11月17日(金)曇 風が冷たい一日だった
国道142号線に面した農ん喜村に9時30分に集合し中山道茂田井宿を中心にウオーキングするイベントに参加した。集合場所から一段高い処にある施設は滞在型市民農園のクライネガルテンと都市農村交流施設としての交流促進センターが設けられている。
このコースは我々の仲間「ふるさとプロジェクト」「たてしな歴史研究会」でお馴染みのコースなので楽しみだ。また、今日は特に町の文化財保護委員の田中幹氏が全コースに同行していただけるというありがたいことだった。農ん喜村を後にすると直ぐに、史跡「ヒノ雨塚古墳」が説明を聞かなくては解らないようなひっそりとした姿で愛おしく観じられた。やがて茂田井宿に入ると昔の家並みが白壁と黒瓦で整然として往時の繁栄を物語る。江戸時代の古文書等に見られる住居の姿や道の形ちの変容は集落が明治・大正前期に生糸によって経済が繁栄し文化を破壊して来た姿が如実に表れている。旧中山道から南に向けて参道を歩き見事な鐘楼と六地蔵で有名な無量寺、そこから東へ進み茂田井諏訪神社、この境内には拝殿と歌舞伎の舞台(現在使用不可)があるが、拝殿の中に納められている本殿には美事な彫刻が施されており大工棟梁の田中円蔵による立川流の建築として末永く保存されることを願う。
茂田井宿は昭和に入り大澤酒造・大澤洋三氏によって「間の宿」(あいのしゅく)と付け加えられるようになたが、これは芦田宿と望月宿の間にあることからその親密度を謳ったものであろう。しかし、今では望月という表現は公にはなく佐久市にとって変わられた寂しさが感じられた。
11時30分に出発地に戻り解散となった。今日は新しい発見が沢山あったのは田中幹先生のお陰だと思う。文化の伝承には今できることをできる人がやって行かなくてはならないと解散後に仲間で話しあったのが大変嬉しく思う。
立科町文化財委員 田中 幹先生に感謝申し上げたい。
国道142号線に面した農ん喜村に9時30分に集合し中山道茂田井宿を中心にウオーキングするイベントに参加した。集合場所から一段高い処にある施設は滞在型市民農園のクライネガルテンと都市農村交流施設としての交流促進センターが設けられている。
このコースは我々の仲間「ふるさとプロジェクト」「たてしな歴史研究会」でお馴染みのコースなので楽しみだ。また、今日は特に町の文化財保護委員の田中幹氏が全コースに同行していただけるというありがたいことだった。農ん喜村を後にすると直ぐに、史跡「ヒノ雨塚古墳」が説明を聞かなくては解らないようなひっそりとした姿で愛おしく観じられた。やがて茂田井宿に入ると昔の家並みが白壁と黒瓦で整然として往時の繁栄を物語る。江戸時代の古文書等に見られる住居の姿や道の形ちの変容は集落が明治・大正前期に生糸によって経済が繁栄し文化を破壊して来た姿が如実に表れている。旧中山道から南に向けて参道を歩き見事な鐘楼と六地蔵で有名な無量寺、そこから東へ進み茂田井諏訪神社、この境内には拝殿と歌舞伎の舞台(現在使用不可)があるが、拝殿の中に納められている本殿には美事な彫刻が施されており大工棟梁の田中円蔵による立川流の建築として末永く保存されることを願う。
茂田井宿は昭和に入り大澤酒造・大澤洋三氏によって「間の宿」(あいのしゅく)と付け加えられるようになたが、これは芦田宿と望月宿の間にあることからその親密度を謳ったものであろう。しかし、今では望月という表現は公にはなく佐久市にとって変わられた寂しさが感じられた。
11時30分に出発地に戻り解散となった。今日は新しい発見が沢山あったのは田中幹先生のお陰だと思う。文化の伝承には今できることをできる人がやって行かなくてはならないと解散後に仲間で話しあったのが大変嬉しく思う。
立科町文化財委員 田中 幹先生に感謝申し上げたい。