新河鹿沢通信   

暮らしの中から 村の歴史 足跡 集落 跳躍  麓風小舎     

夏の贈り物

2015年07月15日 | 足跡
「夏の贈り物」、食べれる「夏の木の実」を意識したのは3年前、房総への旅で再会した友人との話からだった。友人の柴崎君は小学の時から親しい関係。彼は地元に就職後間もなく東京へ出て行った。昭和30年代高度経済成長へ向かう時代だった。当時帰省の度に尋ねてきた。地元に残った者にとって都会のニュースはある種の新鮮な響きがあった。

以来時代は変遷、再会は還暦の後一度だけで。古稀を通過し彼が退職したことを知り、房総行きを企画した。早春の3月、東京湾を望むある街の寿司屋で実現した。中卒以来の出来事を振り返ると話題などつきない。「夏の木の実」はその時の主要なキーワードだった。

戦後の混乱していた時代は小学生。食糧が乏しいのは日常。学校給食などはない世代にはあまり思い出したくない時間。それでも米や野菜を作っている農家にはいくらか食べ物はあった。腹が減るとこの時期にはキュウリ、トマトに茹でたジャガイモ。何にもなければ残りごはんの「焼味噌つけおにぎり」が最高のおやつだった。

友人は川連漆器の生産地。小学生の時に「根岸(川連集落)に行くのが楽しみだった」と云う。6月から7月にかけて「夏の木の実」の季節。房総の新鮮な寿司にサシミと地酒、あの頃を話題にすると時間はアッと云う間に過ぎてしまった。

6月の「シャゴミ」(ナツグミ)木に登りよく食べた。我家の坪庭に「シャゴミ」の木があった。あまり大きい木ではなかったが30数年前には伐ってしまった。生命力が強いのか根元から側枝が出てきて今も実をつける。大粒の「シャゴミ」の木は他の友達の家にあり、何人かで食べ歩くのが楽しみな出来事だった。柴崎君との話を思い浮かべて、一粒食してみたが渋い味だった。ナツグミを「シャゴミ」と呼ぶのは秋田、岩手、山形周辺だけだろうか。

シャゴミ(ナツグミ)2015.6.15 自宅

当時最も美味いは「クワノミ」だった。当地域で「カンゴ」とも言った。桑の実を桑の子から音変化しカンゴになった。当時はまだ養蚕が盛んで村には相当の桑の木があり、「桑の実」は豊富だった。当地方は文政9年(1826)秋田藩に養蚕方が置かれ、養蚕役所の支配に命じられた「関喜内」の出身地だ。文化3年(1806)肝煎りの「関喜内」は自費で現在の福島県伊達郡に養蚕の研究に行き、地域に広めた人物で当時桑、漆、杉などの苗木等を分け与え奨励したと云われている。そのような背景の川連集落は畑や山にもたくさんの桑の木が植えられていた。

6月から桑の実は食べ放題。あまりにも口に運ぶものだから、食べた全員が口元が赤紫色に染まってしまった。なつかしい想いに染まる。現在は集落に桑の木をほとんどない。養蚕が廃れると同時に切り倒されてしまった。わずかに残っている老木も多くは実をつけない。ここ数年「クワノミ」を見たことがなかった。このたび「雄勝野草の会」の研修で訪れた、山形市野草園で見事な「クワノミ」に出合った。


 クワノミ 2015.6.10 山形市野草園

一粒食べてみた。当時の味がほのかに蘇って懐かしくなった。

キイチゴ 2015.7,10 川連町坪漆

「キイチゴ」(木苺)は赤い実と黄色の実(黄苺)のものがあってどちらも似たような味、黄色の実の「キイチゴ」の葉がモミジに似ていることから「モミジイチゴ」等と云った。クマの大好物とも云われる。少々枝に棘があり、腕を血に染めたりしたが忘れられない味だった。

「クワノミ」や「キイチゴ」と並んで屋敷周りには「スグリ」の季節になる。少し渋みの味のものとビー玉ほどの大きさになるものとがあったが、この頃少なくなったしまった。我家の坪庭の当時の「スグリ」が残っている。樹齢150年以上にもなる栃の木の根元、雪椿と一緒の所で日陰になり、あまり多くの実はつけない。友人木村宅に見事な「スグリ」に再会した。

スグリ 2015.7.2 湯沢市川連町屋布廻

「スグリ」は一般的にジャムやシロップなどに加工されている。ビタミンが豊富に含まれ、「アントシアニン」など「ポリフェノール」が多いので健康食品の材料に使用されている。「アカスグリ」より「クロスグリ」の方に「アントシアニン」が多く含まれていると云われいる。目の疲れや視力の改善に有効な効能をもつ果実としてひろく知られている。木村宅からこの見事な「スグリ」を譲り受けて「スグリ酒」をつくることにした。容器にホワイトリカーと氷砂糖と一緒に入れるだけだから比較的簡単な作業だ。

「スグリ」酒はきれいな赤色になる。熟成するにしたがって色が変わっていく。最低3ケ月後の楽しみなのだが、来年又「スグリ」の実のつくころまで熟成させれば見事な「スグリ酒」ができあがるはずだ。

さらに屋敷や畑に「オットウ」(サクランボ)、「ウメ」、「スモモ」と続いた。特に「スモモ」の種類は多く、赤いから「アカスモモ」、中が赤いので「スイカスモモ」などを名をつけて呼んでいた。その後「ソルダム」、「サンタ・ローザ」、「フームサー」、「ハダンキョウ」(巴旦杏)等スモモの名前を親父から聞いて知った。スモモの木は結構太くて大きいので、枝さきの実は長い竹竿でたたいて落とした。明治時代の曽祖父の時代から植えられていたらしい。当時スモモ(李、酢桃)のカタカナの名前が珍しかった。「スモモ」の原産は中国で、世界各地で栽培され品種改良され日本に入ってきたと云われている。各家に様々な品種が植えられており仲間の家を食べ歩いた。「スモモ」のそれぞれ独特の味は今でも忘れられない。

当時「スモモ」等には消毒はしなかったので虫がつく前に先に食べるしかなかった。自家の坪庭の一角を占めていた特に虫には弱かった「ハダンキョウ」。熟れたこの味は「スモモ」第一だった。今振り返ってみると食べるのが先で、完熟前の実を食べていた。それでもおいしさは格別。「ハダンキョウ」を取り忘れ、さらに虫の被害から免れた「スモモ」が完熟した。この味が忘れられず探し回ったあの日は懐かしい。「ハダンキョウ」は古くから日本に伝わっており、和歌などにも詠まれる。「スモモ」は自分の花粉では結実しにくい自家不和合性なので、ほとんどの品種で受粉樹が必要であることから、さまざまな品種が植えられていた。現在集落で「スモモ」の木を見ることはほとんどない。

夏の贈り物「木の実」の物語。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿