花咲あさひ の 心神とともに。古神道と和の仕組の復活への道

感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び・怒りあと1つの心柱は?
観世音菩薩は裸足で山を飛び出して行きました。

祈りを忘れた宗教家 ~剣を箒にかえて~ 1

2017年12月15日 00時00分00秒 | 怒りの心柱

 こんにちは。今日は,過去記事の紹介ではありません。

さて,先日は,東京の下町に御鎮座されます神社で,悲惨な事件が起きてしまいました。あの神社地域は,深川と云って東京大空襲の爆心地(中心地)であった場所です。焼け野原となった東京下町の復興を象徴する神社として戦後の下町を支え続けて来たのです。又,大相撲の発祥の地ともされ,地元や東京下町の人々で大いに賑わう御神輿「深川祭」でもとても有名な神社なのです。

先ずは,亡くなった方々の御冥福をお祈り致します。

神社や寺院は,宮司や住職の個別の所有物ではありません。私は神社や寺院の護持やマネジメントをさせて頂く仕事をしていますので「個別の所有物」と考えている宗教家がいることは真に残念なことであります。その様な基本的な事を忘れ,私利私欲に走り,氏子や崇敬者,檀家や信徒のことよりも自分のことを先ず優先させる身勝手さに言葉もありません。

今回の悲惨な事件となった神社を篤く崇敬し,信仰の対象とされて来た参詣者の気持ちを考えると虚しい気持ちにもなってしまいます。もしも,自分が同じように崇敬する神社であのような事件が起きてしまったら凄く悲しいことです。ただ,当該宗教法人の責任役員や総代会のメンバーは別です。神社や寺院の責任役員や総代会のメンバーになるということをこれを機に学ぶべきです。

とにかく神社や寺院の「護持」とは何か?を考えて頂きたいと思います。護持が機能していればと思うばかりです。

護持と云う言葉もあまり聞いたことがないかも知れませんが,護持には主に3つあり,氏子や崇敬者,参拝者における護持。これが1つ目。神社や寺院に建つ礼拝施設などの護持。これが2つ目。そして神社や寺院の運営「経営」の護持の3つです。この3つの護持を総称して「祭祀」と云います。たとえば,神社の境内に落ちているゴミを拾う。これも立派な祭祀ですし,護持であります。

したがいまして,護持と云うのは過去何千年と私たちの祖先が続けて来たものです。

私も業務で神社や寺院のさまざまな起案をしますし,計画の立案もします。そして,責任役員会や総代会へ出席して先の3つの護持について議論をします。中には1つの事柄で200回以上のカンファレンスを積んだものもありました。実際にある話ですが,何十年に一度の観音開帳というような記念事業は,その準備期間も相当なもので10年以上も前から計画の立案作業に着手しています。

しかし,ここでの主体は神社や寺院の神職や僧侶ではありません。あくまでも護持の主体とるのは氏子と崇敬者,寺院であれば檀家と信徒の皆さんです。つまり,神社の宮司や寺院の住職がするものではないのです。私のこれまでの経験上,宮司や住職が護持の主体となるとそこには権力が生じて来ました。この権力こそが宮司や住職には不要なものです。

その理由については,また書かせて頂きます。


  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝