2016年1月21日(木)
思いもよらないことで、兵馬俑の見学に行くことになりました。
私の脳裏には一切無いことでしたから、突然に見さされてその壮大さに圧倒されるばかりでした。
そしてそこで見た光景と説明の中で何度も聞いた言葉が、「秦の始皇帝」と言う言葉でした。
応神天皇の時代に弓月(ゆずき)の国から19万の民を連れて日本にやってきた秦氏の秦と同じ字ですから、ますます日本とのかかわりを教えているようです。
「秦氏の謎を解け!」と言っているようでした。
そして帰り際に、人工的な山と思われる三角の山を遠くに見つけて、ますます日本と中国との歴史に興味がわいてきました。
2016年1月18日(月)
空海様も何度も足を運んだであろう中国最古のモスクであるイスラム寺院・清真大寺へと行きました。
そこの造りは、全くモーセの幕屋と同じ配置で建築されていました。
東西に細長く東からの入り口の配置で、私の目に飛び込んできた奇妙な形の石柱は、メノラーを意図しているのではと思ってしまいましたが・・・。
この寺院での出来事は、空海様に多大な影響を与えたものと私は思っています。
2016年1月17日(日)
中国の西安にお迎えに行った御一人の御霊が玄奘三蔵さまでした。
私が玄奘さまだったら・・、自分の骨だったものがそこにあると知ったらどう思うだろうか・・と、思いながら・・階段を上って行きました。
階段を上って・・、お参りして階段を下りてくる間中、それはそれは暖かい日差しでした。
塔は南に面して造られていましたから、本当に風一つなく暖かい日よりでしたぁ。
南の向こうの山には、明らかに人工的な三角の山が見えました。
その山は5年ほど前に、一人で山頂まで登らされた三田の愛宕山でした。
その時は、仙人のお爺さんが大きな磐座の上で、私を待っているようなので会いに行ったものでした。
今は武部さんたちと行けて心丈夫ですが、最初の頃はどこまでも一人で行かされたものでした。
「今日は2016年1月16日ですから、何か大事な日なんでしょうね」と言ったとたん、風がビューっと吹き出しました。
その時、上空の飛行機も雲に隠れて、一気に太陽が閉ざされました。
それまでの暖かい天気が嘘のようでした。
今の季節の三田篠山にしては、本当に風もなく暖かい日よりだったことと、
お参りした数分後には太陽が閉ざされて冷たい風も吹き出したことから考えると、「ありがとう!」って玄奘三蔵さまは言われているご様子でしたかね。
先導しているのは空海様と・・、なんとそこには霊仙様もご同行のようでした。
兵庫県篠山市 曹洞宗 澤田山 小林寺へと皆様を16日(土)お連れいたしました。
2016年15日(金) 大安
「Hさん、ありがとう!」
Hさんのお蔭で、お許しが出ました!
この不思議な物語の初めに、「七福神の謎を解け!」と言われていましたが、完全には解けきれていませんでした。
それが・・・、西安から来られた御霊さま達が大変お喜びになられて、答えを教えてくださいました!
おそらくHさんが今日、とあるお寺さんに行かれている間中、私は強い睡魔に襲われていました。
そして・・、眠りからさめて、ジッと千山の神様達と七福神様達とにらめっこしていました。
今まで完全でなかったジグソーパズルのピースが、アッと言う間に完成したと言いますか、あるいは、どの位置か分からなかったところにピッタリと収まって、全ての歯車が一気に回り出したという感じです。
解けました!
いよいよ第4幕の幕が開きました!
スタップサロンにいろんなメッセンジャーの方たちが来られて、「開く、開く!と言ってます。なぜか分からないけど嬉しくて涙がこぼれてきます」と言われたり、「扉が閉まってしまいます。急がなくては!」「急げ!急げ!」・・と言われたり、多くの方々がシンクロしていました。
どうも、ギリギリ、セーフでしたね。 本当にぎりぎりの時間帯と言いますか、その日その時の絶妙なタイミングで皆さんに動いていただいたお蔭でした。
私が教えられた話しを皆さんが聞かれたら、「え~~~っ!」「エ~~~~~~ッ!!」と言われることでしょうね。
Hさん、早速あした私も行ってきます。 雨が降っても大雪になっても行ってきます。
「Hさん、深く深く感謝いたします」と、空海さまはじめ、西安から来られた御霊さま達がおっしゃておられます。
ありがとうございました。
大きな大きな扉がギギギギギィ~~~~と開き始めましたぁ!
・・
「小さな嘘はすぐにバレるが、大きな嘘は時間をかけて必ずバレる!」とも神様はおっしゃっておられます!
(このことは来週から始まるセミナーでお伝えします)
2016年1月15日(金)
「海外へ行くのに、テラファイトは持って行けるのでしょうか」というお問い合わせが時々あります。
今回の中国西安への旅に私は、テラファイトとテラファイト卑弥呼をリュックに入れて手荷物として搭乗しました。
もうお一方も卑弥呼を持って搭乗されました。
旅は関空から青島で一度降りて、再び青島でチェックを受け、それから機内に乗り込んで西安へと行きました。
帰りは上海経由でしたが、また同じようにチェックを受けました。
・・ですが、何一つ検査に引っかかることはありませんでした。
機内では長時間身動きできませんから、血の巡りが当然悪くなりますから時々、テラファイトを広げて足をさすっていました。
そのお陰か、全く疲れることはありませんでした。
実は、海外へよく行かれる方から、「テラファイトを持って行ったので、ほとんど疲れませんでした」と喜びのメールや電話をいただきます。
テラファイトはエコノミークラス症候群にも効果を発揮するようです。
また、畿内食が出されますが、必ず口に入れるものにはテラファイトをかざして食べるようにしています。
現地でも同じようにして食べることにしています。
以前上海に行ったとき、私だけが水もビールもテラファイトを通して飲んだりしましたが、他の友達二人は、帰るころからや日本に帰ってから一週間ほど腹痛に苦しんだということがありました。
全く同じ料理を食べて、私だけがどうもありませんでした。
シャワーを使うときにも必ず要りますねぇ!
このような体験から私は、海外旅行や海外での暮らしには、テラファイトはなくてなならないものと思っています。
行って帰ってきてつくづく思うことは、日本は水も美味しいし空気も本当にきれいです。
中国からすれば日本は別天地ですね。
龍宮城みたいなところで日々生活できる幸せに、感謝、感謝です。
「私が行ったときの中国の山河は本当に綺麗だったのにのぉ・・・ゴホォン、ゴホン・・」と西安で空海様。
特に今の季節の中国は、マスクと帽子とテラファイトは必需品です!
2016年1月14日(木)
昨日夕方から吉野信子先生のカタカムナ講座がT.T.Cセミナールームで始まりました。
今までに何度も、幾人かの人達から、「カタカムナを勉強しなさい」と言われてきましたが、私には難しさが立ちはだかり、「私が知る分野ではない」と決め込んでいました。
・・・でも、最初からスーッと吉野先生の話に引き込まれていきました。
18:00~21:00までの3時間はアッと言う間に過ぎてしまいました。
終わってみて私の感想は、 「吉野先生のカタカムナは凄い!」ということです。
本当は大変難しい内容なのでしょうが、吉野先生は誰にでも理解できるように分かりやすく話されていました。
そして先生自身がもう、ワクワク、ドキドキ、わくわく、どきどきと、「日本人って凄いのよ! 日本って凄い国なのよ! 私達のご先祖様達は凄いのよ! 世界の平和を成し遂げるのは私達にかかっているのよ!!」って、それはもう身体全体から部屋中にその波動が漂っていました。
私たち日本人が日本語に秘められた暗号の解き方をマスターし、自然に瞬間瞬間に宇宙の法則に沿う考え方や行動ができるようになれば、それは「なんて素晴らしいのでしょう!」と、強く思います。
吉野先生は今、身体の奥の奥から新鮮なエネルギーがどんどんと湧き出しているようです。
一人でも多くの人達が先生から学ぶことで、ますます宇宙からのメッセージとしてのエネルギーを受け取ることができるでしょう。
それは涸れることのない、オアシスの泉のようなものかもしれません。
やっと・・、真剣にカタカムナを勉強するときが私にも到来したようです。
Mさん、SさんKさんAさん、いつもありがとう!
遠くから皆さんありがとうございました。
Fさん、ありがとうございました! 西安から来られた阿闍梨さまもさぞ喜んで居られることでしょう。
武部さん(カタカムナ・セミナー始まる)、ありがとう!
素晴らしいことを共に、同じ空間で学ぶことができるって、なんて素晴らしいことでしょう!!
感謝しています。
・・
まだ数名は席を作ることができますので、ご希望の方はT.T.Cで受け付けます。
2016年1月14日(木)
10日は朝8:30前からホテルを出て、長安(現西安)で空海さまが暮らされた西明寺があったと思われる場所へと一番に行きました。
現在はそのお寺もなく、そこには派出所がありました。
「んん~~ん このあたりだったかなぁ・・、当時の面影は全くないなぁ・・」と空海様はつぶやかれたかもしれません。
9月14日(土) 牛木公民館
福岡県朝倉市牛木52
9月15日(日) 渡部ヒーリング教室
熊本県玉名郡玉東町西安寺1511
朝倉市・玉名郡に誰かが待って居られるようです。
「早く来てください!」と・・・。 古い古いお御霊の方のようですが・・。
・・・
何なんだろう? 誰だろう??
・・・
誰か分かりました!
大国主の命=イエス・キリスト様でしたぁ!
いよいよ大王様が動きだしたようです これは大変な事ですよ!
「どうして14日、朝倉市に行くのだろう??」と朝倉市の古代の歴史と地図を見ていましたが、またまた地図上に線を引かされだしました。
ああ~~~、私に何を教えるのでしょう・・・!!
それで、朝倉市に行くのを一日早めました。
「ちゃんと挨拶に来なさい!」と言って居られますので・・。
ひょっとしたら、卑弥呼おばさんも自分のルーツ探しをやっているかのようです。
・・・
ああ~~身体に緊張感が走ります。
浮かび上がって来ましたよ~~! こんな偶然があるのでしょうか。
浮かび上がって来ました浮かび上がって来ましたぁ~地図上に・・・。
先ずは、呼んでくれた福岡のみなさん、朝倉市の皆さんにご報告しないうちにここに掲載することはできません。 そして翌日、玉名の人達にもお話してからということになります。 ああ~~ これは大変です
2013年4月17日(水)
前日、神戸の六甲山にある再度山大龍寺に武部さんと行った私が目指した地は、高知県安芸郡にある馬路村でした。
なんと、空海様は、中国の長安(現、西安)で恵果阿闍梨から重大な極秘事項を知らされて、この馬路にやってきていました。
前日、今でも居てるという空海様が作った自作の亀石のところに行ったのも、そしてその再度山に行くその数時間前に、高御位山で出合った「ウェイ メイ」という女性の方が、「私の御先祖様が、魏志倭人伝を書いたの・・」「私は西安(旧、長安)の大学に行ってました」と、言う話の中で、「空海様が、遣唐使船に乗って行った長安の青龍寺に私は行かなくてはならないようなので、連れて行ってもらえませんか」と、まぁ・・この話、空海様がチラリチラリと出現しておられます。
空海様に間違いなく動かされている私です。
月光山殊勝院金林寺薬師堂にその痕跡が記されていました。
今、帰ってきて下記の内容を読んで、ビックリしている私です。 取りあえずは、行った先々でゆっくりもできないので、カメラに収めて帰るだけですから・・・、帰って来て行った意味が後で分かるという様です。
空海様が馬路に来ていた理由は、今回私が来た理由と全く同じでしょう。
イエス・キリストの生命の樹(カバラ)の重要ポイントであることを、恵果阿闍梨から教えてもらったからでしょう。
朝7:50分に神戸の我が家を出発し、お昼ごろに室戸岬にある御厨人窟 (みくろど)に着き、手を合わせて、ゆっくりする暇もなく、目指すは一路馬路村へと車を走らせました。
途中、太平洋が見通せる海辺のレストランで食事を済ませ、途中、大粒のたたきつけるような大雨の中、ただただ一路馬路村へと、カーナビを頼りに走らせ、馬路村ふるさとセンター「まかいちょって家」に着いてトイレ休憩させてもらいました。着いたのは、PM2:30頃でした。
そして、
「この街の神社か、お寺を教えてもらえませんか」と聞いて、案内図をいただき、 そこで・・
私 :「この近くで、八杉森ってありますか!?」
キュートな女性 :「・・・??? ・・・ あなた分かる!?」
チャーミングな女性 :「 どこだろう ??」
お二人の女性、共にご存じないご様子でした。
私 :「ヤスギモリという山に、馬の象形文字見たいな地上絵が描かれているんですが・・」
女性 :「?? そういう話、初めてですね・・」
・・で、
トイレから帰って来てテーブルの上にあったパソコンをさわって、「かごめかごめの真実とは」で、検索をすると私のブログが出てきたので、「ちょっとコレを見てもらえますぅ!これを見て来たんです」と言い残して、行ったこともない神社をめざしました。
・・・
途中、どしゃ降りの雨にもたたきつけられましたが、お遍路さんがただただ雨でも歩き続けている姿が印象的でした。
雨は、馬路村に着くころには奇麗に上がっていました。お客様を向かえるにあたってのといいますか、いえいえ空海様をお迎えするための内水のようにも受け取れました。
カーナビは村のコミュニティセンターでもある馬路温泉にセットしていましたので、そこでチョットだけ大神様の好きなコーヒーをいただいて休憩することにしました。
腰を下ろしたその場所からエメラルド色の川と、新緑の山と、青空も顔を見せ、日々の暮らしでは見れない光景を楽しむ時間もそこそこに、先ずは熊野神社をめざしました。
相撲の土俵もありました。
私の一番の驚きは、なんとトラの彫り物でした。沢山の図面を書かされ、重要なポイントの山や神寺に行かされて、重要な場所に寅の彫り物は初めてでしたから、それは嬉しいものでした。 大神様は一切私の行動が理解できない様子で、いち早く車のところへと帰っていました。 境内にただ一人いる私を誰かが見ている感じがして空を見上げると、何やら雲が動き出して・・・、それでシャッターを切りました。
そしてそこから、金林寺へと行った訳ですが、空には不思議な奇麗な雲が出現していました。
馬路村は、邪馬壹国建国にあたり、重要な役割を担った、大いに隠された歴史を秘めているという実感を持ちました。
次の日の予定を思うと、どうしてもこの日のうちに移動しないといけないので、後ろ髪を引かれる思いで、馬路村を後にしました。
目指すは、平家の故郷、祖谷へとカーナビをセットしました。
2012年10月22日(月)
朝から9月決算の提出書類を揃え終わると同時に、書類を受け取りにAさんが来社され、打ち合わせが終わりホッとして机に向かうと、いつものように深い眠りに陥り、そして目が覚めるといつものように地図を開いて、線を引き込みその出来上がった図形を眺めていると・・、
なんと不思議ですねぇ、宗像大社と高千穂神社と伊王島を結ぶと、奇麗な正三角形が出来上がります。 あまりにも奇麗なので、伊王島トライアングルと呼ぶことに私は決めました。そしてその伊王島からトライアングルの中心を通って行き着くところに宇佐神宮があります。
出来上がった地図に見とれていると・・、「矢印の方向に線を引きなさい!」と言ってるようで、世界地図を広げると・・、なんとぉ・・!! スリランカへ行き着き、入射角と同じ反射角で行き着いた所が、イスラエルのエルサレムでした。 んん・・、なんですかぁ・・!! これって!!!
一番最初に書かされた3本の十字架で一番大きな、大王崎から厳島神社がある宮島の弥山を通る十字架の先が中国の西安(長安)を通り、その先のイスラエルを教えていましたが、みなラインが繋がったようです。
イスラエルからスリランカを経て伊王島から伊島、そして大王崎へとたどり着き、そして母なる故郷、伊投媽(出雲)へと神様は帰って来られたのでしょうか。
そして・・、伊島から北へ伸びる十字架の頂点、IYA に祀られているとしたら・・。卑弥呼おばさんは、その伊なる王様の血統であったとすれば・・。
そしてそして・・、宇佐神宮で祀られている神功皇后、応神天皇もその血統であったと、私が書かされた図形がそのことを教えているような気がしてなりません。
この10月の月は、全ての神様が母なる故郷、伊投媽(出雲)へとお集まりになって相談事をなされているやに聞きますが・・
神々様 :「そろそろ本当のことを誰かにしゃべってもらったらいかがでしょう」
大神様 :「タレソイテルカ」
神々様 :「はい!いらっしゃられます」
大神様 :「タレジャ」
神々様 :「様でござります」
大神様の妃様 :「ソチタチソレマコトノコトカエ」
大神様 :「オデニアソバシャラレタトナ」
神々様 :「さようにござります」
・・・
このようなことを書けば、また又、気が触れていると言われそうですが、伊なる王様の父君が私の身体を操っているようです。
「ナナ ナントナ!」
空海様~~~!! 矢印に見えましたぁ!!
四大文明の神は聖書の神
「142ページにMr.Uemoriで掲載していますから・・」と、新書の著者のSさん。
四代文明の神は聖書の神
エジプト ハトホル神の顔の地上絵
Egypt Geoglyph of the face of Hathor God in Japan
空海様が教えてくれた秘密の暗号カバラー
The secret code which Kuukai taught.Kabara,Davidstar,Cross
Ikuno Silver mine Asago city Hyogo,Japan
大十字架→(西安)→イスラエルガリラヤ湖
Big size Cross→Changan(Xian)China→Lake galile in Israel
中十字架→ローマバチカン
Middle size Cross→Vatican Roma
小さな十字架→中国鞍山 千山
Small size Cross→Anshan China Qianshan
空海様が、第十六次遣唐使の一員として日本を出航したのは、804年5月12日のことで、暴風雨にあい漂着したのが中国の福州でした。
時に空海様は31歳。白山から生野を通って、大中二本の十字架の交点を結んで南西へと線を伸ばすと線上に天草など重要なポイントが並んでいて、その線を中国へと伸ばすと・・キッチリと福州に行きます。空海様は、福州から長安(西安)へ行きますが、三つの十字架のメッセージをあらためて解読する必要があるように思います。
かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に 鶴と亀と滑った 後ろの正面だあれ?
籠の中のとり は、 トットの と と、龍の り ですね。
そしてもちろん 鳥も・・。 鳥は 鶴です。
レトリーカーな空海様ですねぇ。
後ろの正面の向こうには龍を作っています。
段ヶ峰の山頂に龍です。
段ヶ峰は ダン族のミウネ(お墓)ですね。
それで・・、ダンガミネ・・、段ヶ峰ですね。
ちなみに千ヶ峰は、ヘブライ語で トセー ガド ウィッシュ ミウネ で、殉教者を持ち帰り祀ったガド族のミウネ(お墓)の意味でしょう。
・・・
鶴と亀や、女神ハトホルなどの地上絵の場所場所を、地図上のベンチマークポイントからキッチリと教えてくれています。
先ずは伊勢の青峰山から千ヶ峰トライアングル(千ヶ峰、玉置山、剣山の正三角形)の千ヶ峰(1005m)と、その先の段ケ峰まで線を引きます。
次に、
大峯山(奈良県)から淡路三山の最高峰、諭鶴羽山(608m)へ線を引き、そこから直角に北へ直角二等辺三角形の地点が鶴と亀の場所、生野です。
又、大峯山山上ケ岳(1719m)から淡路三山で二番目に高い、柏原山(569m)へ線を引き、そこから直角に北へ直角二等辺三角形の地点が女神ハトホルの場所、丹波市山南町五ケ野です。
又、大峯山山上ケ岳から淡路三山で三番目に高い、先山(448m)へ線を引き、直角に北へ線を上げると、生野へ行き着きます。
又、大峯山上ケ岳から高砂沖の上島(神島)へ線を引き、直角に北へ線を引いて、天橋立にある籠神社まで伸ばすと・・・どうでしょう。 十字ができてしまいます。 十字の交点が女神ハトホルです。
青峰山(336m)から上島へ線を引き、直角に北へ引くと、生野へピタリと行き着きます。
どうして伊勢神宮を現在の場所に決めたのかもキッチリと教えてくれています。
・・・
そして かごめ唄をヘブライ語で解読すると・・
なんと
「誰が守るのか?誰が契約の箱に安置されている神器を取り出すのか?それを取り除き、お守りと差し替えよ。そして誰もいない荒地に水を引き、そこを聖地として支配せよ」(中島尚彦氏・成田ジャーナル) という意味のようです。
・・・
さぁ 後ろの正面だ~~れ!? の場所が特定できました。
いよいよ とうりゃんせ の唄の舞台です。 これもヘブライ語と中国語で、
トセー ・・ 殉教者を持ち帰り祀った 取り出せ の二つの意味があるようです。
リャン ・・ 二人
・・で、 とうりゃんせ~、とうりゃんせ~ は、 二人の殉教者を持ち帰り祀っているので、取り出して! と伝えているようです。
かごめかごめと、とうりゃんせの唄は、二つでセットのようです。
大地震、大津波、大噴火 世界の政治経済も常識では考えられない 「まさか!」が起きる時代になってきたということです。 夜明けの晩に・・入ってきたということです。 さぁ・・時もその時が来ましたよ!と教えてくれています。 だから・・、早く取り出せ!と天界から空海様が・・・。
そして・・、これからの出来事こそが・・世界再生へのシナリオのようです。
龍(玄武・・蛇と亀) 私には龍が今でも生きているように観えてしかたありません・・
鶴と亀 さぁ・・みなさん 観えますかぁ!
中央から右に亀さん、左に羽を広げた鶴さんです。
中央の四角い聖地の中で亀さんと鶴さんがキスしていますぅ?
生贄の鹿 も中心ライン上に発見されましたねぇ。
生命の樹も 4つ浮かび上がりましたねぇ。
最初に描かされた3つの十字架は大変不思議です。
大きな十字架の先は、キッチリと空海様が学びに行った長安、現在の西安に行きます。そしてもっと西へ西へと行ったら、イスラエルのガリラヤ湖へ行きます。
二番目の十字架は バチカンへ行きます。
一番小さい十字架は、中国は遼寧省の千山です。千ケ峰の先は千山です。
あまりにも不思議な不思議なお話です。
そして・・、 本当の かごめの文様が浮かび上がってきました。
6つの辺の長さは全て同じ長さの、綺麗なカゴメ紋です。
この籠の中に、綺麗な黄金比の十字架が浮かび上がりました。
籠の中で鶴が羽を広げて飛んでいる様を現しています。
(籠の中の鳥はいついつでやる・・)
さぁ・・、この鶴と亀の秘密が詰め込まれたタイムカプセルを取り出し開封することにより、この我が国の隠された本当の歴史を現代の私達に教えてくれることでしょう。
いえいえ・・、我が国の秘密こそ、この世界の秘密のようです。
本当の歴史を知らないでは、目的地を見失った難破船と同様の運命を未来の子供たちがたどることになると警告しています。
その大事なことを教えてくれるタイムカプセルの在処は、後ろの正面であり、正に、とうりゃんせ の舞台です。
死野・・、シノン・・と呼ばれていた時代が確かにあったと史実にも残されていた地、シオン・・・、 そうです、ヘブライ語で 聖地と呼ばれていた 生野です。
この生野から 新しい朝が来ると先人達は教えているようです。
それが・・、朝来市の由来であり、 新たな太陽がここから昇ることを教えてくれています。
この不思議な世界に誘われることになったのは、十字を切るゼロ磁場の水を造りだすピンクのテラファイトを造ってからですから、これも偶然ではないようです。
十字に・・、なにか大きな意味があるようです。