80歳を過ぎた田中稲月さんにこんなことを言ったことがある。
「田中さん、どうして伝統工芸士になっていないんですか?」失礼だったが、これほどの卓越した技術を持っておられる方が何にも肩書きが無かったので聞いてみた。
「わしはそんなのはいらん・・・。」 「さすが田中さん・・。」と心の中で嬉しかった。
下手なくせに名誉だけ欲しい人間も山ほどいる。しかし、田中さんはそんな名誉よりもっと大事なものを追い続けてきたのかもしれない。
「しかし、田中さん。私は、漆の仕事をしている立場上、鳥取に田中さんのような蒔絵職人がいるということを記録に残したいんですが・・・。」と言ってしまった。
続けて、「鳥取は、木地師ばかり褒めて、それ以上の塗師や蒔絵師を何にも知らないし、価値も置いていないんじゃないですか・・。これじゃ、鳥取の文化はいつまでたってもレベルが上がりませんよ・・。」「木地師はあくまで木地師。」と熱くなって又言ってしまった。
田中さんは黙っていた。
平成16年木地師の茗荷定治氏が、鳥取県の無形文化財第1号に認定された。
田中さんと茗荷さんは同級である。
田中さんも茗荷さんに強いライバル意識があった。平成11年に山陰合同銀行ギャラリーで、二人展を開催したことがあった。
長い間会うことも無かった二人が、作品を前に出会ったのであった。
この、茗荷さんの無形文化財認定に田中さんも刺激を受けたのであった。
次回続く
この文章の無断掲載を固く禁じます。
「田中さん、どうして伝統工芸士になっていないんですか?」失礼だったが、これほどの卓越した技術を持っておられる方が何にも肩書きが無かったので聞いてみた。
「わしはそんなのはいらん・・・。」 「さすが田中さん・・。」と心の中で嬉しかった。
下手なくせに名誉だけ欲しい人間も山ほどいる。しかし、田中さんはそんな名誉よりもっと大事なものを追い続けてきたのかもしれない。
「しかし、田中さん。私は、漆の仕事をしている立場上、鳥取に田中さんのような蒔絵職人がいるということを記録に残したいんですが・・・。」と言ってしまった。
続けて、「鳥取は、木地師ばかり褒めて、それ以上の塗師や蒔絵師を何にも知らないし、価値も置いていないんじゃないですか・・。これじゃ、鳥取の文化はいつまでたってもレベルが上がりませんよ・・。」「木地師はあくまで木地師。」と熱くなって又言ってしまった。
田中さんは黙っていた。
平成16年木地師の茗荷定治氏が、鳥取県の無形文化財第1号に認定された。
田中さんと茗荷さんは同級である。
田中さんも茗荷さんに強いライバル意識があった。平成11年に山陰合同銀行ギャラリーで、二人展を開催したことがあった。
長い間会うことも無かった二人が、作品を前に出会ったのであった。
この、茗荷さんの無形文化財認定に田中さんも刺激を受けたのであった。
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