お彼岸は過ぎましたが ヒガンバナのその後の変化とコラボを UPしてみたいと思います。
シロバナヒガンバナの咲き始め
隣接するお家のお花ですが 年々花数が増えていって 亡くなられた方を偲んでいるようです。
大分咲いてきました
我が家が楽しませていただく場所にあり 毎年見守っています。
満開近し(昨日)
今年初めてヘメロカリスとのコラブで咲き お花好きの故人も喜んでいらっしゃるのでは・・・。
赤白
柿の木の下では2色仲良く
2
我が家の白花と↑の白花とは 黄色系とピンク系の感じで 微妙に色が違っていることを初めて知りました。
赤花(昨日)
Iさんに大株を頂き ひとまず植え込んだ場所が北側の木陰 植え込んだ場所数は減りましたが 今年はお花が増えているような・・?
南側では咲きませんでした。
乾燥し過ぎると良くないようですね。
*** 彼岸花の思い出。
私が小学校3年生(s、27年)の時 大好きな優しい祖父が 亡くなり大ショックでした。
死因はガンでしたが 末期は腹水が溜まってお腹がぽんぽんに腫れ 1度は抜いたものの直ぐに腫れて お腹の皮が剥がれるほどになり とても苦しそうでした。
その頃の医学ではガンは治らない病だったので お医者様は往診に来てくださっていたのですが 手に負えなかったようです。
親孝行の父がどこからか聞いて来た民間治療方は 彼岸花の根茎を摺おろしてものを 足の裏に貼って腹水を抜く方法でしたので 毎日せっせと貼ってあげていましたが ついに・・・。
その時の残りの球根を 父が南天の木下に植えられたらしく その後2~3年真っ赤な花が咲くようになりましたが 他人様からシニバナと言うから 庭に植えてはいけないと助言され ついに消えてしまいました。
ふるさとは工業町で我が家の近くには 彼岸花は見当たらなかったのですが 父はその時の彼岸花をどこから入手したのか 今では聞くすべも無しです。
その頃に比べ彼岸花も多種になり 脚光を浴びるこの頃 ガン治療も進化して 平和と言う事なのでしょうね。
・・・ 曼珠沙華纏わる過去は赤と白 ・・・
シロバナヒガンバナの咲き始め
隣接するお家のお花ですが 年々花数が増えていって 亡くなられた方を偲んでいるようです。
大分咲いてきました
我が家が楽しませていただく場所にあり 毎年見守っています。
満開近し(昨日)
今年初めてヘメロカリスとのコラブで咲き お花好きの故人も喜んでいらっしゃるのでは・・・。
赤白
柿の木の下では2色仲良く
2
我が家の白花と↑の白花とは 黄色系とピンク系の感じで 微妙に色が違っていることを初めて知りました。
赤花(昨日)
Iさんに大株を頂き ひとまず植え込んだ場所が北側の木陰 植え込んだ場所数は減りましたが 今年はお花が増えているような・・?
南側では咲きませんでした。
乾燥し過ぎると良くないようですね。
*** 彼岸花の思い出。
私が小学校3年生(s、27年)の時 大好きな優しい祖父が 亡くなり大ショックでした。
死因はガンでしたが 末期は腹水が溜まってお腹がぽんぽんに腫れ 1度は抜いたものの直ぐに腫れて お腹の皮が剥がれるほどになり とても苦しそうでした。
その頃の医学ではガンは治らない病だったので お医者様は往診に来てくださっていたのですが 手に負えなかったようです。
親孝行の父がどこからか聞いて来た民間治療方は 彼岸花の根茎を摺おろしてものを 足の裏に貼って腹水を抜く方法でしたので 毎日せっせと貼ってあげていましたが ついに・・・。
その時の残りの球根を 父が南天の木下に植えられたらしく その後2~3年真っ赤な花が咲くようになりましたが 他人様からシニバナと言うから 庭に植えてはいけないと助言され ついに消えてしまいました。
ふるさとは工業町で我が家の近くには 彼岸花は見当たらなかったのですが 父はその時の彼岸花をどこから入手したのか 今では聞くすべも無しです。
その頃に比べ彼岸花も多種になり 脚光を浴びるこの頃 ガン治療も進化して 平和と言う事なのでしょうね。
・・・ 曼珠沙華纏わる過去は赤と白 ・・・
お墓にも植えられていたようですね。
ユウレイバナとも言うのですね。
初めて知りました。
白いお花は珍しかったですね。
現在仲間に青色もあるそうですが見たことがないです。
奥の細道の旅ですね。
お天気がいいといいのですが・・。
彼岸花に纏わる思い出は1つ2つは必ずありますね。
初めて白いお花に自然かで出会った時のことも克明に覚えています。
それは相生しのキャンプ場公園の中でしたが 感激しました。
田んぼがないと出会いないお花でしたね。
良き姿に出会えよかったですね。
その頃はお知り合い出なかったので 分からなかったでしょうね。
しずちゃんが越して見えてからのことです。
結核の不治の病と言っていたわね。
今は医学が進んで長生きするようになれました。
あなたの胸の琴線に触れたみたいね。
ヒガンバナを見ると優しかった祖父を思い出します。
意味のない謂れに翻弄されたヒガンバナですが 土葬の死体を動物から守る為にも植えたそうなので そう言うのでしょうね。
田んぼでは土手をモグラから守る為にと聞きました。
人の為に立っているのですが あまりに赤い色が嫌われたのかもしれませんね。
ぶちょうほうさんのお父様もガンだったのですね。
でも痛みがなくって幸いでした。
クリーム色のヒガンバナだったのですね。
我が家はぴんき系でした。
顔をだします。
茎だけ伸びて花を咲かせるので、ユウレイバナとも
呼んでいました。
白い花は珍しかったのですが、今ではいろんなところで
見られるようになりました。
それだけ増えたということでしょうね。
今朝は曇っていましたが、やっと青空が見えてきました。
明日から東北の旅に出かけてきます。
子供のころには近くには田んぼはありませんでしたが
は竹の畦に咲いていました。
皆はあまりいいようには言わなかったものです。
今年は度も写す機会がありました。
丁度あの短歌のような光景に出会いました。
ヒガンバナにまつわる、御祖父との懐かしく哀しい思い出を承りました。
癌は今でも業病ですが、科学の進歩により、治癒する場合も増えて来ていますね。
小生の父親も癌で亡くなりましたが、痛みは伴わずに逝けたのでその点はありがたいことでした。
しかし、時にはご祖父のように苦しむことも有りますね。
ヒガンバナがその思い出につながるのは辛いことですが、いつまでも忘れずにいて欲しいという天の思し召しかもしれませんね。
実は小生も昨日白花を二輪見てきましたが、それはクリーム色に近かったです。
ヒガンバナと迷信(妄信)は全く根拠のない出鱈目でしょうが、こういう暴論はやめにして欲しいですね。
草花に罪はありませんものね。