したのやムラ便りG

東京の片隅に眠る下野谷遺跡。「したのやムラ」と呼ばれる縄文のムラがありました… (non official site)

「したのや縄文キッズくらぶ」最終回と原爆投下訓練の話

2011年09月12日 05時45分12秒 | かめしーたのひとりごと

かめパパはまだ入院中。

今日は親戚がたくさんお見舞いに来てくれました。

ありがとうございました!

少しづつ元気になってます。

                                                           

5月から始まった「したのや縄文キッズくらぶ」も昨日が最終回。

15人のキッズたちは、縄文時代や下野谷遺跡のことを勉強して、

縄文土器を観察して、

縄文人と同じ粘土で土器を作って、焼いて

「したのや縄文キッズ認定証」をもらい、卒業です。

あの元気の良い笑顔にあえなくなると思うと、淋しいなあ・・・。

                                                               

Cimg0351a  第1回 下野谷遺跡公園見学

                                                               

Cimg0362a  第1回 遺跡公園でからむしの糸づくり

                                                                   

Cimg0373a  第1回 縄文土器スケッチ

                                                              

Cimg0489a  第2回 縄文土器洗いと観察

Cimg0488a_2    第2回 縄文土器観察

      第3回 土器作り(8月20日ブログを)

      第4回 土器焼き中止のため東京都埋蔵文化財センター見学(8月22日ブログ)

                                                           

                                                            

そんな第5回めの最終回は、ミニ遠足からスタート。

柳沢公民館から近くの「しじゅうから第2公園」へ。

                                                         

「土器とか埋まってるの?」

「栗とかなってるの?」

残念ながらどっちも違うけれど、

ここは大きな歴史的な出来事のあった場所なんだよ。

                                                                

終戦を半月後に迎える1945年7月29日、

この公園の東向かいに一発の爆弾が投下され、3名の尊い命が奪われ、

爆風で民家なども倒壊しました。

投下された爆弾は「パンプキン爆弾」。

その後、8月9日に長崎に投下されることになる爆弾と同型で、

投下した飛行機も、長崎に原爆を投下したのと同じ

「ボックス・カー」とういう名のB29でした。

米軍は原爆投下に供え、様々なデーターを得るため、

全国で50か所の投下訓練を行いました。

その際、天候などのため投下できず残ってしまった爆弾を、

当初の目標とは違う、見慣れたこの地に投下して帰ったのです。

                                                            

見慣れたこの地とは・・・。

                                                           

西東京市の隣の武蔵野市の現在の都立武蔵野中央公園のある場所には、

かつて、航空機のエンジンを制作する

中島飛行機武蔵製作所」がありました。

この軍需工場こそ、日本本土爆撃の第1号となったターゲットでした。

その後、終戦までに9回もの爆撃を受けたこの地は、

米軍にとって見慣れた地だったのです。

キッズの中には、おじいちゃんが中島飛行機武蔵製作所で働いていた子もいましたが、

この原爆投下訓練のことを知る子はいませんでした。

戦争と平和を考える大事な出来事、

ぜひ、子供たちが知ることができるチャンスをもっと作らねば、と改めて思いました。

                                                           

その後、柳沢公民館に戻り、

公民館の入り口にある爆弾の破片と爆撃の際の航空写真を見学。

                                                             

「縄文時代には戦争がなかったんだよね?」

そうだよ。

したのやムラは1000年もずっと平和で幸せなムラだったんだよ。

平和のために戦争も必要という人がいるけれど、

本当にそうだと思う?

戦争の悲惨さ、ばからしさと平和の大切さを、

どこか、心の片隅でも刻んでくれたらと思います。

                                                         

110911_   お祭りの日に遺跡公園に展示します。

                                                             

そのあと部屋に戻り、これまでの復習をしながら、

縄文時代のポスターを作りました。

みんなかわいい!

                                                              

子供たちがこんな風な明るい色合いの絵を笑顔で描ける日常が、平和が

いつまでも続きますように。

そして、半年前の今日、そんな幸せな日常を、なすすべもなく奪われた、

被災された全ての方々にも、そんな明るい日常が一刻も早くもどりますように・・・。

心から祈る一日です。(9月11日)

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