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再 夏のない夏 ハ月のうぐいす 1~3号

2017年09月01日 | 足跡
1993年は大冷害の年だった。今年も田植以降低温傾向が続き「あきたこまち」の出穂は例年と比べて一週間から10日も遅かった。東北の太平洋側は「ヤマセ」が強く、日照不足で作柄に大きく影響しそうだ。

1993年8月、ハガキ「河鹿沢通信」で「梅雨と小さな秋」と「夏のない夏」八月うぐいす1~3号を発行した。冷害傾向の今年なので以下に「夏のない夏 ハ月のうぐいす」1~3号を再掲載しておく。

梅雨と「小さな秋」 1993.8.8

気象庁の発表で今年は6月2日に「梅雨入り」だと宣言があり、いつもより約半月も早かった。そして、例年だと7月末か8月早々に「梅雨明け」が発表されていたのだが、それが今年は8月の七夕祭りというのに梅雨空は一向に晴れそうもない。春からの異常天候は長々とつづき、田植え後遅くとも、6月半ばで終わっていた一番草の牧草の刈り取りも今年は7月の末までずれ込んでしまった。それも刈り倒したあと連日の雨で、黒っぽくなった「乾し草」を収納する有り様。 雨と低温で稲の成育は大幅に遅れている。

例年だと8月早々にも「走り穂」があったのに、今年はやっと「はえの尻」なったばかりで、「セミ」の鳴き声もしない低温で成育がストップの状態なのだ。いつものとおり牛舎での作業中、NHKラジオから女性キャスターの問い、「日本の米は外国と比べてどうなんですか」男性解説者「高い、メチャクチャに高い」。翌日の新聞、「日本の米は国際価格の5倍」の記事。常に、考え込んでしまうのだが。経済や国家の仕組みをそのままにして価格だけ比較する考え方の貧しさ、このことによってどれだけ農業生産の意欲が低下してきたことか。

今春発表の民間調査機関、「労務行政研究所」によれば今年の初任給は1987年の円高不況以来の低い伸び率で大卒19万4045円、高卒15万1008円だという。( 調査は東証一部上場企業 189社の回答) 一年で順調に行ってやっと手にできる10アール分の粗収入を大卒1ケ月で得られる経済の仕組みでは 農業後継者が育たないのはある意味で当然のことなのだ。まして規模拡大で米価を今の1/3 か1/5 せよなどとの政策なら、ますます後継者はもとより農業者までいなくなる。

仮に農業の規模拡大や企業経営体を説く、マスコミで少しは名前の売れている評論家や大学教授の講演料ときたら、これまたテレビに良く見る日本公告機構のコマーシャル「東京の中学生が3年間で空き缶を拾いで50万円にもなりネパールに学校が建った」というようなお金が、2時間程度のたいしてためにもならない話で手に入ってしまう。だから、「日本の米が高い」のマスコミ、財界の総攻撃を耳にすると偉い先生方の講演料とか給料は、国際標準とやらの何十倍となるのかなどとついつい考えこんでしまう。8月の低温で稲は大変な事態に向かっているというのに、NHKラジオから早くも「小さい秋みつけた」のメロデーが流されだした。

「夏のない夏」八月のうぐいす 1~3号 1993.8.20~8.25

ハガキ「河鹿沢通信19号 20号

① 1993.8.20

8月も15日になっても稲の穂が出ない。気象庁は、6月2日東北地方に「梅雨」入り宣言、8月13日梅雨が開けたと発表したが依然と雨がつづく、この夏は夏がなく梅雨明けはすぐ秋の様相。 気温13度の朝は、もちろん季節は真夏だというのにセミの声もせずひっそりと静まり返っている。セミに変わって朝の時を告げたのが8月に入ってからのそれこそ季節はずれの「うぐいす」。梅の木ならさまにもなるだろうが近くの柿、桐、槻の木、栃などの木で夜明けからしきりに鳴く。

それも一週間も続いたろうか。その鳴き声もいつのまにやら消え、また不気味な静けさの朝がつづいた。終戦記念日というどんより重たい雲の朝、田圃の見回に行くといつの間にか聞こえなかった「うぐいす」今度は八坂神社の境内、「切り崖」周辺でカン高く鳴いている。

せっかくのセミも、孵化途中寒さのため地面に落ちて死んでいるというこれほどの冷たい夏。今稲づくりしている者にとっては経験したことがない夏でもある。もしや、昭和9年の大冷害に匹敵災害となるのではないのか、、、、、、。

以下は昭和9年秋田魁新報『凶作地帯を行く』のルポ記事からの抜粋を紹介。

「蝋燭の暗い灯に悲痛な訴え続く、花咲かぬ稲の姿よ・須川村の高松」。「封印された馬が実らぬ稲運ぶ、免税の申請二百十町歩・呪はれた仙道村」。「豆さへ実らぬ田代村の哀歌、谷間の紅葉ばかり徒ら錦を飾る」。「温泉郷と飢餓群、国有林と民、ここにも惨たる変相図・秋の宮村を見る」。さらに、「官行造林のため蕨根も掘れない、養蚕も駄目、煙草も駄目・東成瀬村の下田」。

これが湯沢、雄勝地区の記事「凶作地帯を行く」のタイトルだ。記事の一部「刈った稲はどうにもならぬから火をつけて焼いたが燃へもしない。さりとて馬に喰わすと腹をイタするから呆れたものだとカン高く叫ぶ。成る程窓外に五分程度刈られた稲を見ては成る程とうなずかれる。さらに一農民は曰く今年の稲は役人みたいだ。頭はチットも下げないといふ。それならいい方だ植えたまま青々と生えているのがある」。 秋田魁新報は8月17日の朝刊で「障害不稔の恐れも。県、異例の実態調査へ」と警告した。しかし、実際は障害型冷害ばかりか遅延型冷害と合併症状で「大型冷害」が進行している。8月一杯穂の出ない田圃が稲川町にも出そうだし、最悪だと半作か。

② 1993.8.22

8月18日、いつものようにセミの鳴き声一つしない朝、当然「すずめ」の声も何もしない。
夏というのに山間部では「電気毛布」がないと寝られないという話や、夜は石油ストーブが必要というところもあるという。10時近くなって、ところどころ雲の空き間から弱々しいお日さまが出てくるころになってやっと、アブラゼミやミンミンゼミが鳴き出した。

「稲川野」の稲は早い田圃で出穂が始まったばかり、ほとんどの稲は「穂孕」の状態で成育が止まっている。川連から増田方面、成瀬橋まで車で走って見てもほとんど同じ。それでも出穂は多めに見ても1~2割ほどの田圃しか確認できない。それがこんなにも違うのか、国道398号線の山谷峠を超え湯沢市、羽後町へ向かうと約90%近くも出穂。穂の出ていないところを探すのがやっと、という状態なのだ。稲の草丈も明らかに違い10センチは稲川町より長く見える。同じ時間帯に湯沢からせいぜい海抜250 メートル前後の山谷峠の東側は雲も幾分多めだ。雲の多い分気温も低めとなるのか。太平洋側からの「やませ」が、栗駒のやまなみを超え、皆瀬川沿いをそのまま冷気が強烈に直撃しているのかとも考えてしまう。

羽後平野と比較して、田植えが幾分遅いにしてもその成育の差は、歴然としている。5日から一週間の遅れにも見える。さらに「止め葉」の半分ほど赤茶けて枯れているものも皆瀬川筋には見られる。いずれ天気が回復したとて、登熟にも大きく影響はするはずだ。しかし、出穂を喜んで見ても半月ほど前の減数分裂期の低温で、障害型の不稔は心配だ。この期間は最も低温の影響が受けやすいといわれ、花粉母細胞の分裂期に当たり、成育が進んで幼穂が水面より高い位置だと水管理程度で低温対策が不可能となる。それでも稲の穂揃いは、何かしらホットする安らぎはあるものだ。

天気は依然として回復しない。毎日曇りか雨、気象台は8月13日梅雨明け宣言をしたが、8月22日になっても「家の中」はじめじめとし畳にカビさえ見える。低温と日照不足は稲の登熟には致命的なのだ。「青稲の直立不動、稔ればイモチ病」これは昭和9年の冷害、秋田魁新報の由利郡笹子のルポ、この年冷害に良く耐えた品種は「愛国」で一番負けたのが「陸羽 132号」だったという。「うまい米」とばかり「あきたこまち」にかたよってしまった現在、冷害被害はどの程度でおさまりがつくのか。不安な日々がつづく。

「梅雨と小さな秋」と「夏のない夏八月のうぐいす」③

③ 1993.8.21

昭和9年の「凶作地帯を行く」は同年10月16日から11月5 日まで21回にわたって秋田魁新報に連載された。収穫が平年の50パーセントを大きく割り、特にルポ地の山間部に皆無のところもあったという。 農家でさえ食べるものがなく、借金に苦しみ、田や畑、娘まで身売りせざろう得なかった当時の状況が生々しく報告されている。

以下はその記事の一部。「寒サノ夏ハオロオロ歩キ」と「雨ニモ負ケズ」を世にだした「宮沢賢治」のあまりにも有名な詩もこのころのもの。低温と雨つづきに、天候の回復を祈るしかない毎日に「オロオロ」するばかりで、何もできないのは今の時代も同じだった。また、農民詩人「北本哲三」の「おその」という15才の女性が百円の金と引換えに稼ぎに行く、詩「売られ行くものよ」で人間一匹百円也と詠った作品もこのころの時代。

貧しさからの脱出のために娘一人が 200円から 300円で売られ、借金を差し引くとせいぜい 100円しか残らなかったという。当時の米の値段と比較して 100円は今の 100万ほどいう人もいる。『米に生きた男』の著者「及川和男」氏がいう、当時の価格が「白米一升1円20銭、金1グラム3円40銭」と比較したらその10分の1の10万円程度か、、、、、。8月25日、平年に比べて10日から15日遅れの「穂揃」の季節が稲川野にやっときた。それは梅雨明け宣言発表以来、さらに10日も雨が降り続いてやっと「太陽」の見える2日目でもあった


8月26日稲川町異常気象対策本部の稲作現地調査が行われた。海抜114 メートルから190 メートルまで9ヶ所の地点で、稲川町の等高線沿いの平均的なところとなる。稲川町で最も標高の高い「小沢地区」では、まだ80%は出穂せず8月中に穂揃となるのか疑問だった。中に30%ほど出穂したのもあったが、イモチの被害もありさらに草丈が短く出ていた穂も何となく弱々しく平年の三分作か。

海抜 163メートル 稲庭の梺ではイモチと低温障害の白孚、まだ穂が揃わない。あまりにもイモチが多く、仮に天候が回復したとしても半作以下となる可能性十分考えられた。稲川町では、岩城橋周辺から海抜 150メートル以上となれば稲の姿が一変し、出穂の遅れは歴然とする。

8月も25日ともなれば、出穂時期の安全限界になる。

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