楣石が顔を出していた場所にもう一度行ってみた
石室内部を可能な限り見てみたいと言うところである 胴張りの石室を持っているのか・・・
残念ながらこれ以上は無理だが・・・玄室奥壁の様で 鏡石だろうか 画面右には棚の様にも見える
天井に行くにしたがって穹窿状になっているようだな 造りは同じように思えるな
楣石が顔を出していた場所にもう一度行ってみた
石室内部を可能な限り見てみたいと言うところである 胴張りの石室を持っているのか・・・
残念ながらこれ以上は無理だが・・・玄室奥壁の様で 鏡石だろうか 画面右には棚の様にも見える
天井に行くにしたがって穹窿状になっているようだな 造りは同じように思えるな
広大な平野である 遮るものが無い
埼玉古墳群 長野地区から北に向かうと ご存じ 八幡山古墳 が所在する
北大竹遺跡 と言い 若小玉古墳群 が含まれる この古墳群は埼玉古墳群に次ぐ規模で 5世紀末ごろから小型の円墳が密集して築造されていた 所謂群集墳と言っていいのだろう
それが6世紀前半になると 全長約70mの前方後円墳 三方(宝)塚古墳が築造される(どうも削平されているようだが) 最後に 戸場口山古墳 と築造時期を同じくする 地蔵塚古墳(一辺28mほどの方墳)が現れ 東日本最古と言われる線刻壁画が施されている この古墳で当該地域の古墳時代終焉を迎えている 大化の改新直前だ 有力な地方豪族が中央政権に取り込まれていくのであろう
万(萬)葉遺跡 防人藤原部等母麿遺跡 この石碑が遺跡と言う訳ではなかろうが・・・
足柄の 御坂に立して 袖振らば 家なる妹は さやにみもかも 藤原部等母麿
色深く せなが衣は 染めましを 御坂たばらば まさやかに見む 妻物部刀自売
八幡山古墳 近くに立てられている
動くことが難しい我輩に代わって長男が訪問してくれたことに感謝 今は歩くことがままならない状態だからな・・・
不可能だと思っていたが 訪れることは無理ではあるが 古墳群を見ることが出来て良かったな
それに勉強にもなった 人間死ぬまで勉強だからな
ゆっくり歩いていればいい 歩くには持って来いの場所だな
そう言えば我輩が雨男であることをすっかり忘れていた なにせ今のご時世 何処にも行くことが出来ないからだ
まあ我輩の身体の方に問題があるのだが・・・自転車で壱岐を走った時・・1回目 1日目の夕方から翌朝にかけて小雨続き 途中で諦めて帰路に着く 2回目 2日目朝っぱらから小雨続きで計画途中諦めて帰路に着く 3回目 1日目最高の天気・・・2日目朝 外が騒がしくて目が覚めた・・・はははは 土砂降り・・・嵐だぞ フェリーは欠航 ようやく最終便が動いたから良かったものの・・・知り合いと 職場の者と 妻と 母にこう呼ばれた 嵐を呼ぶ男
もう居直って・・・雨乞いをする時は我輩に日にちを決めさせろと
別に世界遺産にならなくても この場所は永久に残されるだろう
あーいい風景だ この様な風景を眺めることが出来るなんて・・・
あー いい天気だ この様な空の下を歩くことが出来るなんて・・・