2020年10月15日(木)
10月4日(日)天武天皇の墓から向かった場所は、弘仁寺の裏山である虚空蔵山だった。
虚空蔵山は、春日宮天皇と呼ばれた志貴皇子の墓である。
弘仁寺に着いたのは夕方五時前で山頂に登る道はもうかなり薄暗くなっていた。
山頂傍には小さな祠が祀られていたが、それをゆっくり見ることもなく特製のゼロ磁場Lロッドコアを取り出して、山頂の地底の探索を行った。
結果、志貴皇子の墓は東西に長い玄室でした。
もうかなり日も暮れてきていたので、急いで山を下りました。
天智天皇の第一皇子である弘文天皇の墓と、第七皇子の志貴皇子の墓とは、一ラジアンに意味をおいた直角三角形を描いています。
素晴らしい、位置関係ですねぇ。
彼らは歴史の真実をたどれるように、三角法でお墓の位置決めをしています。
山頂近くはイノシシが掘り返して赤い土がむき出しになっていましたが、早く掘り出して供養してあげなさいと言ってる気がしましたねぇ。
「弘仁寺の明星堂の意味が分かったかね」・・と、空海さま。