6月5日日曜日、被害の大きかったいわき市まで行くことにした。
磐越自動車道で、郡山ICからいわき市四倉ICまで約70Km走った。
四倉ICから南に、久ノ浜 → 四倉漁港 → 豊間 → 塩谷 と向かった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/0a/7d/877d8f432da448c339cd5f15be0e3d43_s.jpg)
久ノ浜の海岸べりの幼稚園。2階まで津波でやられている
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/66/22/feb0e5742970e0bb732ac2dc61cf6853_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/59/d4/21fb31346fbe7e5c6a6536f43f8c2466_s.jpg)
四倉漁港 大きな漁港だが、壊滅状態だった
豊間がひどかったと聞いたので、そこに向かった。
四倉ICから南に向かって、海岸沿いに約5kmほどの走ったところの海水浴場で知られたところである。 美空ひばりの有名な「みだれ髪」の場面になった、塩谷の白い灯台
が見える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/02/70/61c8f780c11af59f22bb32d0af45a18d_s.jpg)
豊間地区は壊滅であった
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/5b/da/b59e2a11bc5a4ccf09a9cc5f24475661_s.jpg)
いわき市消防団と書いてあった。警戒中に津波にあったかもしれない
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/1b/c9/e703c8c006e4e5a7f4f4db6575eb8aad_s.jpg)
人形のプーさんがころがっていた
一瞬にして津波は全てを奪っていった。車から降りてこの場所を、しばらくの間歩いてみた。何もなくなった変わり果てた海水浴場で賑わった町。爆弾を落とされたような
無残な姿だった。
ボランティアの人が5人ほど後片付けをしていたが、その他にはほとんど人を見ることが出来なかった。
福島県いわき市の津波被害は、全国には余り報道されていない。原発事故のニュースだけが一人歩きして、津波の被害があったことが忘れ去られているように思った。
1000年に一度の津波だというが、この天災をどのように受け止め、対策をして良いのか
正直なところ思いつかなかった。
この場所では、約70人の方が亡くなられたという。
塩谷の白い灯台は、変わらず海に向かって悲しく立っていた。
浜辺に打ち寄せる波の音と潮風が、無常なまでにわが身を通り過ぎていった。
しばらく沈黙の時間が過ぎ、帰路に着いた。
磐越自動車道で、郡山ICからいわき市四倉ICまで約70Km走った。
四倉ICから南に、久ノ浜 → 四倉漁港 → 豊間 → 塩谷 と向かった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/0a/7d/877d8f432da448c339cd5f15be0e3d43_s.jpg)
久ノ浜の海岸べりの幼稚園。2階まで津波でやられている
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/66/22/feb0e5742970e0bb732ac2dc61cf6853_s.jpg)
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四倉漁港 大きな漁港だが、壊滅状態だった
豊間がひどかったと聞いたので、そこに向かった。
四倉ICから南に向かって、海岸沿いに約5kmほどの走ったところの海水浴場で知られたところである。 美空ひばりの有名な「みだれ髪」の場面になった、塩谷の白い灯台
が見える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/02/70/61c8f780c11af59f22bb32d0af45a18d_s.jpg)
豊間地区は壊滅であった
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/5b/da/b59e2a11bc5a4ccf09a9cc5f24475661_s.jpg)
いわき市消防団と書いてあった。警戒中に津波にあったかもしれない
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/1b/c9/e703c8c006e4e5a7f4f4db6575eb8aad_s.jpg)
人形のプーさんがころがっていた
一瞬にして津波は全てを奪っていった。車から降りてこの場所を、しばらくの間歩いてみた。何もなくなった変わり果てた海水浴場で賑わった町。爆弾を落とされたような
無残な姿だった。
ボランティアの人が5人ほど後片付けをしていたが、その他にはほとんど人を見ることが出来なかった。
福島県いわき市の津波被害は、全国には余り報道されていない。原発事故のニュースだけが一人歩きして、津波の被害があったことが忘れ去られているように思った。
1000年に一度の津波だというが、この天災をどのように受け止め、対策をして良いのか
正直なところ思いつかなかった。
この場所では、約70人の方が亡くなられたという。
塩谷の白い灯台は、変わらず海に向かって悲しく立っていた。
浜辺に打ち寄せる波の音と潮風が、無常なまでにわが身を通り過ぎていった。
しばらく沈黙の時間が過ぎ、帰路に着いた。
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