戦前、無名だった日本のクラシック界が戦後、突如として世界の一流国になるのはひとえに桐朋学園のおかげであった。
1948年、東京の市ヶ谷で、子どものための早期音楽教育を行なっていた。
優秀な生徒も多かったが中学生になると高校受験のために辞めるケースが少なくなかった。
これを残念に思う声が高まり、桐朋女子高校の校長が英断を下して、1952年、女子校内に男女共学の音楽k科を1クラスつくったのだ。
ただし、音楽の先生に払う給料がなかった。そのため、音楽の授業は生徒がそれぞれの先生の家に出向くスタイルにした。謝礼は先生の格と実力に応じて、生徒がそれぞれ支払う。
先生はみな自宅に音楽室があるから、学校に音楽室をつくる必要もない。
見込みのある子は、入試の点数が低くても合格にした。英語で39点の子を「逆さにすれば93点」と言って通したという伝説もある。
こうして、日本から小澤征爾氏をはじめ一流の音楽化が続々と輩出するようになった。
その後、文部省が、先生が学校で教えるように指導した。
だが、先生を常駐させ、音楽室などの設備をつくっていけば、
費用がかかり、授業料がたかくなり、生徒を集めなくてはならないということになる。
その結果、かつてのようなレベルを維持し続けることが難しくなってしまった。
文部省が、日本の独特なエリート音楽教育システムを潰したのである。
かつての桐朋学園のような教育を、他の教科でも行なうようにすれば、
日本はどんなにか才能が輩出する国になるだろう。
学校に設備がなくても、勉強ができる学科はたくさんある。
先生の自宅に行って、個人的に学んだ方が向く分野もある。
内容に応じてバリエーションを持たせればいい。
(松下幸之助が描いた21世紀の日本 PHP)
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