「あきたこまち」が誕生して30年になる。秋田県産米の主力品種「あきたこまち」のデビュー30周年記念式典(JAグループ秋田、JA全農あきた主催)が5日、秋田市の秋田キャッスルホテルで開かれた。県内JAや県、全国の卸売業者の担当者ら約200人が出席。1984年9月に誕生した「あきたこまち」の歩みを振り返ると共に、「あきたこまちを」中心とした県産米の品質向上と販売促進に力を入れていくことを確認した。
収穫前の「あきたこまち」 2014.9.6 川連町田屋面
朝日新聞秋田版は9月7日以下の記事を掲載した。
「県産米の主要銘柄「あきたこまち」が7日、誕生から30周年を迎える。それに先立ち6日からは秋田市内で感謝イベントも開かれている。かつては食味の良さで全国的な人気を誇ったが、近年は次々に登場する他地域の新品種に押されぎみ。関係者は食味の向上などで巻き返しを目指す。あきたこまちは、寒さに強い品種開発を目指し、県農業試験場が「秋田31号」として完成。1984年9月7日、当時の知事が「あきたこまち」と命名したのにちなみ、JAはこの日を「誕生日」とした。
デビュー直後、あきたこまちは、日本穀物検定協会の総合評価で、コシヒカリをしのぐ最高点を記録し、その記録は今も破られていない。しかし、今や西日本や北海道でも高品質米が登場し、産地間競争も激しくなっている。JAは、あきたこまちの品質向上のため、県内農家を対象に昨年初めて食味コンテストを開催。5位までの上位入賞者のコメを「ザ・プレミアムファイブ」として限定発売し、好評を博した。今年は第2弾のコンテストを検討している。
さらに、農家には、猛暑に備えて水田の水管理などに注意を促す一方、食味を良くするコツをまとめた「食味ランクアップマニュアル」を配布した。JA全農あきたの小野悟米穀販売課長は「30年で気候や土壌も変化し、農家ごとに独自の栽培方法になっている。マニュアルなどで全体レベルの底上げをしたい」と話す」。
朝日新聞秋田版 9.7
振り返ってみれば「あきたこまち」誕生直後に湯沢市、雄勝郡を対象として、仲間とともに「あきたこまち栽培研究会」を立ち上げた。「あきたこまち」誕生の昭和59年は秋田の米は「アキヒカリ」が折檻していた。当時湯沢、雄勝の農民運動でそれまで冷害に悩まされていた米つくりから脱却しようと運動をしていた中で、青森県藤坂試験場で育成されていた「ふ系104号」に着目し栽培。当時湯沢。雄勝地方に瞬く間に広がった。その後秋田県は「ふ系104号」を「アキヒカリ」として農林省の登録品種に指定、全県下に栽培が拡大した。減反政策拡大に中で圃場整備事業が全県各地で実施されたが、区画拡大の田んぼの造成に欠陥圃場が続出、劣悪な田んぼと不純な天候の中で「アキヒカリ」は当時の農家を救った品種といえる。
昭和59年はコメの消費が伸び悩んでいた時期で、政府は減反政策の強化、全期3年、後期3年計6年の新たな生産調整が始まった時期である。そこに誕生した「あきたこまち」は良食味の品種等と云われ、慣れ親しんできた「アキヒカリ」から転換の時期となった。
栽培に慣れた「アキヒカリ」から「あきたこまち」はスムーズには移行できなかった。「アキヒカリ」と比べて栽培が難しかった。うまいコメの代表の「コシヒカリ」の系統で収穫間際での倒伏は続出、それに稲作の大敵イモチ病に強い品種ではなかった。
「あきたこまち栽培研究会」は農家の独自な組織、「米作日本一」だった渡辺重博氏を会長に選出し、事務局を湯沢農業改良普及所にお願いした。「米作日本一」とは昭和24年(1949)から20年間つづいた朝日新聞主催の多収穫競励事業である。農林省や全農の支援もあり、当時の農家の増産意欲をかき立てた。 参加した農家数は毎年およそ2万人、延べ40万人に参加したという。昭和41年、渡辺重博氏は若干27歳で日本一に輝いた。米について湯沢・雄勝地方の代表だった。渡辺氏を中心にして、多収穫栽培から「あきたかまち」の特性を生かし栽培研究、首都圏の生協幹部を交えたシンポジュームの開催等、湯沢・雄勝地方に大きな広がりをもった。「あきたこまち」の登場は多収穫から消費者を意識した米つくりへと変わっていった。
同じ頃、私達は稲川農協の中に有機米研究会を立ち上げた。食味重視の「あきたこまち」の栽培を農協を中心にして活動を呼びかけ、昭和63年の結成集会に140人の組合員が集まった。JA稲川町管内は昭和30年代から肥育牛の生産が盛んで、銘柄牛「三梨牛」は畜産農家と稲作農家の間で稲わらと堆肥の交換で成り立っていた。昭和50年代は減反の拡大と米価の低迷、それに機械化が進み稲作農家は手間のかかる自然乾燥から撤退する農家が多くなってきていた。
有機米研究会は「あきたこまち」の誕生と、畜産農家の結びつきをさらに高めていこうとして設立された。当時の有機米の基準として堆肥を10a当たり2t以上使用、農薬使用回数は2回以内の減農薬栽培。全量1等米で、水分15.5~16.0%n範囲内、調整は1.85mm以上のふるい目使用で整粒歩合80%以上を目標にした。
稲川有機米研究会の発足は湯沢・雄勝では初めてで、その後羽後町の田代農協にも有機米研究会が生まれた。昭和63年稲川有機米研究会出荷の「あきたこまち」が、東京都の三多摩の卸会社で当時の食味計の検定で、90点代の驚異的な数字が記録され、会長だった私はJAの担当と秋田県経済連東京事務所の担当と訪問し栽培法に自信をもった経過がある。食味を測る器機が当時の価格で3億円もするということで、首都圏の大きな卸会社等しかもっていなかった。米の生産の秋田県に入ったのはこの時期から数年後だった。
そのような背景もあって、「あきたこまち」誕生後県内にもそれまでの多収穫栽培から、食味重視の有機米栽培へ関心が高まるようになって、秋田県経済連は有機栽培の全県統一の栽培基準がつくられた。
会発足御当時、東北で有機米生産で先頭を走る「福島県熱塩加納村農協」を研修視察。平成4年には農林水産省が選定する「続日本の米作り100選」に選ばれ、平成9年の「第三回環境保全型農業推進コンクール」東北の部で優秀賞の栄冠を得た。ちなみに第一回の最優秀賞は熱塩加納村の「緑と太陽の会」、優秀賞は有機栽培で有名な山形県高畠町の「上和田有機米生産組合」だった。県の経済連と名古屋市のコメ卸会社と三者で「あきたこまち」のふるさと訪問を企画し、消費者との交流も続いた。消費者との交流は生産地に大きな成果を残した。今から20年前だった。現在だと各地に消費者交流は盛んになったが、当時はそれほど多くはなかった。
収穫前の「あきたこまち」 2014.9.6 川連町田屋面
平成7年から始まった環境保全型農業推進コンクールは今年が第20回となった。有機栽培に取り組んでいる団体が毎年多く各地から入賞している。今では良食味の米が南は九州から北は北海道まで生産されるようになった。
うまい米の代表のコシヒカリは福井県で誕生した米の代表格である。 コシヒカリという品種は1つであるが、コシヒカリという銘柄(消費者が買う段階の商品名)にはコシヒカリ(品種)と多数の品種を含むコシヒカリBLという品種群が含まれる。現在、「新潟県産コシヒカリ」という銘柄は、9割以上がコシヒカリBLという品種群であり、コシヒカリ(品種)とは異なる。
良食味の代表格のコシヒカリ(品種)は1956年(昭和31年)、水稲農林100号「コシヒカリ」として命名登録され誕生から58年になる。「あきたこまち」の誕生30年がそれに続いている。良食味の米が各地で生まれて、それぞれの米の評価が高まっていることは日本の農業のとってうれしいことだ。そのような背景の中で、「あきたこまち」は品種の特性にあった栽培を続けてゆく限り一定の地位は続くものと思われる。
さて、「あきたこまち」誕生の30周年の今年の「あきたこまち」は、出穂後の不規則な天候に心配されたが今のところ順調な生育になっている。台風12号、11号の「鬼雨」突風で生じたモミの褐色変の影響はどう出るだろうか。稲刈り収穫直前になったが、田んぼに入って褐色変のモミを調べてみると青米が意外と多く見られる。最終収穫量はどうか、赤信号が出てきた。
農水省の平成24年度米生産費を見ると米60キロ当たり物財費9672円、労働費4108円で計13,780円。その他資本利子、地代等参入で合計15,957円と公表している。「あきたこまち」誕生以来、最低の概算金60K当たり9000円以下の米価では農家の栽培離れが進むに違いない。農水省の生産費調査の物財費(種苗費、肥料費、農薬費、諸材料費、修繕費、動力光熱費等)9672円にも届かない概算価格で生産意欲がわくはずがない。栽培委託農家は自分の食べる米さえ確保できない。さらに規模拡大した農家はこの概算価格では、経営維持ができず耕作放棄地は拡大される。
収穫前の「あきたこまち」 2014.9.6 川連町田屋面
朝日新聞秋田版は9月7日以下の記事を掲載した。
「県産米の主要銘柄「あきたこまち」が7日、誕生から30周年を迎える。それに先立ち6日からは秋田市内で感謝イベントも開かれている。かつては食味の良さで全国的な人気を誇ったが、近年は次々に登場する他地域の新品種に押されぎみ。関係者は食味の向上などで巻き返しを目指す。あきたこまちは、寒さに強い品種開発を目指し、県農業試験場が「秋田31号」として完成。1984年9月7日、当時の知事が「あきたこまち」と命名したのにちなみ、JAはこの日を「誕生日」とした。
デビュー直後、あきたこまちは、日本穀物検定協会の総合評価で、コシヒカリをしのぐ最高点を記録し、その記録は今も破られていない。しかし、今や西日本や北海道でも高品質米が登場し、産地間競争も激しくなっている。JAは、あきたこまちの品質向上のため、県内農家を対象に昨年初めて食味コンテストを開催。5位までの上位入賞者のコメを「ザ・プレミアムファイブ」として限定発売し、好評を博した。今年は第2弾のコンテストを検討している。
さらに、農家には、猛暑に備えて水田の水管理などに注意を促す一方、食味を良くするコツをまとめた「食味ランクアップマニュアル」を配布した。JA全農あきたの小野悟米穀販売課長は「30年で気候や土壌も変化し、農家ごとに独自の栽培方法になっている。マニュアルなどで全体レベルの底上げをしたい」と話す」。
朝日新聞秋田版 9.7
振り返ってみれば「あきたこまち」誕生直後に湯沢市、雄勝郡を対象として、仲間とともに「あきたこまち栽培研究会」を立ち上げた。「あきたこまち」誕生の昭和59年は秋田の米は「アキヒカリ」が折檻していた。当時湯沢、雄勝の農民運動でそれまで冷害に悩まされていた米つくりから脱却しようと運動をしていた中で、青森県藤坂試験場で育成されていた「ふ系104号」に着目し栽培。当時湯沢。雄勝地方に瞬く間に広がった。その後秋田県は「ふ系104号」を「アキヒカリ」として農林省の登録品種に指定、全県下に栽培が拡大した。減反政策拡大に中で圃場整備事業が全県各地で実施されたが、区画拡大の田んぼの造成に欠陥圃場が続出、劣悪な田んぼと不純な天候の中で「アキヒカリ」は当時の農家を救った品種といえる。
昭和59年はコメの消費が伸び悩んでいた時期で、政府は減反政策の強化、全期3年、後期3年計6年の新たな生産調整が始まった時期である。そこに誕生した「あきたこまち」は良食味の品種等と云われ、慣れ親しんできた「アキヒカリ」から転換の時期となった。
栽培に慣れた「アキヒカリ」から「あきたこまち」はスムーズには移行できなかった。「アキヒカリ」と比べて栽培が難しかった。うまいコメの代表の「コシヒカリ」の系統で収穫間際での倒伏は続出、それに稲作の大敵イモチ病に強い品種ではなかった。
「あきたこまち栽培研究会」は農家の独自な組織、「米作日本一」だった渡辺重博氏を会長に選出し、事務局を湯沢農業改良普及所にお願いした。「米作日本一」とは昭和24年(1949)から20年間つづいた朝日新聞主催の多収穫競励事業である。農林省や全農の支援もあり、当時の農家の増産意欲をかき立てた。 参加した農家数は毎年およそ2万人、延べ40万人に参加したという。昭和41年、渡辺重博氏は若干27歳で日本一に輝いた。米について湯沢・雄勝地方の代表だった。渡辺氏を中心にして、多収穫栽培から「あきたかまち」の特性を生かし栽培研究、首都圏の生協幹部を交えたシンポジュームの開催等、湯沢・雄勝地方に大きな広がりをもった。「あきたこまち」の登場は多収穫から消費者を意識した米つくりへと変わっていった。
同じ頃、私達は稲川農協の中に有機米研究会を立ち上げた。食味重視の「あきたこまち」の栽培を農協を中心にして活動を呼びかけ、昭和63年の結成集会に140人の組合員が集まった。JA稲川町管内は昭和30年代から肥育牛の生産が盛んで、銘柄牛「三梨牛」は畜産農家と稲作農家の間で稲わらと堆肥の交換で成り立っていた。昭和50年代は減反の拡大と米価の低迷、それに機械化が進み稲作農家は手間のかかる自然乾燥から撤退する農家が多くなってきていた。
有機米研究会は「あきたこまち」の誕生と、畜産農家の結びつきをさらに高めていこうとして設立された。当時の有機米の基準として堆肥を10a当たり2t以上使用、農薬使用回数は2回以内の減農薬栽培。全量1等米で、水分15.5~16.0%n範囲内、調整は1.85mm以上のふるい目使用で整粒歩合80%以上を目標にした。
稲川有機米研究会の発足は湯沢・雄勝では初めてで、その後羽後町の田代農協にも有機米研究会が生まれた。昭和63年稲川有機米研究会出荷の「あきたこまち」が、東京都の三多摩の卸会社で当時の食味計の検定で、90点代の驚異的な数字が記録され、会長だった私はJAの担当と秋田県経済連東京事務所の担当と訪問し栽培法に自信をもった経過がある。食味を測る器機が当時の価格で3億円もするということで、首都圏の大きな卸会社等しかもっていなかった。米の生産の秋田県に入ったのはこの時期から数年後だった。
そのような背景もあって、「あきたこまち」誕生後県内にもそれまでの多収穫栽培から、食味重視の有機米栽培へ関心が高まるようになって、秋田県経済連は有機栽培の全県統一の栽培基準がつくられた。
会発足御当時、東北で有機米生産で先頭を走る「福島県熱塩加納村農協」を研修視察。平成4年には農林水産省が選定する「続日本の米作り100選」に選ばれ、平成9年の「第三回環境保全型農業推進コンクール」東北の部で優秀賞の栄冠を得た。ちなみに第一回の最優秀賞は熱塩加納村の「緑と太陽の会」、優秀賞は有機栽培で有名な山形県高畠町の「上和田有機米生産組合」だった。県の経済連と名古屋市のコメ卸会社と三者で「あきたこまち」のふるさと訪問を企画し、消費者との交流も続いた。消費者との交流は生産地に大きな成果を残した。今から20年前だった。現在だと各地に消費者交流は盛んになったが、当時はそれほど多くはなかった。
収穫前の「あきたこまち」 2014.9.6 川連町田屋面
平成7年から始まった環境保全型農業推進コンクールは今年が第20回となった。有機栽培に取り組んでいる団体が毎年多く各地から入賞している。今では良食味の米が南は九州から北は北海道まで生産されるようになった。
うまい米の代表のコシヒカリは福井県で誕生した米の代表格である。 コシヒカリという品種は1つであるが、コシヒカリという銘柄(消費者が買う段階の商品名)にはコシヒカリ(品種)と多数の品種を含むコシヒカリBLという品種群が含まれる。現在、「新潟県産コシヒカリ」という銘柄は、9割以上がコシヒカリBLという品種群であり、コシヒカリ(品種)とは異なる。
良食味の代表格のコシヒカリ(品種)は1956年(昭和31年)、水稲農林100号「コシヒカリ」として命名登録され誕生から58年になる。「あきたこまち」の誕生30年がそれに続いている。良食味の米が各地で生まれて、それぞれの米の評価が高まっていることは日本の農業のとってうれしいことだ。そのような背景の中で、「あきたこまち」は品種の特性にあった栽培を続けてゆく限り一定の地位は続くものと思われる。
さて、「あきたこまち」誕生の30周年の今年の「あきたこまち」は、出穂後の不規則な天候に心配されたが今のところ順調な生育になっている。台風12号、11号の「鬼雨」突風で生じたモミの褐色変の影響はどう出るだろうか。稲刈り収穫直前になったが、田んぼに入って褐色変のモミを調べてみると青米が意外と多く見られる。最終収穫量はどうか、赤信号が出てきた。
農水省の平成24年度米生産費を見ると米60キロ当たり物財費9672円、労働費4108円で計13,780円。その他資本利子、地代等参入で合計15,957円と公表している。「あきたこまち」誕生以来、最低の概算金60K当たり9000円以下の米価では農家の栽培離れが進むに違いない。農水省の生産費調査の物財費(種苗費、肥料費、農薬費、諸材料費、修繕費、動力光熱費等)9672円にも届かない概算価格で生産意欲がわくはずがない。栽培委託農家は自分の食べる米さえ確保できない。さらに規模拡大した農家はこの概算価格では、経営維持ができず耕作放棄地は拡大される。
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