此処に書かれてある文章にはかなり興味深いものなのである。
全国津図浦々に存在する古墳の運命のようなものだ。土壁用の採土、それに伴う石室の発見、そして盗掘(それ以前にも盗掘はあった)、石室を成す巨石の抜き取り(何処かの庭石、石垣、門柱等に盗用)、最悪は「宝探し」である。持って帰った人は自分が持っていることを世間に報せることも無くひっそりと隠し持っているわけだ。
この様なことが全国で行われてきたわけだから、本来判明するかもしれぬ歴史が闇の中に葬られていると言っても過言ではなかろう。
1項~10項中の 第1、8、9は特筆されるべきであろう。第1、この地域の聖域(墓域)とされていたのは間違いなく、破壊つくされたのも間違いは無い。生活優先の時代では如何ともしがたいものがあると言わねばならん。第8、「文字のような模様の入った鉄剣」
金象嵌或いは銀象嵌、銘の入った剣であれば大和朝廷の繋がりが見えてくる可能性(江田船山、稲荷山等)、或いは朝鮮半島か中国か、この奥まった地域であってもなんらかの政権との繋がりが見えてくるものだったろう。第9、「龍が天に上る様な絵があった」とすれば、装飾古墳であり、田川、大任地域での最大の発見となったであろう。と言うのも在るべき処なのに未だに発見がないからである。また、担当者は「昇り龍」などと背中の彫り物のように言われたのが印象的だったが、私は「龍が天に上る」姿という言葉を遣いたい。
それは我々二人での言葉のやり取りであるが、もしもそれが事実であれば竹原古墳のように古代中国の龍媒信仰に繋がるものと言え、渡来人系の可能性もあると言えるのではないか。惹かれる地域ではある。少し長くなってしまった。多謝、多謝。対不起。