はやしんばんぱくの、めげてめけめけ、言論の不自由ブログ

全国各地へ飛び回り、めげてめけめけめげまくり、色々書いていましたが、ブログ終わりました。過去を読めばいい!サラバじゃ~!

たわごと。

2013年03月24日 10時08分36秒 | テレビ番組シリーズ
泣くな、はらちゃんが終わった。
非常にダダっすべりな最終回だったと感じた。
第1話から3話くらいまでがかなり面白かっただけに残念なドラマだった。

とかく視聴者をバカにしているのか?ってくらい親切で気持ちが悪い作りだった。
「それ、わかってるよ、伝わってるよ」って事をセリフとして言わせすぎ。
活字ならともかく、ドラマである。
そんなセリフは時にこそばゆい。
だからお話がどんどん薄っぺらくなっていく。
感動の安売り現場を見せつけられているように思えた。

ならば見るのやめればいいじゃん。とか言いつつ、結局最後まで見てしまった。
これ、ある意味はめられているのかもしれない?なんて。
視聴率を見るとかなり低い。けれども評価は極めて高い。特に若者にウケている。
もしかしたら、これが今なんじゃないか?という引っかかりを持った。
ならば見とかなきゃ。見てこちらも考えなきゃ。
このドラマが伝えようとするもの、ではなく、このドラマをとりまく環境からの今を
と、我ながら勝手に思ってしまったわけだ。

で、良い意味ストレート、見方を変えれば軽薄な、泣くな、はらちゃん。
この作者や製作側が、もしこのドラマのターゲットをお茶の間とし
今のお茶の間のレベルをここまでと判断して作品をそこにあわせて作ったものだとしたら
それがエンタテインメントだと、ポップだという事で作り進めていったのだとしたら
それはやっぱりあまりにも軽薄な出来なんじゃないか?と感じてしまう。
しかし、回りくどいメッセージなどまどろっこしいものは今必要とされない。
ストレートなもの言いにこそ強い説得力があり、それが出来るものこそがリーダーであり
そしてヒーローとなる。時代はそんな風潮を求めている
という描き方であれば、まあなんとなく受け入れられよう、とも思う。
実際それにしても、作りが雑だと思ってしまう。

いろんなテーマやモチーフやディテールをもりこみすぎてすっきりしていない。
けれどもはじめの数話は、それこそ先に書いた後者の「ストレートなもの言い」にはまり
余計が削がれてすっきりして面白く、登場人物のキャラも逆にナチュラルに楽しく
こちらに考える楽しみを残した作りになっていた。
登場人物たちがドラマの中で生きて、ドラマの人生を送るものを僕らが見て楽しむ。
登場人物の人生が変な言い方だがドラマティックであればあるほどこちらの楽しみも増す。
単純なことだけど、そこが娯楽のひとつである。
笑いの中に切なさが見え、そこを裏返す余裕を
こちら側にもたせてくれる作りの優しさが、実際このドラマの最初の数話にはあった。
だからとても面白く感じたのかもしれない。

メッセージの安売りは結果メッセージを余らせ腐らせてしまうことにもなりかねない。
ただ、これだけ情報が垂れ流されている今、受け手の感受性も様々だ。
それこそ上手に選択し、上手に感動し、上手に楽しんでいる。
受け手はそれほどバカじゃない。極めて素直であるだけだろう。
ここまで色々書いてきて、自分がおもいきりカタブツに思えてきた。
そんな自分もふくめて、泣くな、はらちゃん
ちょっぴりわだかまりが残るドラマだったとしておこう。
それって結構楽しんでいる証拠な気もする。

さて、出かけようかな。
少し肌寒いが、相変わらずの薄着で。

めけめけ~。

写真。昨晩帰りの桜。


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