1944年(昭和19年)11月24日
西東京市の南に隣接する武蔵野市にあった
中島飛行機武蔵製作所にB29が爆弾を落としました。
第二次世界大戦における日本本土爆撃の始まりでした。
ゼロ戦のエンジンを製作していた中島飛行機武蔵製作所は、
その後もたびたび爆撃の目標にされます。
その爆弾は風等の影響で西東京市の市街地まで流されることもあり、
市民にも大きな被害を与えました。
1945年(昭和20年)4月12日
そういった爆弾が現在の田無駅付近に落ちました。
1トン爆弾という破壊力の大きなこの爆弾により多くの方々が尊い命を亡くしました。
終戦の約4カ月前のことです。
戦後1957年にこの爆心地に慰霊塔が建立されました。
その後駅前の開発に伴い、この慰霊塔は総持寺の門前に移され、
現在田無駅前には「田無戦災記念碑」と「平和のリング」が建てられています。
西東京市は、非核・平和都市宣言をし、
この4月12日を「西東京市平和の日」として定めました。
今日午後1時には、黙とう呼びかける防災無線がならされます。
戦争と平和について考える1日にしたいと思います。
関連するパネル展などが15日(日)まで、田無駅のアスタビルで行われていますので
ぜひ足を運んでください。
リンクの西東京市HPで詳細がご覧になれます。
また、西東京市にはこれ以外にも多くの戦争に関連する場所や記念物などがあります。
したのやムラのある下野谷遺跡の地下にも、
中島飛行機武蔵製作所の地下壕がありました。
これから、少しずつでも、西東京市にのこる
戦争の傷跡についてもご紹介していきたいと思います。
この花に慰められますように
花を愛でることができる
平和な世界が訪れますように。