナリスト 片山修のオフィシャルブログ。2009年5月~2014年6月

<片山修の執筆のお知らせ>

2012-02-06 17:46:11 | お知らせ

『DIME』(小学館)4(2月7 日発売)
「『東京スカイツリー』誕生秘話
六三四に挑む Vol.5 鋼管」
pp.106-108

執筆いたしました。
今回は連載第5回目です。

また、
『潮』(潮出版社)3月号(2月5 日発売)
「特別企画  『復興』を、前へ!」
「復興のカギとなる“スマートハウス”構想」

執筆いたしました。
是非、ご一読ください。


「日本のお宝技術」炭素繊維は世界へ! 後篇

2012-02-06 17:41:51 | 社会・経済

東レ炭素繊維の研究に着手したのは、
かれこれ
50年以上前、1960年代のことです。
当時、プロジェクトは
“黒い飛行機をつくろう”を合言葉として、
“クロウ(からす)プロジェクト”と呼ばれていました。
炭素繊維をめぐっては、
欧米の名だたるメーカーと、
開発競争
が繰り広げられました。
しかし、
多大な設備投資が必要なことに加え、
大量生産が困難で、実用化のメドがなかなか立ちません。
開発途上で、多くの世界企業が脱落していきました。
あの
デュポンですら、炭素繊維から撤退しました。

東レの炭素繊維が初めて実用化されたのは、1973です。
ボーイングが旅客機の内装の一部に採用したのです。
そこから、
フラップや方向舵などに採用されるにいたるまで、
さらに10年かかりました。しかし、その後、炭素繊維は躍進します。
今日では、
新型旅客機「B787」の機体重量の半分以上を、
東レの炭素繊維が占めているのです。
東レは、ボーイングに、2021年まで、
製品を独占的に供給する契約を結んでおり、
受注金額は60億ドルです。
炭素繊維は、まさに、東レを担う戦略事業に成長しました。

08
年、当時
東レ社長だった榊原定征氏にお会いしたとき、
こんな話を聞かせてくれました。
デュポン会長兼社長だったチャールズ・ホリデーさんは、
『あなたの会社がうらやましい。私の仕事の7割は
ウォールストリート対応です』
といっていました。
わが社には、
イノベーションを起こすまで踏ん張る忍耐強さがありました」

実際、
東レが長い開発期間の末に、炭素繊維を世界で初めて実用化できたのは、
長期的スパンで研究開発を続ける、忍耐力があったからです。
もともと、日本企業は
長期的視野に立った経営が得意といわれます。
炭素繊維はもとより、太陽電池や、燃料電池、
リチウム電池、高性能磁石
など、
日本がこつこつ取り組んできた
基礎研究が、
長い研究開発期間の末に、
世界的な競争力をもつ
例はたくさんあります。
東レは、日本企業のなかでも、
基礎研究を重視する傾向が強い企業だと思います。
基礎研究の重要さも、十分に知っているに違いない。

その
東レが、前回に述べたように、韓国に炭素繊維の生産拠点を置き、
中国の研究所に技術者を重点配置する
ということは、何を意味するのか。
コア技術は、日本国内にとどめておく自信があるのか。
それとも、
グローバル時代、
ニーズのあるところで開発・生産するのは当然
なのか、
はたまた、
日本の環境がそれほど悪化しているのか。
どの理由も、当てはまるといえるのではないでしょうか。
企業が、
生き残りをかけて生産・開発拠点を海外に移すのは、
経営的な視点からいえば、理に適ったことなのは間違いありません。