<なんと素晴らしき出会いでしょうか!!
汽車の窓から手を振って・・・なんてまるで歌の世界のようですね。
景色が目に浮かぶようです。
私もあと40歳若かったら・・・悔やんでもしょうがないですね。>
礼讃されているようで冷や汗ものです。私も思ってもみなかったことだったのでとても嬉しく思いました。人は心を通わせることが出来るのです。それが言葉だけでなく身体でも表現できるということです。言葉巧みよりも手を振ってくれるだけでも心に染み入って来ます。
遅きに失することはないでしょう。今からでも試みてはどうでしょう。人情いまだに地に落ちずですよ。それ相応にして人の出会いと言うものは必ずあります。
母が風呂に行くと必ずや声が聞こえてきます。隣から楽しそうに御喋りしながら風呂を楽しんでいるのだなと、海水に浸かりながら連れて来てよかったなとおもいますよ。まだまだ出来ますよ。「後悔先にたたず」とは言いますが、しないよりしたほうがいいのではありませんか。私の知り合いの方はご夫婦で走り始めたと聞きました。このお二人にもきっと新しい出会いがあるでしょう。
我々にしても新しい出会いとなりましたよ。縁は異なもの味なものです。
汽車の窓から手を振って・・・なんてまるで歌の世界のようですね。
景色が目に浮かぶようです。
私もあと40歳若かったら・・・悔やんでもしょうがないですね。>
礼讃されているようで冷や汗ものです。私も思ってもみなかったことだったのでとても嬉しく思いました。人は心を通わせることが出来るのです。それが言葉だけでなく身体でも表現できるということです。言葉巧みよりも手を振ってくれるだけでも心に染み入って来ます。
遅きに失することはないでしょう。今からでも試みてはどうでしょう。人情いまだに地に落ちずですよ。それ相応にして人の出会いと言うものは必ずあります。
母が風呂に行くと必ずや声が聞こえてきます。隣から楽しそうに御喋りしながら風呂を楽しんでいるのだなと、海水に浸かりながら連れて来てよかったなとおもいますよ。まだまだ出来ますよ。「後悔先にたたず」とは言いますが、しないよりしたほうがいいのではありませんか。私の知り合いの方はご夫婦で走り始めたと聞きました。このお二人にもきっと新しい出会いがあるでしょう。
我々にしても新しい出会いとなりましたよ。縁は異なもの味なものです。
昭和49年8月21日 ここは都井岬の早朝である。前日この場で野宿した。
そのときに伊丹市から観光に来ていた川窪氏(写真)と出会った。
彼が自分が泊まるホテルのレストランで夕食を一緒にと言うのだ。ご覧のように私の格好でその様なところに入ってはそこで食事をする人達に不快感を与える、いや、彼に恥をかかせるようなものだと思って遠慮した。
ところが彼は私の肩を抱いて一緒に食おうと言ってくれたのだ。実はこのとき私に食べるものがなかったことを彼が察知していたのだ。それで誘ってくれたのである。結局ご馳走になった。
翌早朝、私が寝ている所に彼が来た。その時の写真なのである。そして彼は私を見送ってくれたのである。本日は佐多迄走った。
昭和49年8月20日(火) 日南海岸 堀切峠 向うに見えるのはサボテン公園である。この日は西都原近くの杉安駅からの出発で、到着地は都井岬である。
杉安駅は妻線の終点駅で、終列車が翌日の始発のために待機している。
前日の夜、駅長さんが「寝るのなら車両の中で寝なさい」と言われた。普通車とグリーン車があるので、グリーンで寝た。
出発前には駅長さんがお茶を入れてくれ、始発車両の運転士と車掌さんが見送ってくれた。
気持ちよく走っていると後方から大きな声が聞こえてくる。周りを見渡しても誰もいないのだ。奇妙に思いながらスピードをあげて走り出すとまた後方から声が聞こえてくる。振り向くと汽車が走ってくる。最後尾の窓から身を乗り出して声を上げているのは車掌さんだった。大きく手を振ってくれている。「がんばれよー」と励ましてくれている。汽車は警笛を鳴らしてくれている。私は追い越されながら大きく手を振ってそれに答えた。朝から気分がよい。
昭和49年8月19日 前日の台風14号の影響で国道218号が延岡の手前で土砂崩れの被害にあっていた。日之影からやってきた私は、塞がれてしまった道路で立ち往生させられた。除去作業している人に聞いてもいつ何時開通するかもわからぬと言う返事だったので、これは戻らねばならんのかと一瞬頭を過ぎったが、そんなに幅も広くなかったので自転車を抱えてそこを渡っていた。いやー怒られた怒られた。
渡ってしまえばこっちのもので、頭を下げて自転車に跨った。と、対向車線から自転車が来る。お互いに走りを止めて挨拶をする。そしてこの先はこのような状況だと告げるとその彼は、もと来た道を戻ると言う。延岡まで伴走し、延岡駅前で別れ、彼はここからフェリーで東京に帰っていった。私は西都原古墳群へと向う。