2020年10月9日(金)
轟山薬師寺では、大きな石碑に刻み込まれた文字に少しだけ目をやり、後日その内容をじっくり見るためにカメラに収め、武部さんに呼ばれて本堂の裏手にある大きな礎石を見ました。
どうしてその場所に今でも地域名で『鳳凰寺(ぼうじ)』と残るその意味と、今は見ることもない壮大な寺院僧房の情景を思い浮かべながらも、裏山の山頂に気は早るばかりでした。
いつものように武部さんに先導されて、山頂点を目指しました。
途中、城跡などかなり人工的に掘り返されたりして変形し荒れ果てた情景になっていましたが、目指した場所のお墓は造営された時のそのままの状態で保存されていました。
「ありがたい!」と安心すると同時に、日も暮れて木立の中は薄暗くなってきていましたから、リュックから早速、ゼロ地場Lロッドコアを取り出して両手に持って両足を揃え、「空洞探査」と頭の中でつぶやき先ずは第一歩を前へと差し出しました。
少しづつ代わる代わるに足を差し出しながらも「空洞探査です」と意識を飛ばしながら歩きます。
すると、前方に突き出し、銅線が垂れ下がったLロッドが反発するように真横に開きました。
「あった!」と喜ぶと同時に、もう足と体は地下深度の空間とその大きさの概要を求めて、動き回っていました。
そのポイントポイントに枯れ木や枝でラインを作り平面図を描き出します。
そして、「イチ、 ニィ、 サン・・」と短い脚を最大限に広げて長さを測定します。
これが意外と概略ですが、長さが測定できます。
そして枝を置いて出来上がった図形の角度をコンパスグラスで計測し、忘れないようにノートに記録します。
私の作業が終わってから、石室(玄室)の中央部あたりに日本酒と簡単なお供え物を置きます。
そして・・、「どちらに向かって祈りますか!?」と武部さん。
「そうですねぇ、天智天皇と藤原不比等さんが眠るお墓の方へ向かって祈りましょう」「だいたいこちらの方向ですね」と向きを整えて立ちます。
そして・・、「武部さん、君が代をお願いします」とお願いして私は後ろからそれを見守ります。
歌い終わった後、私は、「武部さん、本当にありがとうございました」と深々と頭を下げて感謝の言葉を発していました。
この言葉はおそらく、長年この時を待っていた現人神の言葉だったかもしれません。
そして私はそれからお酒を撒いて・・、いつまででもその場にたたずんでいたい気持ちでしたが、夕暮れ時の木立の中はアッという間に光が闇に変わるので、何事もなかったかのように速やかに山を下りました。
もし・・誰かが私たちを待っていたのなら、その誰かが私たちについてきているような気もしたりして・・、後ろを振り向きふりむきしながら薬師寺の前の駐車場に置かれていた武部さんの車に乗り込みました。
「じゃ~武部さん、宿までお願いします」・・と。
・・
「十市皇女の墓はどこにあるの!?」と、〇重さんが電話してくるまでは、まだまだいろいろと書かなければなりません。 ・・つづく