20代中盤で雑貨メーカーに入社し
同社で営業サラリーマンとして数年
部長として数年働き
そんで今、先代を引き継ぎ代表になってみて
立場立場でモノの見え方が変わってゆくという面白い体験をしている。
面白い
っちゅうか
それはある意味結構キツいかな
いや、キツいのはかなりかな。
度を越せば楽しくなるのだろうが
ランナーズハイにはまだまだ時間がかかりそう。
どM的発想で面白い!
そんな気持ち的体験でもある。
んなもん
立場が変われば
ってやつで当然さ!
と言われてしまえば
はい、それまぁでぇよ!なんだけど
でも短期間で一気にこんな体験、なかなか出来たもんじゃないと思う訳。
入社したばかりの頃は
心が期待と不安で満ち溢れていた。
意識は「やりがい」と「銭」にあった。
そこに「責任」はまるでなかったように思う。
下っぱ研修期間の頃の僕は当社の商品を
「シリーズで分かれているみたいだが
どれもこれも同じモノにしか見えねぇな~。
何かよく分かんねーけど
売れって言われりゃ何でも売るぜぃ」
的に営業という仕事を
「なんか色んなとこに行けてサイコー!」
程度にしか思っていなかった。
働く身として
ちょー能天気お気軽だったと思う。
とにかく何も考えちゃいなかったのだ。
それで良し!である。
研修期間も終わり
ビギナーズラックでポンポン売っていた初期の頃
わずか数ヶ月で爆発的に給料が上がるという異例の昇給を体験。
頑張りゃ銭が貰えるYO!程度にはしゃぎ
売り上げの伸びに対しての上の人間達の真の喜びや生みの苦しみなんて
全く共感も出来ちゃいなかった。
が、それでも良し!である。
他の営業さんが皆辞めてしまい
それから1人で全国を担当する事となる。
そのあたりからやっと
当社の商品の良さが分かってきて
人に認められる喜びをマネーという形で味わい
今まで全ての上司という存在をバカにして生きて来た生き方を
多少改めたのだった。
現金なもんだ。
しかし当時はそれが当たり前。
そんなもんで良し!だ。
ただその頃は非常にお気楽だった。
あまりヘマはしなかったけど
ミスはとにかく全て上司が責任を被ってくれたし
必死にならずともちょー稼げちゃっていたから
常にヘラヘラヘラヘラしてたっけ。
調子にのるって事も、時として大切で
ノッている時ってのはツイているものだ。
しかし雑貨ブームが終息を迎え
ヘラヘラしてたらこのありさまだ
ボサーっとしてたらお互い様だ
みたいな状態になった。
とにかく上司の締め付けが厳しくなる。
うるせー糞ババア!とか言いつつ
僕の営業スタイルは変えずに突き進む事に。
人の気持ちも知らないで!
なんて
自分は上司の気持ちも
社長の気持ちも
当然知ろうとなどしなかった。
良い!別に構わない!
勝手気軽な身分
管理しなければならない責任の重さ
全ては人間関係と立場関係の相違である。
景気と共に売り上げも下降。
スタイル変えずにやり方を変えて
なんとか踏みとどまった辺りで新分野を提案。
もうこのまま
ただ雑貨を売っていたんじゃダメなのだと
大胆な方向転換をプレゼンし
バカにされ、上司連中の分厚い壁に激突する。
ふざけんなバカヤロー!
なんつってふてくされ。
会社として新分野に挑む事程
莫大な予算と時間と人を要するものだなんて
当然考えることもない訳だ。
考えなくても良い!
上としては慎重にならざるを得ない。
僕は「とにかくやってみないと分からない!やるなら早くせぃ!」
なんて強引にスピードを要求。
責任が無いもんだからお気軽なものである。
しかしこの件で
僕は責任を要求される事となる。
デザイナーと共に新分野を任され
それが当たり、部長になっちまったのだ。
嫌だったぁ~。
めんどくせーと思った。
だからこの昇進を拒否った。
で、社長にちょー怒られた。
昇進が嫌だなんて頭おかしいと言われた。
普通は喜ぶもんだと。
あー異常で結構、責任は重っ苦しいし
管理職となりゃ給料固定で激減するし
すぐ「部長のくせに」と突っ込まれるのがオチだし
正直まるで解き放たれちゃいない。
社長に上手い事やりこめられている気がしてならなかった。
実際やりこめられたのだが
それにプラスして社長の意図は
もっと正当な部分にもあったのを
僕は知ってまるで知らん顔だった。
ここら辺で
「良い良い」がそうもいかなくなる。
部長となり責任が膨大になったからだ。
どんどん動いた。
そしたら元上司や社長に猛反発、反撃をくらい
何故か理不尽に邪魔をされた。
この頃はもはや先代が老化現象の歪みにおり
もう何が正しいやらぐっちゃぐちゃ。
社内もめちゃくちゃ。
で、あれよあれよと引き継ぎを受け
今に至るという訳だ。
後半のひどさも含め、すさまじい流れである。
その都度そのポジションになってみて
はじめて見えるものがある。
今、僕が見ている世界は
後戻り出来ない大変とやりがいの境地である。
責任という言葉では片付けられない孤独な世界である。
関わっていただいているスタッフさん達に
「まぁ良い良い」と言えるような度量を持って上がる土俵上である。
ふりまわされていた今までから今を思うと
ある意味
自分勝手くらいが丁度良いのかも
なんて近頃そんなふうに思う。
孤独な思いである。
それでよい。
とどのつまり
全額投資している俺の会社だ。
先日前社長にとある用事で電話をかけた。
久々に話したが
痴呆と癇癪と理不尽と短気が急速に悪化していた。
何か事故がおきるか、施設に入るか
ありゃ秒読みだが
このまま自分が年老いたら
たどり着く先はあの境地なのだろうか。
ボケからの眺めはどんなだろう。
そこへ行き着くまで僕の人生は
まだまだ果てしなく続く。
と、
思う。
めけめけ~。
写真。長年愛用営業カバン。
同社で営業サラリーマンとして数年
部長として数年働き
そんで今、先代を引き継ぎ代表になってみて
立場立場でモノの見え方が変わってゆくという面白い体験をしている。
面白い
っちゅうか
それはある意味結構キツいかな
いや、キツいのはかなりかな。
度を越せば楽しくなるのだろうが
ランナーズハイにはまだまだ時間がかかりそう。
どM的発想で面白い!
そんな気持ち的体験でもある。
んなもん
立場が変われば
ってやつで当然さ!
と言われてしまえば
はい、それまぁでぇよ!なんだけど
でも短期間で一気にこんな体験、なかなか出来たもんじゃないと思う訳。
入社したばかりの頃は
心が期待と不安で満ち溢れていた。
意識は「やりがい」と「銭」にあった。
そこに「責任」はまるでなかったように思う。
下っぱ研修期間の頃の僕は当社の商品を
「シリーズで分かれているみたいだが
どれもこれも同じモノにしか見えねぇな~。
何かよく分かんねーけど
売れって言われりゃ何でも売るぜぃ」
的に営業という仕事を
「なんか色んなとこに行けてサイコー!」
程度にしか思っていなかった。
働く身として
ちょー能天気お気軽だったと思う。
とにかく何も考えちゃいなかったのだ。
それで良し!である。
研修期間も終わり
ビギナーズラックでポンポン売っていた初期の頃
わずか数ヶ月で爆発的に給料が上がるという異例の昇給を体験。
頑張りゃ銭が貰えるYO!程度にはしゃぎ
売り上げの伸びに対しての上の人間達の真の喜びや生みの苦しみなんて
全く共感も出来ちゃいなかった。
が、それでも良し!である。
他の営業さんが皆辞めてしまい
それから1人で全国を担当する事となる。
そのあたりからやっと
当社の商品の良さが分かってきて
人に認められる喜びをマネーという形で味わい
今まで全ての上司という存在をバカにして生きて来た生き方を
多少改めたのだった。
現金なもんだ。
しかし当時はそれが当たり前。
そんなもんで良し!だ。
ただその頃は非常にお気楽だった。
あまりヘマはしなかったけど
ミスはとにかく全て上司が責任を被ってくれたし
必死にならずともちょー稼げちゃっていたから
常にヘラヘラヘラヘラしてたっけ。
調子にのるって事も、時として大切で
ノッている時ってのはツイているものだ。
しかし雑貨ブームが終息を迎え
ヘラヘラしてたらこのありさまだ
ボサーっとしてたらお互い様だ
みたいな状態になった。
とにかく上司の締め付けが厳しくなる。
うるせー糞ババア!とか言いつつ
僕の営業スタイルは変えずに突き進む事に。
人の気持ちも知らないで!
なんて
自分は上司の気持ちも
社長の気持ちも
当然知ろうとなどしなかった。
良い!別に構わない!
勝手気軽な身分
管理しなければならない責任の重さ
全ては人間関係と立場関係の相違である。
景気と共に売り上げも下降。
スタイル変えずにやり方を変えて
なんとか踏みとどまった辺りで新分野を提案。
もうこのまま
ただ雑貨を売っていたんじゃダメなのだと
大胆な方向転換をプレゼンし
バカにされ、上司連中の分厚い壁に激突する。
ふざけんなバカヤロー!
なんつってふてくされ。
会社として新分野に挑む事程
莫大な予算と時間と人を要するものだなんて
当然考えることもない訳だ。
考えなくても良い!
上としては慎重にならざるを得ない。
僕は「とにかくやってみないと分からない!やるなら早くせぃ!」
なんて強引にスピードを要求。
責任が無いもんだからお気軽なものである。
しかしこの件で
僕は責任を要求される事となる。
デザイナーと共に新分野を任され
それが当たり、部長になっちまったのだ。
嫌だったぁ~。
めんどくせーと思った。
だからこの昇進を拒否った。
で、社長にちょー怒られた。
昇進が嫌だなんて頭おかしいと言われた。
普通は喜ぶもんだと。
あー異常で結構、責任は重っ苦しいし
管理職となりゃ給料固定で激減するし
すぐ「部長のくせに」と突っ込まれるのがオチだし
正直まるで解き放たれちゃいない。
社長に上手い事やりこめられている気がしてならなかった。
実際やりこめられたのだが
それにプラスして社長の意図は
もっと正当な部分にもあったのを
僕は知ってまるで知らん顔だった。
ここら辺で
「良い良い」がそうもいかなくなる。
部長となり責任が膨大になったからだ。
どんどん動いた。
そしたら元上司や社長に猛反発、反撃をくらい
何故か理不尽に邪魔をされた。
この頃はもはや先代が老化現象の歪みにおり
もう何が正しいやらぐっちゃぐちゃ。
社内もめちゃくちゃ。
で、あれよあれよと引き継ぎを受け
今に至るという訳だ。
後半のひどさも含め、すさまじい流れである。
その都度そのポジションになってみて
はじめて見えるものがある。
今、僕が見ている世界は
後戻り出来ない大変とやりがいの境地である。
責任という言葉では片付けられない孤独な世界である。
関わっていただいているスタッフさん達に
「まぁ良い良い」と言えるような度量を持って上がる土俵上である。
ふりまわされていた今までから今を思うと
ある意味
自分勝手くらいが丁度良いのかも
なんて近頃そんなふうに思う。
孤独な思いである。
それでよい。
とどのつまり
全額投資している俺の会社だ。
先日前社長にとある用事で電話をかけた。
久々に話したが
痴呆と癇癪と理不尽と短気が急速に悪化していた。
何か事故がおきるか、施設に入るか
ありゃ秒読みだが
このまま自分が年老いたら
たどり着く先はあの境地なのだろうか。
ボケからの眺めはどんなだろう。
そこへ行き着くまで僕の人生は
まだまだ果てしなく続く。
と、
思う。
めけめけ~。
写真。長年愛用営業カバン。