裏庭に咲く ナガエコミカンソウ
小さな小さな ミカン の形をしているのでその名がある これが庭に根ついてから3年目だな
何処から来たのか 彼らが持ってきたかな・・・
裏庭に咲く ナガエコミカンソウ
小さな小さな ミカン の形をしているのでその名がある これが庭に根ついてから3年目だな
何処から来たのか 彼らが持ってきたかな・・・
1964年 10月10日 朝から土砂降りだ それがどうだ開会式には青空だった
気象庁が特異日であるこの日を特定したのだが まさか朝から土砂降りとはな・・・
しかしながら 見事に的中した もう60年が経った
それと 45年前の今日 我々の結婚記念日なんだ・・・ははは
国体が 国スポと名称が変わり 開会式のスタイルも変わった 2024年 令和6年10月5日 佐賀県で開催
天皇皇后両陛下ご臨席の下 開会式が行われた
国体の切手だ 切手らしいだろう
昭和39年(1964)10月1日 東海道新幹線開業記念切手
小学校から帰って来てテレビをつけると 新幹線が走る姿を空撮中継していた 見入ってしまったな
弾丸列車という言葉は知っていたが この様なスマートな電車が疾駆するとは 今では東京~大阪間は4時間以上も短縮できている 技術のすばらしさを目の当たりにしている 日本が誇る鉄道が完成した
それから9日後 東京オリンピックが開催される
それから15年後の昭和54年10月10日 我々夫婦の結婚記念日でもある・・・ははは
昭和の大修理完成記念 昭和39年3月完成
三役揃い踏み やっと我家にも来てくれた 妻が言うには「おもちゃみたいやね」「当たらずとも遠からず」
最初に来たのが 北里柴三郎 少し時間が空いて 渋沢栄一 更に長い時間かかって ようやく 津田梅子
やはり 金には縁が無い
旧札 今でも使えるのかとか言う愚な質問をする人がいるようだが・・・おいおい
初代総理大臣 伊藤博文 小御所会議参与岩倉具視(山内容堂に「御幼少の天子とは何事であるか 帝は不世出の・・・ 有無をも言わせぬ迫力) 「板垣死すとも自由は死せず」 自由民権運動の推進者 板垣退助
残念ながら ここに 聖徳太子(千円札 五千円札 壱萬円札) がいない 我々の世代はやはり聖徳太子だよな
9月16日 腫れがひかないな 痛みは少し和らいだ それでも普段通りに歩くことは出来ない
水ぶくれが出来ている 痒みが増す 前回もこれから治り始めたからな
賢明なる読者諸氏 健康診断で出た数値を頭に入れておいて・・・絶対に罹患しないよう御注意を
御飯が多く残ったので 久しぶりに作ろう ラップを敷いてご飯を上に乗せ その上からまたラップをかけ ご飯粒を潰すようにしてのしていく 粒があまり残らないようにぺったんこにするのがコツだ
3日ほど部屋の中で乾燥させる 端っこが少し半透明になっている 乾燥しているからだ
同じ大きさに切って行く これを揚げていくわけだ
出来上がり 塩を振って頂く カリカリもあれば御飯が少し残ってもちもちの食感が楽しめる 美味しいぞ
あっという間に無くなる ご飯が残ったらこれにすれば残さず食べることが出来る
9月12日 パンパンに腫れあがっている 指の付け根を見るとよく判る
「ギャー」の登場なので食べ物を お見舞いの声を掛けてくれるのかな・・・そんな訳ないか
早くよこせと言った感じだな
本日は 中秋の名月
何時も思い浮かぶのは
阿(安)部仲麻呂
天の原 ふりさけみれば 春日なる三笠の山に いでし月かも
唐留学生
王維 李白 らと親交があった
送祕書晁監還日本國 王維
積水不可極 安知滄海東 九州何處遠 萬里若乘空 向國惟看日 歸帆但信風
鰲身映天黑 魚眼射波紅 鄕樹扶桑外 主人孤島中 別離方異域 音信若爲通
哭晁卿衡 李白
日本晁卿辞帝都 征帆一片繞蓬壷 明月不帰沈碧海 白雲愁色満蒼梧
こうして比較するとよく判る 自分の足とは思えない
左足が軸足(前にも言ったが)なもので どうしても先に動いてしまう 痛みをこらえることが出来ないので
それで右足で立ち上がろうとするのだが・・・上手くいかない 脊柱管狭窄症もあるから
賢明なる読者諸氏 罹らないよう 絶対に 健康診断の数値を注意しておかねば
こうも腫れるもんかと感心している
指の付け根から盛り上がっているからな 寝ることは出来るのだが 夢の中にこの状況が出てきて痛みで起きてしまう
おちおち寝られない 賢明なる読者諸氏 何度も言うが 絶対に罹患しないよう 健康診断の尿酸値には気をつけよう