もう見慣れた光景である。薦神社だ。又かとお思いになられる方もおられるであろうが、前回は拝殿に向かって左から本殿を撮影した。今回は神門のある右から撮影してみた。これと言って変り映えはしないのだが、薦神社の殆どを写したと言える。この次はどうしようかと迷わずにいられない。
今回は我々二人きりである。神社関係者の姿も見えず貸切状態である。
前回七五三で少々遠慮がちに母の写真を撮ったが、今回は思い切り正面から写すことが出来た。母がバックを気にしたのか薦神社の紋を入れなくて良いのかと問うたのであるが、今回はもうよしとした。あの目玉親父のような紋は一度見れば忘れることはなかろうと思う。神社などは三つ巴が多いがここはやはり八幡の先祖であることで他には類を見ないであろう。
< 亡くしてわかる・・・ (丸めがね)
2008-12-13 19:24:02
「親孝行」・・・なんてすばらしいことでしょう。
私はすでに両親ともに他界してしまい、孝行することもできなくなりました。今になって心残りなことがたくさんあります。
孝行は「やりすぎる」ことはありませんね。
ぜひぜひお母様といろんなところへおでかけくださいませ。
更新を楽しみにしています。 >
久しぶりのコメント有難うございます。応援して頂き感謝しています。「考は百行のもと」また、「墓に布団は着せられず」と言われますので、出来うる限りそのようにしたいと思っております。
私も薀蓄を述べないといけないので勉強にもなります。と言っても世間で役に立つわけではありませんが、母との会話にはなりますからね。道中殆どあれやこれやと話してますよ。
2008-12-13 19:24:02
「親孝行」・・・なんてすばらしいことでしょう。
私はすでに両親ともに他界してしまい、孝行することもできなくなりました。今になって心残りなことがたくさんあります。
孝行は「やりすぎる」ことはありませんね。
ぜひぜひお母様といろんなところへおでかけくださいませ。
更新を楽しみにしています。 >
久しぶりのコメント有難うございます。応援して頂き感謝しています。「考は百行のもと」また、「墓に布団は着せられず」と言われますので、出来うる限りそのようにしたいと思っております。
私も薀蓄を述べないといけないので勉強にもなります。と言っても世間で役に立つわけではありませんが、母との会話にはなりますからね。道中殆どあれやこれやと話してますよ。
まだこれで引き伸ばすのかと思われている方もおられるだろうが、そこはご容赦である。少し趣を変えた写真を撮った。敢て道路標識を入れたのはアクセントのつもりである。カメラと言うのは要らないものを切り捨てて、見せたいものだけを切り取れるから良いのであろう。が、札幌の時計台のように妙に創造力を膨らませてしまうきらいがあるのも否めないのである。さて、
珍しく本人登場である。と言っても以前脱衣場で登場し、肉体美をご披露しているが、食事時などに見るものではないこと請負である。
母とは三度目の汐湯である。道すがら中津街道にまつわる歴史についての薀蓄を述べながら行くものだから閉口しているのかと思いきやそうでもなく、質問もし、しょうもない知識を頭の中に少しながら入れているようだ。
老人会の集まりでたまさか歴史の話が出ると母が中心になって話しているそうだ。車での道中私から強制的に聞かされると皆に言っているそうで、羨ましがられているとのことであった。