花咲あさひ の 心神とともに。古神道と和の仕組の復活への道

感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び・怒りあと1つの心柱は?
観世音菩薩は裸足で山を飛び出して行きました。

白山比咩神社と平泉寺白山神社

2017年12月16日 07時33分14秒 | 結びの心柱

こんにちは。上の写真は,日本三大霊峰として有名な北陸地方に御鎮座される白山です。 ここ北陸地方には白山をお祀りする大きな神社が4社ありますが,その内,今日は石川県にある白山神社の総本宮でもある白山比咩神社と福井県にある隠れた秘境の平泉寺白山神社を過去記事を通じて紹介させて頂きます。平泉寺白山神社は本当に隠れた秘境で超古神道に通じる神社です。

国史跡 白山平泉寺紹介サイト http://heisenji.jp/

昨日の祈りを忘れた宗教家 ~剣を箒にかえて~ 1の続きを書かせて頂こうと思いましたが,仕事が忙しく間に合いませんでした。

以下は「2016.11.22」に掲載した白山の神様と白山比咩神社の思い出 1過去記事です。

こんにちは。今朝,福島県沖にて津波を伴う大きな地震が発生してしまいました。活動期に入った日本の国土,これから何があっても慌てることなく普段の生活の中で出来うる防災意識と個別に出来る対策は怠らない様にしたいと思います。又,以前からブログでもご紹介させて頂いている災害時要援護者の概要を是非,御自身が住む自治体で確認して頂きたいと思います。災害はいつ,どこで発生するか解りません。自分が当事者になってしまった場合,必ず助けに来てくれるという精神状態と助けに来てくれるかどうか解らない精神状態とでは雲泥の差が実際の災害現場ではないかと思います。不安の中で救助を持つ身になれば判ることでもあります。

さて,今日は,原始より人々により厚く崇敬され続けている北陸地方に御鎮座されます白山とその白山を御神体としてお祀りしている神社について書かせて頂きたいと思います。私もちょうど,4~5年程前に寺院の本堂を復興する為に,柱となる原木の買い付けの為,石川県,福井県,岐阜県,富山県の北陸4県の木材市場や森林組合へ月一度の間隔で出張していた時期がありました。いま振り返ると懐かしい思い出でもあり,現地の方々には本当に基礎から勉強させて頂き感謝しております。又,出張のそのたびに,各県に御鎮座される白山神社へ参拝させて頂いておりました。その中でも,前にこのブログでもご紹介させて頂いたことのある福井県勝山市の平泉寺白山神社は私がとても気の合う神社でもあり,皆さまにも是非,知って頂きたいと思っている数少ない神社の一つです。

あれ程の神域を未だに保持する神社であるのに以外と平泉寺白山神社は神社仏閣巡りが好きな人たちの間でもあまり知られていない神社で,実際,私の知人にも紹介しましたが平泉寺白山神社の存在を知りませんでした。ですが,その後,知人が参拝させて頂き,帰宅後,あの神社は,私が参拝した神社の中では一番気の良い場所だったと話されておりました。ただ,この時期から2月までは雪の影響で参拝は,雪に慣れていない人は危険だと宮司さんから注意喚起されたようです。確かに,そのとおりです。そのことを知らず,私は以前,冬の真っただ中の時期に参拝したことがありますが,長い参道すべて雪化粧で何も見えませんでした。遙か先にある鳥居を目印に参拝したことがあります。また,雪解け時期に参拝させて頂きたいと思っています。隠れた秘境だと想っています。

そして,仕事の任務も終了し,業務では行くことのなくなった北陸へは,その後も白山を御神体とする神社を参拝することは,私にとっての楽しみの一つでもあります。特に御神体である白山を遠方から遥拝すると御神体からではないですが,ほぼ必ずと言って良いほど虹の柱や虹が出て来ます。白山は御存知のとおり日本の三大霊峰ひとつでもあり,霊峰白山を御神体とする原始信仰の聖地であった場所です。又,白山は名水でも有名で曹洞宗の大本山でもある永平寺では白山の名水を御神水としてお祀りされております。白山神社の総本宮は石川県の白山市に御鎮座される白山比咩(ひめ)神社ですが,私がはじめて白山比咩神社へ参拝させて頂いた時の思い出はとても印象に残っています。早朝,6時頃に到着して駐車場で待機しているともの凄い雨と雷が鳴って来ました。

その勢いはあまり経験したことのないような凄い雷で,車から出ることも躊躇するくらいのものです。しばらくして,雨も小雨になり,雷も過ぎ去ったようなので車を降りましたが,その瞬間に,私の頭上で凄い勢いの雷が鳴り響き,どこかすぐ近くに落ちたような感じがしました。咄嗟に,また車に乗り込み天候の様子をうかがいながら表参道の入り口,一の鳥居から参拝をはじめました。

しかし,その表参道から続く石がとても柔らかく感じるのです。あの感覚はなんだったのか今でも解りませんが,フワフワしている感じで歩きやすくあっという間に手水舎に到着した思い出があります。又,その表参道の途中でピヨピヨと鳴きながら私と並行して参道を進む感覚もありました。その時の私の直感ですが,直ぐに天狗だと解りました。参道の両脇に立つ杉並木を渡っています。この白山比咩神社を太古から守り続けている天狗さんです。その天狗さんが私の後を追ってくる理由は,私の以ているものに関係しているようです。それは,白山の神様へ奉納させて頂く為に持参した「御酒」がお目当てなのでした

それもそのはず,さすがは白山を守護されている天狗さんであります。私が持参したその御酒とは,東北地方の蔵元で貯蔵された生しぼりです。天狗さんにとっては天下の生しぼりですからたまらなかったのではないでしょうか(笑)ちょうど,この時期に蔵出しされている南部美人の生しぼりと云う名酒です。とても美味しい御酒です。数量に限りがあるので売り切れ御免であります。

つづく。


  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝 


祈りを忘れた宗教家 ~剣を箒にかえて~ 1

2017年12月15日 00時00分00秒 | 怒りの心柱

 こんにちは。今日は,過去記事の紹介ではありません。

さて,先日は,東京の下町に御鎮座されます神社で,悲惨な事件が起きてしまいました。あの神社地域は,深川と云って東京大空襲の爆心地(中心地)であった場所です。焼け野原となった東京下町の復興を象徴する神社として戦後の下町を支え続けて来たのです。又,大相撲の発祥の地ともされ,地元や東京下町の人々で大いに賑わう御神輿「深川祭」でもとても有名な神社なのです。

先ずは,亡くなった方々の御冥福をお祈り致します。

神社や寺院は,宮司や住職の個別の所有物ではありません。私は神社や寺院の護持やマネジメントをさせて頂く仕事をしていますので「個別の所有物」と考えている宗教家がいることは真に残念なことであります。その様な基本的な事を忘れ,私利私欲に走り,氏子や崇敬者,檀家や信徒のことよりも自分のことを先ず優先させる身勝手さに言葉もありません。

今回の悲惨な事件となった神社を篤く崇敬し,信仰の対象とされて来た参詣者の気持ちを考えると虚しい気持ちにもなってしまいます。もしも,自分が同じように崇敬する神社であのような事件が起きてしまったら凄く悲しいことです。ただ,当該宗教法人の責任役員や総代会のメンバーは別です。神社や寺院の責任役員や総代会のメンバーになるということをこれを機に学ぶべきです。

とにかく神社や寺院の「護持」とは何か?を考えて頂きたいと思います。護持が機能していればと思うばかりです。

護持と云う言葉もあまり聞いたことがないかも知れませんが,護持には主に3つあり,氏子や崇敬者,参拝者における護持。これが1つ目。神社や寺院に建つ礼拝施設などの護持。これが2つ目。そして神社や寺院の運営「経営」の護持の3つです。この3つの護持を総称して「祭祀」と云います。たとえば,神社の境内に落ちているゴミを拾う。これも立派な祭祀ですし,護持であります。

したがいまして,護持と云うのは過去何千年と私たちの祖先が続けて来たものです。

私も業務で神社や寺院のさまざまな起案をしますし,計画の立案もします。そして,責任役員会や総代会へ出席して先の3つの護持について議論をします。中には1つの事柄で200回以上のカンファレンスを積んだものもありました。実際にある話ですが,何十年に一度の観音開帳というような記念事業は,その準備期間も相当なもので10年以上も前から計画の立案作業に着手しています。

しかし,ここでの主体は神社や寺院の神職や僧侶ではありません。あくまでも護持の主体とるのは氏子と崇敬者,寺院であれば檀家と信徒の皆さんです。つまり,神社の宮司や寺院の住職がするものではないのです。私のこれまでの経験上,宮司や住職が護持の主体となるとそこには権力が生じて来ました。この権力こそが宮司や住職には不要なものです。

その理由については,また書かせて頂きます。


  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝


ほんの一時でも贅沢をさせてあげたい。

2017年12月14日 00時18分31秒 | 歓びの心柱

上の写真は,総本山 長谷寺です。

以下は「2016.9.2」に掲載した神恩感謝に心音感謝。毎朝毎夕祖霊に感謝。記事です。

こんにちは。また台風(12号)が発生し,今度は九州地方・熊本の被災地を直撃しそうな進路を辿っているようです。大難が小難に小難が無難になるよう祈ります。9月と10月は台風に注意したいと思います。これから台風が巨大化して行くと感じていますし,これまでの様な進路以外も想定しておく方が無難かも知れません。9月9日(重陽の節句)には大きな節目のような日になるとも感じています。(これは眼には観えないお話です)白山の太神様への感謝の日と私は個人的に考えております。

さて,先月8月には祖霊感謝祭がありました。そして,今月9月には祖霊感謝祭がのお祀りが御座います。8月つまり,お盆の際の祖霊大感謝祭よりも若干,質素にはなりますが,今から献立を考えたりしながら楽しみにしています。未だ若いのですが,考え方は御老人の様です。先祖供養や祖霊感謝のお祀りは何だかとても楽しくて仕方がないのです。私たちの祖先の中には,飢饉や飢餓,疫病や死産の御霊がたくさんおります。どんな家系であろうとおります。平安時代や鎌倉時代の祖先においてはまさに飢饉や飢餓,疫病の時代でありました。その祖先が,この世に置いて逝った未練も凄いものであったと想像しています。

きっと,やりたい事ももっと沢山あったでしょうし,遊びたいこともあったと思います。勉強も仕事もしたかったでしょうし,女の子であれば今で云うオシャレもしたかったのではないかと感じています。中には,人に奉仕することを夢見ていた先祖もいたはずです。その未練や執着,想いや想念を私たち子孫は受け継いで生きています。万が一,祖先がお盆やお彼岸に子孫の元へ帰還することが神様に許して頂けるのであれば,せめてその短い期間中は贅沢をさせてあげたいといつも思いながら供養させて頂いております。今日,神様へ大祓詞を奏上した時の気持ちはとても気持ちが良いものでした。先祖供養の前の観音経も落ち着いて気持ちよく捧げることが出来ました。気持ちがとても清々しかったです。有難う御座いました。

心柱に音を降ろし,言葉にして観ました。以下の紫色の文字がそうです。

我 子孫 祖霊飲食 祖霊衣服 祖霊住居 祖霊薬薬 祖霊安寧 祖霊平穏 一心観世音菩薩 祈

我 祖先 子孫飲食 子孫衣服 子孫住居 子孫薬薬 子孫安寧 子孫平穏 一心観世音菩薩 祈

子孫は,祖霊の飲食,祖霊の衣服,祖霊の住居,病気の祖霊に薬を祖霊の安寧,祖霊の平穏を一心に観世音菩薩へ祈ります。

祖先は,子孫の飲食,子孫の衣服,子孫の住居,病気の子孫に薬を子孫の安寧,子孫の平穏を一心に観世音菩薩へ祈ります。

神恩感謝に心音感謝。毎朝毎夕祖霊に感謝。花咲 あさひ 拝


  

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私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝


中学卒業「中卒」は金の卵か?

2017年12月13日 00時00分00秒 | あさひの経済新書

 上の写真は,京都貴船神社の奥宮へと続く参道にて撮影させて頂きました。

 

こんにちは。このブログのサブタイトルにもあるように,十柱の心柱「みはしら」を日々,探し求めております。しかし,あと残り二柱の心柱が見つからないでいますが,どうやら九つ目の心柱が見つかりそうです。

その九つ目の心柱は「怒り」なのかも知れません。もう少し,音を観て行きたいと思います。ただ,色が追い付いて来ていません。

音(波)→言(葉)→音→色の順なのです。

以下は「2016.10.20」に掲載した子供たちの未来に希望が持てる社会とは?と云う記事です。

こんにちは。先日,仕事でお寺へ行って参りました。そのお寺は幼稚園を経営しているお寺ですが,実は私の母校(園)です(笑)私が通っていた当時とは本堂も境内も周辺の様子も区画整理や都市開発事業などで変わっていましたが山門は,私が通っていた当時のままでした。毎日,通園バスで幼稚園に到着すると山門をくぐり,本堂の御本尊様へ合掌をしてから教室に向かっていました。

とても懐かしい想いに駆り立てられましたが,最近は,少子化の影響で神社やお寺が経営する幼稚園が減少しています。さて,今日は,今の社会問題でもある子供たちの貧困問題を記事にさせて頂きたいと思います。その子供たちの貧困問題の中でも特に,子供たちの教育問題が急速に拡大しているようです。子供の貧困は聴いているだけでも辛いです。

中学生から高校生へあがる為に通う塾などの費用負担が家計の収支状況などから捻出できず,塾へ通うことの出来ない子供たちが大勢います。又,高校へ進学しても授業料などの学校費用も同様に支出することが厳しい状況にある子供も多いと云うことです。何とか,早く高校の無料化を実現して頂きたいと思っています。家庭の事情で,高校にすら進学できないとすると,その後の就職する選択にも影響することですし中学卒業だけでは選択肢があまりにも狭くなってしまいます。

わずか15歳で厳しい社会に放り出されることを想像すると何とか為らないものかと怒りのような感情が湧き上がって来ます。戦後直後では,中学卒業「中卒」は金の卵だと言われていた時代があったようです。実際に,戦後の焼け野原から国土を復興をするのですから判る気も致します。しかしながら,今の日本では全く違います。

ほとんどの子供が高校へ進学する時代でありますし,高校を卒業しても大学や専門学校へ進学して行く時代です。将来,何らしかの国家資格を取得しようとしても高校や大学を卒業することが前提条件になっていることが多いです。正直,中学卒業で就職するのはもの凄く大変ですし,賃金的格差で云っても歴然とその差はあります。

つまり,生涯収入がかなり違いますし,厄介なことにその生涯収入が次世代の子供たちにも連鎖することです。経済的貧困は大人になっても続き,相続の有無にもハッキリと表れる事柄です。要は,たった15歳で,その後の人生が決まり,さらに次の子供にも連鎖するのです。私のお客様のお子さんも正に上記に該当する環境にある方が何名かおります。

又,過去にも該当する子供が何名かいらっしゃいましたが何とか家族を含め皆で知恵を出し合って無事に高校に進学し農業関係の専門学校へ入学できるお子さん,高校に入学してバイトをしながら看護師を目指して病院に就職できたお子さん等々,いろいろな子供たちがおりました。今の日本でお金がないから高校や大学に進むことが出来ないと云うのは,最近の政治家の金銭問題を報道で知るたびに悔しさと憤りに掻き立てられます。そのお金の一部でも良いから自ら学びたいと思って頑張っている子供へ資金の提供ができたら,その子供の将来に希望を与えてあげることが出来るのにと考えながら該当する個別の事案に取り組んでいます。

本来,子供は国家の宝のはずです。縄文時代の遠い祖先は7代先の子孫のことを考えながら生活していたようです。せめて子供たちだけでも,何とか子供たちだけでも大難を小難へ小難を無難にして頂きたいと神様に御祈りしております。そして,国会と内閣には一日も早く,高校の無料化を実現して頂きたいと願っております。


  

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私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝


若者が活躍できない社会に未来はない。

2017年12月12日 00時00分00秒 | 反省の心柱

こんにちは。昨日の記事の冒頭で,郵便局でのアルバイト先のお客さまが九鬼家出身と書かせて頂きました。

その九鬼家とは?もし宜しければ「ウィキペディア」を参照してみて下さい。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E9%AC%BC%E6%B0%8F

 

以下は「2016.11.20」に掲載したhttp://blog.goo.ne.jp/kanzeon123/e/ec02d1af481c4463e79dc4f15d815af7記事です。

こんにちは。きっと,これから社会は大きく変貌して行くことになることは誰にでも解っていると思います。しかし,どのように社会が変貌して行くのか,その形成過程を知る人は誰もいません。ひとつの文明が終わろうとしていて,新たな文明を受け入れることの出来る人とそれに抵抗する人たちで一時,混乱する時期に差し掛かってくるかも知れません。もしかすると既にその中に居るのかも知れませんし,その大きな渦の中に居るから判らないのかも知れません。だとしても,自分を信じ,己と共に生きて生きて行かなければなりません。そんなことを感じていると困難な立場に立たされている人にとっては生きにくい社会であることが解ります。

これまで常識とされて来たものが非常識となり,経済を成長させることが何故必要なのか。法律を整備すれば人は豊かに平穏に暮らして行けるのか。医学で健康な体を手に入れ,病を治すことが出来るのか。科学で宇宙の仕組みを知ることが出来るのか。今現代に起きている様々な事象を説明することは困難なことであろうと思います。天変地異はその最たる現象でしょう。何かあれば想定外。

インターネットの普及で知りたい情報を直ぐに入手できる便利な時代ですが,その入手した情報の信憑性は信頼できる情報なのかどうかまでを入手する人はほとんどいません。これをやるとキリがなくなってしまうからです。情報操作に,情報封鎖。これで幾多の犠牲が生まれたか。日本の歴史を勉強すると犠牲になるのは,いつも若者。近現代史は特にそうでした。与えられた情報を疑うことも知れず,最後の最後まで信じ続けていたのは疑うことを知らない若者です。若者が活躍できない社会に未来はない。以前,アジア諸国のどこの国か忘れましたが「一年の計は穀を樹うるに如くはなし,十年の計は木を樹うるに如くはなし,終身の計は人を樹うるに如くはなし」と云う言葉がありました。これをいろいろな例えで説明される人も多くいらっしゃいますが,自国の将来を憂う気持ちがあるのなら人を育てることだと思います。相手の国と戦うことを決める前に,その国の若者の顔をよく観なさいと云う事なのかも知れません。一番信用のおける情報と一番信憑性のある情報は,自分の心「良心」だと云うことが判って来ました。拝


  

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私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

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心と云う高天原に宮柱である「心柱」を立てる。

2017年12月11日 00時10分20秒 | 勇気の心柱

 

こんにちは。今日は,郵便局の配達員のアルバイトでした。(正確には,深夜0時を過ぎてからの更新なので昨日です)先程,帰宅して急いで禊(御風呂)をして,神棚の神さまに大祓詞を奏上してからやっとブログの更新が出来ました。12月の師走に入るとお歳暮シーズンで郵便局の配達員はパニック状態で配達しています。それはそうと,今日,なんと!私の担当する地域で九鬼家の親戚だと云う方のお宅へ配達することがありました。九鬼氏と言えば神社界では知らない人はいないと云うくらいの方で,熊野地方にとても多く,熊野大社の宮司の家柄でもあります。思わず,嬉しくなってしまい配達するのを忘れ話し込んでしまいました。

私の郵便局でのアルバイトの話は別として,

人間霊を宿す私たち人は,誰であっても心の奥のそのまた奥に神さまが御鎮座されます。

私たちの「心」つまり,高天原には神様からの音=波動を受信出来る柱が立っています。

このブログの最大のテーマです。たとえば,勇気の森に立つ,挑戦の心柱。感謝の森に立つ,ありがとうの心柱と云うように人それぞれ森や心柱の大きさは違います。同じな人は存在しないのかも知れません。だからこそ,尊いのであって又,日々の生活の中で森を成長させ,心柱を太くしなければならないのだと感じています。ひとり一人の心の中に存在する高天原でもあり,鎮守の森でもあります。さらに,その森には神さまが鎮座される御宮が建っています。そのお宮を建築しているのは私たち自身です。

これを私は,こころのはしら「みはしら」と呼んでいます。いつも書かせて頂いているように,たとえば同じ景色や風景を見ているのに,人はそれぞれに感じ,想うことが違うのか?そのことが不思議でなりませんでした。それは何故なのか?

そのことをこれからも探求して行きたいと思います。観世音菩薩とともに。

以下は「2016.10.8」に掲載したhttp://blog.goo.ne.jp/kanzeon123/e/a0440b3cefed71f954fd25408cb3a153記事です。

こんにちは。熊本の地震以降,ずっと懸念して来た阿蘇山がとうとう噴火してしまいました。今回の噴火が,さらなる噴火を誘起するものなのかどうかは解りませんが,この阿蘇山が太古の昔に見せた様な大規模噴火を始めると九州地方には人間は住むことが出来ません。古神道的に云うと火山は神そのものと考えて来られましたから,今回の噴火に何かしらの神意があると考えています。大自然が動くとき,私たち人間の暮らしも大きく変わります。時にそれは,人間の生命を左右するほどのものであります。それを5年前の東日本大震災で私たちは思い知らせれました。私が最近,妙に変だなと感じているのが,最近の気象状況です。もう晴れの日が続く日は来ない。なんて思う日もあります。もし,そうなってしまうと私たちの生活や暮らしはどうなるのでしょう。農林水産業も経済も五穀豊穣も壊滅します。大自然の急激な変化は人間の精神にも多大な影響を与えるはずです。心の病と紛争が増えます。

大自然そのものである太神様は,私たち人間に反対「本当」の世界を見せようとされて居られるのかもしれません。たった一日の晴れの日をとても感謝せずにいられない日が来るかもしれません。すでにもう始まっているのかも知れません。私たちは,大自然や自然の恩恵や恵みをあまりにも当たり前と考えるようになってしまったことで,私たちは大自然や自然に感謝することさえ忘れてしまっているのです。太陽神が御隠れになると私たち人間は生きて行くことが出来ません。もしかすると,今回の阿蘇山の噴火は氷河期が到来することを告げる狼煙「合図」かも知れません。氷河期時代に生き抜いた私たちの祖先が生命を繋げることが出来たのは火山のおかげです。火山がなければ,氷河期に人間は生きて行けません。本来,それを伝える役目の神道家も宗教家も今はいません。

日本神話にある太陽神の岩戸隠れを思い出してください。私は,日本神話は単なる物語ではないと云うことを以前,ブログでも書かせて頂きましたが,素戔嗚大神様が大国主神様をこれでもかと試されたことやスセリ姫が大国主神様と互いに協力し合い,素戔嗚大神様の与えた試練を乗り越えて行く様子は,現代の夫婦や会社,知人,友人との関係を考えたとき,とても参考になることだと最近特に感じています。つまり,ただ純粋だけでは厳しい社会では生きて行けないと云うことを教示してくれているものだと感じています。社会は本当に厳しいです。これでもかと云うくらい厳しいものです。その中で,自分自身がどう生きて行くのかを日本神話は示しているのではないでしょうか。これを単なる物語と解釈するのは勿体ない気がしてなりません。過去の日本の歴史を勉強すればする程,日本神話が転写されているように観えます。例えば,天皇陛下の祈りの根本も国譲りに観ることが出来るのです。

私たちは,昼間の世界が本当の世界であると考えています。つまり,光と闇であれば,光が表で本当だと思っていますが,これは古神道的に云うと全く違うのです。本当の世界と云うのは「闇」なのです。そこに,大自然と云う神様の御働きによって光が生まれると考えられて来たのです。太陽は明るく暖かいと私たちは考えていますが,太陽は明るくありません。もし,太陽が高熱の塊で,その熱が地球に届いているのであれば,地球と太陽の間の宇宙空間は明るくなっているはずです。でも,宇宙空間は「暗い」です。暗い世界に神様の御働きがあるからこそ明るい世界を私たちは頂けるのです。それを縄文以前の古神道はとてもよく判っていました。

現在の神社神道でも重要な神事は,必ず夜に斎行されます。たとえば,伊勢神宮の式年遷宮も上賀茂神社の式年遷宮も夜です。この辺のことは,また機会があれば書かせて頂きたいと思います。人間の生命の尊さとはなにか,なぜ人間が生まれ,生き続ける理由はなんなのか。そう言ったことを教えてくれる神道家も宗教家もいなくなってしまいました。ならば,私たちひとり一人が心に宮柱を太如き立てることが必要だと考えています。そして,誰であっても可能だと私は本気で考えている今日この頃です。もし,私たちが成長し,宗教や教えはいならい!と宗教家へ告知した場合,告知された宗教家は,私たちに何という言葉を投げかけるのでしょうか。仏教の祖,お釈迦様はやがて教えが必要のない時代が来ると云われています。神恩感謝に毎朝毎夕祖霊に感謝。拝


  

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私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝


負け癖を身に付けない。

2017年12月10日 00時00分00秒 | 勇気の心柱

こんにちは。朝4時ちょっと過ぎに起きて,5時30分までには仕事に向かうため自宅を出て行きます。郵便局での配達員のアルバイトやいろんな仕事をしているので,早く自宅を出るのは2日に1回の割合です。それでも起床時間は,前日がどんなに遅くなっても5時から5時30分には起床します。郵便局の配達員のアルバイトは朝7時から夜の22時頃までで時間が長いのです。

その出勤の時,夜が明ける前に輝く北斗七星に祈りを奉げますが,本当に美しく,何とも言えない気持ちに満たされて行くのが判ります。そして,しばらくすると東から太陽が昇って来ます。太陽にも同じように祈ります。祈りと云っても祈願や祈祷は一切せず,生かされていることへの感謝と太陽神の御神名を数回唱えています。

ところで早朝の太陽は4段階に色が変わるのです。最初はピンク色,その次がオレンジ色,そして金色,最後が白金色です。自然崇拝と祖霊祭祀の古神道の奥義はそこにこそ存在しているのを実感でき,私にとっては,とても贅沢で貴重な瞬間です。この貴重な時間帯は,きっと,人間霊を宿した私たち人にとって貴重な時間だけではなく,万物精霊にとっても貴重な時間帯なのではないかと感じています。以前,京都の出雲大神宮へ参拝させて頂いたときにそのように感じました。朝の早い時間に誰も来ていない参道を歩き,本殿へ向かうと後方の御神体である山から風が鋭く吹き始め,祓いを感じます。神気と言われる人もおりますが,私にはハッキリと神気だとは解かりませんが,心の音を心柱に落とし,音霊を観ているだけです。自分で何を感じるか?ここが重要なのです。

遠いところから良く参りましたね。そんな息吹を感じながら参拝させて頂いております。

話が変わりますが,何をしても上手く行かない時,空回りばかりしてしまう時,そんなことは誰にでもあると思います。私もしょっちゅう経験していますが,いちばん厄介なのは負け癖がついてしまうことにあります。まるで不幸が不幸を連れて来るかのように負のスパイラルへ力が働きだしてしまいます。ちょうど1年前に書いていた過去記事に「どん底を支えるのは野心」と云う記事をありました。私は記事を書いてもほとんどその書いた記事を憶えていないので,自分でも本当に自分で書いてものなのか不思議な気持ちになりますが宜しければお読みください。拝

以下は「2016.12.9」に掲載したhttp://blog.goo.ne.jp/kanzeon123/e/7405b473b5eec452e1d48f77e6d88a38記事です。

こんにちは。しなければならないことが山積してしまうと何から手を付けて行って良いのか戸惑うことがあります。私もしょっちゅうあります。まして,それが仕事のことだったりすると他の関係者の方々にも迷惑を掛けてしまうと気持ちが焦り,上手く物事が運ばない時もあります。特に,仕事の場面では限られた時間と限られて予算に基づいて最大限の結果を出すことが求められて行きますし,言い訳も通用しないことも多いです。つまり,良い結果が出せて当然,当たり前と云うプレッシャーとの闘いになります。

今朝,禊ぎをしている時,音霊を変換してみると「方向性」と「道のり」を示す内容のものでした。先程,投稿させて頂いた記事がその一部です。上手く行かないからと云って,方向性そのものを見失ったり,疑ってみたりすることと方向性に辿り着くまでの道のりを混同してしまうと本来の目的すら達成できなくなってしまうようです。私も気を付けなければなりません。道が険しいとどうしてもよそ見をしてしまい,無駄なことに体力や気力を使いすぎてしまう癖をいつの間にか身に着けてしまわぬようにしなければなりません。私はこれを「負け癖」と呼んでいて,一度,この「負け癖」を身に着けてしまうとそこから抜け出すことが容易ではないのです。全てを否定的に捉え,常に人と比較し,羨んでしまう。そうするともすます悪循環に陥ってしまい妬みや僻みを増して行きます。そう言ったネガティブ「負」の感情を乗り越えて行くには,誤解を与えてしまうと思いますが「野心」だと私は感じています。

私の周りの人でも一度,どん底を経験し,再び復活した時の話をお聞きすることもありますが,ほとんどの方が這い上がるだけの野心を以ています。野心と聞くと野蛮で悪いイメージがありますが,私の言う野心はそうではありません。神道で云う一霊四魂の内の「荒御魂」の働きであって「勇気」や「前進」「挑戦」などを指します。つまり,前を見つめ余計なことを考えずに直向きに進む力は荒御魂の働きになります。ただ,物事に対する執着や潔さとは違います。また機会があれば書かせて頂きたいと思いますが,今日は方向性と云う目的と道のりと云う手段の違いを省みることが出来,勉強させて頂きました。ありがとうございました。拝


  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝


古神道とは日常生活にあります。

2017年12月09日 00時12分00秒 | 結びの心柱

上の写真は福井県の材木市場に向かっている途中に立山付近で撮影しました。

こんにちは。私たちは,どのような世界観に自分自身を置こうとも,共通していることは当たり前のことに対しても感謝する気持ちや謙虚になって前向きに,時には自分の行いを省みて反省し,自ら手を挙げ自分から奉仕でき,素直に生きて行くことではないでしょうか。さらに,何の約束や保障も無くても勇気を以て挑戦し,考え思いの違いも互いに結び,ただ純粋無垢に人の幸せを歓べること。きっと,神さまの御心と云うのはそのようなものであろうと感じています。

互いに支え合い,助け合い,足りないとこを補い合う。肝心なのは「合う」ことのようです。

私たち人間霊を宿した人は,誰であっても豊かに幸せになるために生まれて来るのであります。

以下は「2016.11.28」に掲載したhttp://blog.goo.ne.jp/kanzeon123/e/baa9aca4aec99283a37bbe6b051fb486記事です。

こんにちは。この時期になると個人的に関係する神社から年末の大祓や新年の御祈祷の案内書が送られて来ます。それぞれ縁のある神社ですから全てに申し込みをしたいところですが,私的な祈願をしたことがないので困惑してしまいます。神社の護持と云う面では確かに大切な祭事でもありますし,一年に一度の収入が見込める時期でもありますのでたくさんの方々から申し込みがされることは神社側にとって切実なことであります。神社を運営するには,どうしても資金が必要です。祭事や建物の維持,職員への給与などなど収支決算は大変ですから仕方がないことかも知れません。神社寺院の決算資料や護持の為の資金集めも担当させて頂いて来ましたからとてもよく理解できます。一般的に神社やお寺は企業会計ではないから資金が豊富にあり,内部留保金も相当あるのではないかと思われていますが,それはごく一部の神社やお寺です。とくに,神社は収入源が限定的ですから厳しい現実があります。

この資金難は,今後も厳しくなって行ってしまうのではないかと思います。しかし,そのような厳しい現状から逆に多くの参拝者や崇敬者を集め,奉賛,奉納を受けて行くと思っている神社がいくつかあります。ありますと言っても,これは私個人が感じ,思っていることです。それはどう云った神社なのかと申しますとすべての宗教「精神面」の原形でもある古神道の形式や形態を残している神社です。つまり,自然崇拝と祖霊祭祀を主としていて,超太古から続いている神社です。今ではとても少なくなっていますが,私は古神道が復活すると思っています。神社でも二極化が起き,古神道を実践する人を現在の神社神道各社が取り込めるかが大きな鍵になると感じています。しかしながら,これだけでは未だ足りません。精神面に付加される現実面が必要です。その現実面を行(ぎょう)と云います。それは相互扶助です。要は,古神道と云うのは,大自然や自然と祖霊に感謝する精神面「祈り」と現実社会で互いに分かち合い,足りないものを補い,弱い立にある人を皆で助け合う現実面が兼ね備わった状態を纏めて古神道と云います。

古神道とは,日常の生活の中に存在するものです。そして誰にでも持ち合せているものです。自然の風景に感動したり,美しい景色を撮影したくなったり,夜に星を眺めたり,朝の太陽に手を合わせたりすること。これすべて古神道が元です。

そもそも古神道を実践している人に祈願や祈祷と云う概念は存在しません。理由は至って簡単で,大自然や自然と祖霊に感謝すること日常生活の中で実践するだけですから個人の願望や欲望を叶えて貰おうと云う発想そのものがないのです。実践そのものが自然と一体化していると云う訳です。ですから,神社や寺院でもお金を出して御願い事などをすると云うことはせず,寄附と云う形で感謝を顕すことが多いのです。神社側から御願いことを記入して下さいと言われると,とても困ってしまいます。祈祷や祈願の為のお金ではないからです。屋根が古くなってきたから皆で計画を立案して新しくしましょうと云う感じなのです。どうしても記載する必要があるなら世界平和か神恩感謝と書くくらいではないでしょうか。たとえば,前にもご紹介させて頂いた京都の貴船神社に観る御日供(おにっく)などは五穀豊穣に感謝することを趣旨として,崇敬者のみなさんで少額の資金を出し合う制度ですが,これは,古神道を現代に残す大切な進化形です。つまり「故きを温ねて新しきを知る」ですが,この御日供を崇敬者から募っている神社も少なくなっています。五穀豊穣は経済の原点。どんなに経済が発展しても変わりはありません。神恩感謝に毎朝毎夕祖霊に感謝。拝


  

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分魂思想と古神道 ~木霊への理と感謝~

2017年12月08日 00時00分00秒 | 感謝の心柱

 

なにごとの おはしますかは知らねども かたじけなさに 涙こぼるる。

この詩は,平安時代の西行法師さんが伊勢神宮に参拝された際に詠まれました。僧侶でもあった西行さんは,

伊勢神宮の宇治橋を渡らず,その手前で心柱「みはしら」に降りて来る音を観ていたのだと想います。観音さまのようです。

こうしているだけで,ただただ有難い。そのような心境いだったのかも知れません。

以下は「2016.10.28」に掲載したhttp://blog.goo.ne.jp/kanzeon123/e/eeeeea6c764d65ae9e77e044155ad94d記事です。

こんにちは。一昨日の記事,オウムの恩返しで神道に伝わる思想に一霊四魂と云う概念があると書かせて頂きました。一般的に,一霊四魂の思想は古神道から古来続くものであると言われておりますが,私が思うに古神道では,もっと単純で且つ,明快な思想概念で素直な考え方があったと考えています。今の言葉で表現するならば純粋無垢な祈りであったと思うのです。又,古神道と呼ばれる名称も実は,いつの時代までが古神道で,いつの時代から神道なのかハッキリとした線引きがされていないのです。つまり,便宜的に使われることが多いと云う訳です。よく左翼思想と呼ばれる一部の政治家さんが天皇と神道が戦争を引き起こしたと主張され,現在の神道に対しても同じ考えを持っているようですが,これは全然違います。先の大戦は,一部の軍国主義者たちが天皇を利用したのです。俗に言われる国家神道です。しかしながら,現在の神道は神社が主体となっている神社神道ですから全くの別ものです。

私が考えている古神道と云うのは縄文時代までだと考えています。難しい教義的なものを含まない,ただ大自然と祖霊に感謝する形態であります。そして,人間は大自然の恩恵によって生かされ,自然とともに共生し,祖霊をお祀りすると云う単純なものです。そのような古神道に生きた我々の祖先でもある縄文人は,たとえば,木を一本伐採するたびに,何日も前から木の精霊に対して「あなたの命を私に下さい」「私が生きて行く為には,あなたの命が必要です」「その代り,私が責任を以てあなたの御霊をあの世に送り届けます」と理を宣べてから一本一本の木を伐採していたようです。それと実に丁寧な追善供養も既に縄文時代以前には確立していました。この世のありとあらゆるものには,神様の御分霊を宿していると云う分魂思想と云われている概念です。

その思想は,現代の伊勢神宮式年遷宮や一部の神社,寺院でも継承され続けております。神社寺院建築に使用する御用材を定められた山から伐採するときには,正式なお祀りをしています。上の写真が,そのお祀りの様子です。伊勢神宮式年遷宮の行事の中で正式に定められている御杣始祭(みそまはじめさい)と云うお祀り事です。これに似た光景を以前,私も観たことが実際に在りました。

それは,東日本大震災で被災されてしまった寺院の復興事務局の責任者を任せられて本堂の建築に使用する御用材を調達するために福井県の木材市場に行った際のことです。広大な敷地の一角に,一本の塔婆が建立されております。塔婆と聞くと今の私たちはお墓の後ろに立つ板状に戒名や文字が書かれたものを想像しますが,木材市場に建立されている塔婆は木の精霊を供養する為に立てられているものです。これを観たときは実に感動しました。自然崇拝を元より日本民族の精神と云うか遠い祖先である縄文人の遺伝子が組み込まれていると感じました。書きたいことは山のようにあるのですが,年末に向けて仕事が夜中まで続くことが多くなって来ました。又,一段と寒くなって来ましたので,どうか御身体ご自愛ください。続きは,また明日書かせて頂きたいと思います。拝


  

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観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝


憲法改正は,なぜ必要なのか?

2017年12月07日 00時03分00秒 | あさひの六法全書

 

こんにちは。今夜の北斗七星もとても綺麗です。

さて,昨日は,民意よって選ばれた政治家,つまり,文民が官僚機構を統制出来るはずがないことを過去記事の中から紹介させて頂きました。その流れで,今日は,いよいよ迫る憲法改正について紹介させて頂きます。

憲法論議がこれから増々,活況となってくると思います。昨年の7月には,こんな記事を書いていました。

以下は「2016.7.8」に掲載したhttp://blog.goo.ne.jp/kanzeon123/e/de34e11e3cac4df928ee481ac46809b8記事です。

今回の選挙戦(参議院選挙)は,弁論戦ではかなり与党は苦戦しているようですね。選挙結果は蓋を開けてみないと分からないとよく言われますから7月10日までは分かりません。与党には組織票がありますし,戦後積み上げてきた利権もあるでしょう。しかしながら,選挙は当選日になってみないと分かりませんが,与党がパンドラの箱を開けたのは間違いないようです。私は正直,自民党を応援しておりましたが,以下の手法がもの凄く悪いというより,なんでそんなこと?と言えるくらい問題です。                                                                        その問題とは「解釈改憲」です。すべてここから始まった気がします。総理には指南役がいないのか?と思えるほどです。

おそらく今の総理に必要なのは法や法律を自由に操れるだけの頭脳を持った「本物の法律家」です。つまり,理屈と云うロジックを自由自在に操れるだけの本物の法律家がどうしても必要です。この理屈を使いこなせないと最後には精神論だけで押し切ろうとします。ただ東京大学法学部を出て,司法試験1発で合格しましたなんて威張っている低いレベルではなく,起案能力がズバ抜けていて,バランス感覚に優れていて,リスクマネジメントができる本物の法律家です。国はもっと人材発掘に積極的になるべきです。

法律は使うものです。使われた時点で,身動きが出来なくなるのです。そういう風に,法律と云う理屈は出来上がっています。                                                                          理論が破綻した理屈ほど惨めなものはありません。起きた事象に,法律を当てはめ,結論を導く。個別の事件に個別の法律(判例や慣行など含む)を適用し,結論を出す。これ事実認定の基礎基本です。例えば「雨が降ったら傘をさす」「今日は雨が降っている」「だから今日は傘をさす」大前提に小前提をあてはめて結論付ける。この例えは法律家が使う法的三段論法の例え話です。

また,経営者が使うロジックに「何のためにするのか」「誰がなにをするのか」「そのことで何がどうなるのか」と云う目的・役割・結論の順で稟議書や取引先との交渉術に活用したりします。御仕事をされている方であれば,どなたでも日々,活用していることですね。つまり,両方とも相手を説得するために使うものです。話がそれてしまいましたので戻します。

今回の与党の戦略上のミスは①解釈改憲で押し切ったこと②理屈付けが出来なかったこと③精神論だけで押し通したことではないでしょうか。たぶん,与党の皆さんもこんなに国民が敏感に反応するとは思っていなかった様に見えます。悪く言えば,調査不足。日本の国民が憲法なんて知っている訳がない」「まして憲法の内容なんて,理解できるわけがないと云う政治家や官僚の声が聞こえて来そうです。だが,状況は全く違った。完全に読み違いをした。日本人でありながら日本人の特質を理解していない。日本人は一見,纏まりがないように見えますが,何か事があると一丸となって困難に立ち向かって行く民族であると思います。誰かに指示される訳でもなく,自ら行動に移す民族であると思います。しかも命懸けで。

以前,真言宗のお寺の住職さんと日本人の特質を議論した時がありました。その住職さんも日本人は海外で不思議な民族であると本気で思われているとおっしゃっていました。その住職さんの経歴は,少し変わっていて,国内の某大学を卒業しアメリカの大学院へ留学,その後,アメリカの某大学で教授をされたいた元大学教授でしたので,少なくてもアメリカから観察した日本のことは良く理解できています。それはともかく,総理が集団的自衛権行使容認云々において,法のもっとも根幹である適正手続き(デュープロセス・オブローとも言われています)を無視し解釈改憲に踏み切ったことは革命だと思います。それほどこの法の適正手続きと云う考えは絶対で,全ての法律の大前提になるものです。それを外し推薦又は黙認した,与党の法律家及び政治家の責任は重大だと思います。

結果,その自民党のミスに社会保障の問題やアベノミクスの問題,保育士の給与の問題を付け加えられた格好になりました。                                                                    もちろん攻める野党にとっては好都合です。世論を味方につけれる絶好のチャンスでもあったのです。

日本人は,とても勤勉ですので,憲法の本質ぐらいは直ぐに見抜きます。                                           総理のブレーンに「万が一,国民が法の適正手続きに反しませんか?と言われたら何と答弁するのですか?」と直言するくらいのブレーンが存在しないのか。私個人的には,国民へ日本を取り巻く世界情勢,中でもアジア諸国における脅威を十分説明した上に,正々堂々と憲法の要請に応えて国民投票を行えば,実現できていたように思います。あとのまつりですが。

特定秘密保護法含めて,重要法案を次々と成立させ,国民総背番号制(マイナンバー)で,何か違うと,国民は感じる日が来ると思います。私たちのような若い世代の人たちには実感はないとしても,過去の歴史に学ぶ姿勢があれば,戦時下に大本営発表と云うものを既に,私たちの祖父や祖母は体験しています。帝国は勝っている。帝国が負けるはずがないと繰り返し,繰り返し電波され最後まで,そう信じて国民が一丸となって戦った日があったことを。そうしてあれだけの犠牲者を出したのです。

これから,この国は,しばらく国論を二分することになるだろうと思います。若い人達は,くれぐれも巻き込まれないようにして下さい。今すべき事を精一杯努力する。面白がって,若者をターゲットにしてくる報道もされて行くだろうし,ネーミングも付けられて行きます。その時,チヤホヤされて,出汁に使われない様にして下さい。 

総理は,国民へ十分説明した上で,国民の生命と財産を守るのが我々,政治家の責任である我々政治家は,戦争へは行かない。だからこそ,法の適正手続きを以て,国民を他国の脅威から守るために,憲法を改正する必要がある。万が一にも,国民が「憲法改正必要なし」と言う選択をした場合,我が国は,米国との信頼関係を著しく損ね,他国の脅威に脅かされて行くことになるのです。                                                             憲法を改正するには,厳正な手続きが求められています。我々,政府は,この憲法を擁護し,尊重する義務を負っています。その課せられた義務に基づき,憲法改正を国民とともに議論させるそう話せば,良かったのに。

自民党の結党以来の党是を達成させるために憲法改正の議論をするのではありません。国民の生命と財産を守るために憲法を改正するか否かの議論をするのです。きっと,私たち若い世代もこの方が,分かり易かったと思います。

戦後,71年も日本は平和な日々を送ることが出来ました。感謝。


  

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私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

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政治主導・文民統制と云う名の幻想

2017年12月06日 00時00分00秒 | あさひの六法全書

今日は,過去記事の紹介の前に政治家さんについて少し,書かせて頂きます。剣道の話ではないです(笑)

やはりと言うか,案の定と云った感じで終わってしまいました。

稲田さんも山尾さんも今回,辛うじて当選を果たしましたが,政治家としては大きな痛手であったのは間違いないようです。ここからお二人がするべきことは,後援会組織の強化のみだと考えます。どちらかと云うと山尾さんの方が厳しい環境で政治活動をされて行くことになると思いますが,ひとつ参考とするのであれば戦後の総理大臣で怪物とまで言われ,日本の経済成長を成し遂げた田中角栄さんから学ばれては如何と思います。つまり,政治史上最強とまで言われた後援組織「越山会」に学べです。 

共産党員でありながら越山会には入っていたと云うのですから凄いことです。

その為には,9歳年下の弁護士を参謀に据えたのですから,彼がリスクマネジメントにどの程度,能力を発揮できるのか?に尽きます。山尾さんは元検事,9歳年下の弁護士も法律家ですからリスクマネジメントの能力は今現在,兼ね備えてはいません。そうなると歴史に学ぶことをしなければなりません。歴史に学ぶとは,人の歴史に学ぶことです。歴史年表を勉強することではありません。

下の過去記事でも予測は出来ていましたが,刀ではなく「質問される」能力をピカピカに磨いて下さい。

以下は「2016.10.6」に掲載した過去の記事です。

こんにちは。

国会が開会され,野党は予算質疑でターゲットを稲田防衛大臣に定めているようです。そして,野党から厳しい質疑が続いているようです。私も動画で一通り観ましたが,連日の質疑で少し疲れだしている感じが見て取れます。前にもブログで稲田防衛大臣の就任を受けて少しだけ書かせて頂きましたように,理屈を使いこなせるかどうかとシビリアンコントロール「文民統制」などと云う幻想を捨て去ることです。そして,有能な人材確保に努めるべきです。有能とはどの様な人物像が理想かと申しますと今は「リスクマネジメント」が使いこなせる人物です。そう云った人物を自分の側近として側に置くことです。これしかありません。

東京都知事である小池さんとはタイプが違いますので,相手を呑み込むくらいの器量はないのではないでしょうか。自分の大臣としてのスタイルを早期に確立すること。過去に自分が積極的に発信してきた発言に足元をすくわれないようにしなければ中々厳しいのではないかと思います。稲田防衛大臣の様な方は,前評判がとても良いのです。つまり,期待値が高いのです。しかし,実際に大臣と云う立場になると評価が下がる傾向にあります。自分自身の考えと現実的に大臣としての考えでは雲泥の差があると実感されているかもしれません。又,自分の考えと大臣としての職責の狭間で苦しんでいる様にも見えます。野党からは格好の標的です。

しかし,自分の弱い部分を自覚して,弱さを素直に認め,すべて受け入れることで防衛大臣としても政治家としても強くなれるようにも思います。万が一,稲田防衛大臣のマネージャー的なことを旦那さんがされているのであれば,止めることです。旦那さんには無理です。なぜなら,旦那さんも法律家だからです。つまり,思考回路は同じです。稲田防衛大臣以上のものはありません。

それは,法律家の弱点を理解することにあります。稲田防衛大臣も弁護士出身と云うことですから法律家であります。では,法律家の弱点とは何か?それは,質問「する」ことには優れていますが,質問「される」ことには弱いのです。どの法律家もそうです。

ですから,法律家で大臣になった人で活躍された人はそんなにいないはずです。質疑に真正面から応じると負けるのです。この間まで,民進党の政調会長をされていた山尾さんが良い例です。山尾さんは元検事ですから国会質疑を聴いていても質問の趣旨や理屈などの理論を組み立てることに優れています。要は,尋問させると力を発揮することが出来るのですが,尋問されると答弁に説得力もないのです。稲田防衛大臣も野党の時代の方が輝いていた様に見えます。現在の民進党が与党時代に予算委員会などで展開されていた姿は多くの人をひき付けたと思います。しかしながら,今は違います。与党であり,防衛大臣であります。

当然,攻める側から攻められる側になったのですから,これまでと同じ考えでは論戦にはならないと考えています。今の感じでは,仮に,民進党の山尾さんが質問に立ったら稲田防衛大臣は官僚の答弁書を読み上げることしか出来ず,多くのファンを失望させるでしょう。稲田防衛大臣も山尾さん同様に,尋問することでは力を見せつけることができますが,尋問されると訳の分からない答弁をすることで時間を稼ぐしかないのです。これではリスクマネジメントになりません。誰かの責任にするのが精一杯です。

実に気の毒になってしまいます。

リスクマネジメントの基礎基本は「何の為にするのか」「誰が何をするのか」「そのことで誰が又は,何がどうなるのか」を起案及び立案できる能力のことを言うと私は個人的には考えております。しかし,真に残念ながら,この能力は法律家にはありません。

終戦後,日本を統治した最高司令官マッカーサーが言った言葉を思い出してください「日本人は12歳程度の能力しかない」と言ったことを。そして,このマッカーサーが言った12歳程度の能力とは何を意味するのか?これも私の個人的な解釈ですが,マッカーサーが言いたかったことは「理屈を使いこなせる能力」と云う意味であったと思います。法律家の思考と云うものは常に「要件」と「効果」で出来上がっていますので,そこに当てはめられないと思考が停止状態になるのです。または,逆ギレです。

先日の予算委員会で質問に立った蓮舫さん,辻本さん,福山さん等の質問に応じた姿を御自分で再度ご覧になると良いと思います。本当は,秘書がするべきと思いますが,しないでしょう。

そうなると,官僚の作成した書き物を読み上げるしか出来ません。防衛委員会での会議中の動画にもありました。官僚は大臣を名大臣にすることも出来ますが,叩き潰すことも簡単にできるだけの力を持っているのです。これでシビリアンコントロール「文民統制」が出来ない理由が分かって頂けると思います。専門的な知識を有する官僚と何ら専門的知識を有しない素人の関係を受け入れ,そこから組み立てることです。愚者は経験に学び,賢者は歴史から学ぶと云う言葉を思い出して頂きたいと思っています。

気を付けよう甘い言葉と文民統制 がんばれ!ともちん!拝


   

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又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝


進みゆく寺院統廃合の時代 ~不滅の法灯を守れるか~

2017年12月05日 00時00分00秒 | 豊葦原瑞穂国新聞

上の写真は上賀茂神社の式年遷宮式典の翌日に撮影した朝日です。

こんにちは。

私の仕事は,神社や寺院の護持が主たる仕事ですので日々,多くの神社や寺院の宗教家とお話をしたり,議論をしたり又,総代さんや世話人さんとカンファレンスを行っています。そうして得ることができた経験は大変有難いことであります。

ただ,残念なのは,お金には殆んどなりません。(笑)

その為,アルバイトなどを含めいろいろな仕事を同時並行的に行っています。目先の利益を追い求めればとっくに億万長者になっていると思いますが(笑)私には資本主義や面倒な世事に追われるのは性に合いません。何時か経済論で書きたいと思います。

もう既に,神社と寺院は大変厳しい時代を迎えています。そのことを過去に少しご紹介させて頂いていました。

以下は「2016.11.19」に掲載したhttp://blog.goo.ne.jp/kanzeon123/e/660dc7338be3f376a151d3fb46169359記事です。

こんにちは。先日,上賀茂神社から式年遷宮への参列記念品として上賀茂神社の象徴でもある立砂と細殿を刻印したクリスタルの置物を頂戴いたしました。正しくは文鎮らしいですが,私は神棚にお祀りしております。上の画像は,昨年に斎行された第42回上賀茂神社式年遷宮の翌日,早朝に宿泊施設から撮影させて頂いた写真です。右に見える鉄塔のような建造物は通信塔で京都府警です。とても綺麗な朝日でした。又,昨日は,知人の誕生日でしたので,久しぶりにメールを送信しましたら私のことを忘れずに憶えていてくれました。人との縁と云うものは本当に不思議で,地球上には70億人以上の人々がいると云うのに,自分の一生で出会える人は,ほんのわずかでしかありません。元々は茶道の言葉であったようですが,一生に一度の出会いは一期一会でもあります。

さて,昨日は,仕事で少し離れた禅宗(曹洞宗)のある寺院へ訪問させて頂き,住職さんといろいろなお話をさせて頂きました。とてもサッパリとしている住職さんで見栄を張らず,気さくの良い住職さんでした。私も初めてお会いさせて頂く住職さんでしたがお寺に着いて本堂へ参拝を済ませ寺務所へ向かう途中に草刈りをされている方がいて,方丈さんにお会いしたいのですがと声を掛けるとその草刈りをされている御方が住職さんでありました。(曹洞宗や禅宗系の寺院では住職さんを方丈「ほうじょう」と呼びます。)本堂の屋根の素晴らしさに思わず「いや,この屋根は凄いですね」と話すと嬉しそうに「そんなことはないよ。でも斜めから観るとすごいよな」と話されていました。あのような鋭くとがったよ云うな先端は奈良にある室生寺(灌頂堂)以来です。

私が「どこの大工さんでしたか」と聞き返すと「これは岐阜の大工さんだよ」と教えてくれました。そして,帰りがけには,門前で農業を営む檀家さんから大根と御芋を頂戴しました。有難う御座いました。今度,永平寺に参拝させて頂く日がありましたら御線香を御土産にさせて頂きます。私の住む地区では,先ずあのような屋根の形状を出せる大工さんもいませんし,寺院も存在しません。

神社でも鋭くとがった先端を見ることは出来ません。本当に素晴らしい本堂を見させて頂きました。

本堂の話はその辺で終え,仕事の話も含めてお話をしていると,その住職さん曰く,あと30年もしたら日本の仏教寺院は大きく変わるという趣旨の話をされておりました。つまり,人口の減少とお寺の跡継ぎの問題と資金難の影響で大きな寺院が地元の小さな寺院を吸収し合併するようになると真剣に話されていました。

確かに,その通りであります。日本の人口構造や檀家の減少から云ってもそのようなことが言えると思います。

しかし,私は,もう少し厳しい状況があと10年もしない内に到来すると感じていますが,住職さんの言われる話も頷けます。まだお寺は経済的収入を得る手段が多少なりともある環境でありますが,神社の経営難は実に厳しいです。私たちが考えているよりも余程深刻な状況にあるのです。神社の主な収入源と云えば,御祈祷です。

それに寄付金や御札や御守り,そして御賽銭ですが,大きな神社は別としても地域に御鎮座される氏神神社や小さな神社では,神職さんの給与や巫女さんの給与を支出すると大変厳しい環境で運営されております。経済が成長軌道にあるころは寄附金もどんどん集まりましたが,やはり,経済が低迷し,人が参拝に来ることが減ると神社の収入は激減して行きます。冒頭でご紹介させて頂いた,上賀茂神社も決して例外ではなく,今般の式年遷宮に必要な資金は数十億円ですからその膨大な資金を集めるには大変な苦労が伴ったのではないでしょうか。その資金を捻出する為に,本来は絶対禁足の地や本殿,重要な施設への入場を認めていらっしゃるようでもあります。神社寺院の運営費を稼ぐためにです。

私もリスクマネジメントを駆使して皆さんで知恵を出し合いお手伝いをさせて頂いておりますが,研究すればするほど可笑しなことに出くわし信仰とかけ離れて行く想いが多くあります。特に私は古神道ですからその様な想いをなすことが強いのかも知れません。これまでもブログで書かせて頂いて来ましたが古神道とは太陽や地球,山や川,海や森などの大自然と自然に感謝することと祖霊を丁寧にお祀りすることです。これに尽きると云っても言い過ぎではないと思います。またこれにはあまりお金は関係ありません。

無縁とまでは言えませんが,身の丈にあったものです。要は,気持ちがあれば誰にでも,直ぐにでも毎日出来ることです。難しいことも,複雑な言葉も入りません。ただ素直な気持ちを以て感謝するだけですから。しかし,奈良時代以降の神道はとにかくお金がかかります。その一番の理由は,建物にあります。建物を建築する際の建築費用が異常なくらい高すぎます。それは現代でも同じです。私たちが住んでいる一般の住宅を建設と比較すると坪単価4倍から5倍以上します。なんでこんなに高いのかと云う理由に実は根拠はほとんどありません。私も本堂などの復興事務局を担当させて頂きましたから良く知っていますし,内容も理解できています。もう,立派な御殿を建築する時代でもなくなって来ています。次の次世代が,その立派な御殿を維持管理できるのかを考える時期になっています。私がよく住職さんへお話させて頂く簡単なリスクマネジメントの手法があります。参考になれば幸いです。

お寺であれば,先ず,今の檀家総数と総世帯を明確にして行きます。その次に,檀家を継ぐ祭祀継承者(つまり墓守)の人数を計算します。神社であれば,氏子総数と氏子世帯です。そして全国に存在する崇敬者を算出して行きます。その人たちで次の時代,神社やお寺を運営護持して行くことになるのです。ここの部分を見落とし,今の世代で計算及び算出すると次世代の負担は増すばかりですし,境内は荒廃するばかりになってしまいます。これでは神様,仏様をお祀りする場所としては本末転倒です。これからはもの凄い速さで人口が減って行くのであります。しかも,女性は外で嫁ぎますし,男性と女性は半分しか存在しません。つづく。拝


  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝


起業家が実践した禅と実業家が愛した禅寺。

2017年12月04日 00時28分38秒 | 勇気の心柱

 

上の動画は,永平寺入山時の様子の動画です。ユーチューブから借りてきました。

こんにちは。

昨日は,永平寺のことを少し紹介させて頂いたので,今日は,過去に永平寺をご紹介させて頂いた記事を掲載させて頂きます。上の動画は,若き雲水さんが入山のために山門での問答をされている様子です。既にここから厳しい修業が待っていました。

以下は「2016.6.30」に掲載したhttp://blog.goo.ne.jp/kanzeon123/e/74068aedc04c925d417dde2d63ab5017記事です。

お寺続きで恐縮です。今日は,福井県にある禅の里である永平寺を記事にしたいと思います。

突然ですが,三菱財閥の創始者は御存知のとおり岩崎弥太郎さんです。その岩崎弥太郎さんが愛した禅寺があるのを御存知でしょうか?それが,福井県吉田郡永平寺町にある曹洞宗大本山永平寺と云う禅寺です。永平寺のことはテレビで見たり,話を聞いたり知っていると云う方は多いと思いますが,岩崎弥太郎さんと永平寺の関係を知っている方は,とても少ないです。                                                                       

実際に,私の知り合いの曹洞宗のご住職さんでも知りませんでした。少し,永平寺さんのご紹介をしますと永平寺は曹洞宗の大本山で,神奈川県の総持寺さんと並んで曹洞宗の2大「大本山」として若き雲水さんたちの禅の修行の根本道場となっております。                                                                 受付で寺施設の拝観を申し込みますと,伝承部と云う部署から若い雲水さんが参拝者の下へやって来ます。その雲水さんの役割は,参拝者をご案内し,それぞれの伽藍施設の説明をする役割を担っております。慣れていない雲水さんは口ごもったり,噛んだり,言葉が出てこなかったりと直ぐにわかります。                            

ここにも禅僧として大切な修行のひとつが秘められているようです。見ず知らずの人へ伝える御役を担うのです。                        つまり,自分がきちんと理解していなければ,正しく相手に伝えることができない。それには,自分みずからが積極的に相手に分かって貰う為にはどうすれば良いかを学ぶ修行のひとつではないかと考えます。話をすることで,自分自身もさらに理解が深まる。企業の研修なんかでも取り入れていますね。商品の説明や会社の説明などでも。

ちなみに,余談ですが禅の精神を会社の社是や創業者スピリットにされている著名な経営者も多いです。                      松下幸之助さんもその内の一人でありました。アップルコンピューターの創業者もそうですね。ビルゲイツさんも。

そして本題ですが,岩崎弥太郎さんが愛した永平寺との関係はただの宗教上の理由だけではないのです。                  これは秘事なので書けません。それも三菱財閥の根幹に関わる重大なことと同時に三菱を世界的な企業にするために大きな野望がこの永平寺にあります。そして,今でも存在します。ひとつのヒントとなる事柄ですと東京都港区「芝公園」と関係します。                                                                           三菱財閥の岩崎弥太郎さんがなぜ,わざわざ福井県の永平寺をそこまで愛したか?永平寺の伽藍施設は七堂伽藍と云ってそれぞれ重要な無くてはならない伽藍ですが,その七堂伽藍の中心にある仏殿と云う伽藍に岩崎弥太郎さんの御霊をお祀りしております。                                                                        その理由は,この仏殿を再建する際に,岩崎弥太郎さんがお一人で私財を投じ再建されたようです。つまり,お寺の本堂を一人の檀家さんだけで建てるような感じです。そこまでして,岩崎弥太郎さんが愛して止まなかった永平寺は素晴らしい禅の根本道場です。

そして,大自然と祖霊に感謝する古神道の私としては,他にも触れて置きたい場所が,この永平寺さんにはあります。                          それは,白山から流れ出る御神水をお祀りしていると云うことです。御存知のとおり,白山は日本の三大霊山(霊峰)として,太古の昔から信仰の山として崇敬されてきた霊山ですが,白山はとても水がきれいなことで全国的にも有名です。永平寺でも白山から流れ出る水を御神水としてお祀りされている様子に,永平寺は神仏習合以前の形を今に伝えている寺院であると確信致しました。

曹洞宗 大本山永平寺(禅の里まちづくり実行委員会HP)

http://zen-eiheiji.jp/eiheiji/


 

  

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言葉の乱れは心を汚し精神を穢す元の本。

2017年12月03日 00時00分00秒 | 反省の心柱

上の写真は観音信仰の根本道場である総本山 長谷寺です。

日本には太古より言霊信仰と云う信仰形態が存在します。つまり,言葉の一つひとつには精霊が宿ると云うものです。そして,その言霊を畏れ,とても大事にしている宗門宗派があります。

それは,曹洞宗と云う禅宗です。福井県の永平寺町にある禅の根本道場でもある大本山 永平寺に拝観に行きますと,若い雲水(修行僧)さんが拝観者の為に,伽藍「禅宗特有の七伽藍」を一つひとつ丁寧に説明して下さいます。

この説明も雲水さんにとっては大事な修行の一つです。つまり,禅の根本でもある作務です。それは,雲水さん自身が,拝観者の人と呼吸を合わせること修行しているのです。同化思想や同体思想とも云われます。たとえば大木の前で坐禅をすれば大木の呼吸に合わせ大木と一体となるという感じです。これには対象となる音(波動)を観れなければ一体となることは出来ません。

その案内で「雲水は便所や欲場では絶対に言葉をしゃべりません」と言われます。何故か?水を穢すことを畏れているからです。古神道でも水を汚すことは絶対禁止行為なのです。理由は以前,ブログでもたくさん説明して参りましたので,ご自身が感じ,思うキーワード「言葉」で検索されてみて下さい。人によって調べ方が違うというのも大変興味深いことでもあります。

大本山 永平寺。大変素晴らしい禅の根本道場です。一度,参拝されて見て下さい。永平寺そばもおすすめです。拝

それでは過去記事をご紹介させて頂きます。

以下は「2016.12.1」に掲載したhttp://blog.goo.ne.jp/kanzeon123/e/6a3615ad5f6bea0d395c3f53f445dced記事です。

こんにちは。いよいよ今日から12月が始まりました。今年も残すところ1ヶ月のみとなり,時間(感覚)の短縮に伴い本当に時の経つのが早くなりました。あっと云う間に今年も終わることでしょう。又,15日を過ぎればお歳暮や御世話になった方への挨拶,カレンダー配りとほとんど仕事と云う仕事が出来ない時期でもあります。何とか15日前までにある程度の仕事は終えておき,残りの年末までの期間はお客さん回りと年始の準備に専念したいのですが,これもまた急な用事が突発的に入り難しいようです。

今日は,朝の祓い「掃除」をしている最中に,自分の日々の態度,どう云った生き方「姿勢」なのかを省みて観ました。ちなみに,私は掃除することを祓いと呼んでいます。御風呂に入ることは禊と呼びます。まぁ。それは良いとして,だいたい考え事をしている時は,祓いや禊の時が多いです。同時に,何か良い解決策や新しい妙案が浮かぶ時も祓いや禊をしている時です。そして今日もその祓いの時間帯に日々の態度や生き方の姿勢を自分自身に問うて観ました。すると,意外なことに不足するものを感じ,不足するものは何かを考えていましたら音霊が言霊に変換できました。内容は「祈り」「行じて」「省みる」と云う三つのキーワードでした。

いつもの如く,音霊はとても抽象的なのです。大は小を兼ねると云う言葉がありますが,まさにその通りで具体性に欠ける為,何に対してなのかが解らないのです。さっそく,音霊のキーワードを自分自身の心「高天原」の宮柱「心柱」に落としてみると,物事は三つ揃い,合わさることが重要だと云うことでした。つまり,祈りだけでも駄目。行ずるだけでも駄目。省みるだけでも駄目だと云うことです。三つ揃って一つに成るようです。祈りだけすれば豊かに平穏に暮らせるなんてことはあり得ませんし,行ずるとは仕事ですから仕事だけしていても心労や疲労だけが溜まり続けてしまいます。要は,心にゆとりもなくなり,視野も狭くなる訳です。また省みるだけでも何時も弱々しい感じもしますし,遠慮ばかりする様になってかえって自分の周りの人に気を遣わせてしまいます。

やはり,どんな物事にも「始め為り 終わり成りがあると云うように順序や順番,序列や段階が必要なのだと理解しました。

以前,第十一代垂仁天皇の皇女である倭姫命とは,どのような人物だったのか勉強していた時がありました。勉強と云っても御宮に参拝させて頂いたり,倭姫命の生涯を簡単に勉強した程度です。その倭姫命が残したと云われる御言葉が「倭姫命世記」に記載されています。そこには下記のように読むことが出来ます。今を生きる私たちにも大変,為に成ることが書かれています。

人は天下の神物なり。心神を傷ましむことなかれ。
神は垂るるに祈祷をもって先となし,冥は加うるに正直をもって本となせり。
神を祭るの礼は,清浄をもって先となし,真信をもって宗となす。

黒心なくして,丹心をもちて,清く潔く斎り慎しみ,左の物を右に移さず,右の物を左に移さずして,左を左とし右を右とし,左に帰り右に回る事も,万事違う事なくして,大神に仕え奉る。元を元とし,本を本とする故なり。

上記のような御言葉を残されております。倭姫命をお祀りされている御宮は三重県伊勢市楠部町5に御鎮座されております。

日本には,元々,御互い様と云う言葉があります。人生において自分の力だけでは困難なことがあるのだから,困った時はお互い様ですと云う意味です。最近は,意味不明な言葉に自己責任と云う言葉が流行り出し,なんでもかんでも自己責任だと云われています。今日も意味不明な終わり方ですが,祈りを以て行を成し,終わりを以て省みる。これを繰り返し,繰り返し日々の生活面で実践することで意義のある人生を送れるように感じています。幾千年時代が経過しようとも真理の言葉は変わらないようです。


 

  

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私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

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祖霊祭祀と遺伝子の働き。

2017年12月02日 00時00分01秒 | 素直の心柱

 

以下は「2017.3.19」に掲載したhttp://blog.goo.ne.jp/kanzeon123/e/c592c09b5ce26b5b8eeda7aa45371a21記事です。

こんにちは。

昨日18日は観音様の縁日の日でもありました。そして春の祖霊感謝祭が23日の彼岸明けまで続きます。

そこで今日は,私の好きな神道家でもあった春日大社の前宮司「葉室頼昭」先生が生前に書かれた「御力」と云う本の中から一部抜粋し,ご紹介させて頂きたいと思います。これまでもブログで葉室先生の著書や内容の一部についてはご紹介をさせて頂いて来ましたが,神道の奥義は日常生活の中にこそ存在し,且つ与えられた環境の中で努力することで誰でも神様との縁を結ぶことが出来ると私は感じております。さらに,互いに足りないところを補い,支え合い,助け合うことが神様の御心そのものだと想っています。

神恩感謝に心音感謝。毎朝毎夕祖霊に感謝。

以下,葉室頼昭先生の著書「御力」より一部抜粋です。

第5章 神を敬い祖先を尊ぶ。祖先を祀ることの大切さ。

今,我々が言うところの祖先というのは,何代か前に初めて今の商売を始めた人だとか,

今住んでいるこの地方に住みついた人とか,何かを始めた人を指しています。

もとろんそれより先に続いている祖先がいるはずなのですが,

祖先というと何か現代につながる生活というか,生き方をしてきた人を祖先と感じているのではないでしょうか。

例えば日本人の祖先と言ったら,日本人の共生という,自然と一つになるという生き方を始めた人たち。そして,いわゆる我々が喋っている日本語という言葉を通して,お互い心が通じ合うようになった人たち。だから祖先というのは物質的なものではなくて,我々と共通の生活習慣というか,そういうことを始めた人を日本人の祖先というのではないかと思います。

遺伝子学的に言うと,そういう祖先の記憶が我々の遺伝子にも入っているのですから,

それをフルに活用していくということが「いのち」を伝えるということであって,

これが民族が栄えていく本当の道ではないかと思います。世界には,いろいろな民族が暮らしていますが,日本人のように祖先の祀りを常に行う民族というのは,数少ないのではないかと思います。

それにはさまざまな理由があると思いますが,一つには,やはりこの日本列島というところに長年住んでいるうちに生まれた自然と共生するという生き方があります。この共生というのは一緒に生きようというのではなくて,一つになろうという,そういう世界でも稀なる生き方です。

これが原点になって,そこから神様や祖先に生かされていることに感謝するという生活が育まれてきたと思うのです。

外国の宗教,例えばキリスト教であれば,天に神様がいらっしゃって,その神様が天地のすべてのものを造られたという考えで,神様は人間とはまったく別の世界におられ,その神様に人間はいろいろなことを願うというのが一般的な宗教の形だと人々は思っています。

しかし日本人はそういう考え方ではなく,この章の初めにも申したように「古事記」の一番最初「神代編」に,神様が生って生まれると記されているように,神様もある実在の世界から生まれていらっしゃる。最初に,天御中主神様の御心というか,知恵というものがまず現れてきて,そこにムスビの神様が現れ,その知恵が結ばれて次から次へといろいろな神様が現れ,そしてイザナギ・イザナミの命ご夫妻の神様が誕生され,そしてたくさんの神様をお産みになった。

この考えは,神様の御心からすべてのものが生まれ,そして神様と人間は全部つながっているということです。

こういうところから神様とも祖先ともつながっているという考えが生まれてきたと思うのです。

すべてがつながっているのですから,あの世で祖先が幸せになってくれなければ,我々もまた幸せにはならない。当たり前のことですが,そういう考えで昔から日本人というのは祖先の祀りを行って来たのです。

神社で行われているお祭りについても,祖先のお祭りに関わるものが数多く行われています。

神社にはいろいろな神様がお祀りされています。過去に実在していた方もおられるし,また高天原におられた天の神様もいらっしゃる。こういう神々もすべてつながっている。要するに神様と人間は別個のものではないという考えで,そして常に神様をお悦ばせすることを行い,神様と一つになろうということでずっとやっているのが神社の祭りなのです。

これを医学的に見るならば,祖先からの遺伝子というものが我々の体の中に入っている。

お父さん,お母さんと同じ遺伝子がこの体の中に伝わってきているわけです。

考えたらこれは非常に不思議なことで,この遺伝子というものの中には,何もしなくても働く遺伝子もありますが,中にはこちらから働きかけなければ活動しない遺伝子もあります。

ですから,こちらから祖先に感謝するとか,そういうことをしないと働かない遺伝子もあるわけです。

つまり,常に祖先の祀りをする。

そうすれば医学的に祖先から受け継いだ遺伝子が目覚め,その働きによって我々も健康で幸せな生活を送ることができる。

こういう遺伝子という観点から見れば,祖先のお蔭で生かされているということは事実であり,

その恩に感謝するということは当たり前のことです。

以 上


  

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私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

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