2020年10月14日(水)
10月3日(土)弘文天皇の墓参りに行って、その近くにある「梅屋」さんに泊まって、翌日4日(日)に天武天皇の墓である衣笠山に急遽、登ることにしました。
弘文天皇は、天智天皇の皇子で、天武天皇とは叔父ということですが、実は伯父ということが歴史の真実です。 (このことはいずれ詳しく書かなくてはなりません)
この二人が壬申の乱の主役です。
以前私は天武天皇の墓と知って衣笠山には登っていましたが、どうしても弘文天皇を天武天皇の墓へと連れて行きたいと思いました。
又、山頂には石室があるかどうかをどうしても確かめなくてはと思い、武部さんにお願いしました。
以前登った麓の神社から登ることにしましたが、その神社へと行く道は、初めての道でした。
入口は、急な細い道で、「ちょっと登れませんよ」と車で登るのを止めたほどの怖い道で、その後も車がやっとで通る狭くて、正直通りたくない怖い道でした。
やっとの思いで神社に着いて、そこからは前回登っていましたから、安心して登って行きました。
「弘文天皇はついてきているかなぁ・・」「天武天皇は首を長くして待っているかなぁ・・」「二人の思いはどうなんだろう・・??」と、勝手に思いながら、武部さんの後をついて行く私でした。
そして、山頂に着きました。
私は、早速、特性のゼロ磁場Lロッドコアを取り出して、調査を開始しました。
結果、ピッタリと南北に3m60×6mの石室が地下に造営されていることが分かりました。
下山するときは、龍の岩を武部さんが発見しました。
「龍だ!まちがいなく龍だ!!」と。
それから山の急な斜面を一気に下ると、上り始めた神社の境内へと下りてきました。
「天武天皇と弘文天皇は、良き再会ができたかなぁ・・」「ついてきたのかなぁ~」・・と、思いながら車に乗って、助手席に乗った私は、タイヤが見えるように少しだけ頭を外に出しながら、「オーライ、オーライ」と言いながらも冷や冷やとする状態でメイン道路に出た時は、ホッとする自分が分かりました。
いよいよ目指すは、弘仁寺であり、その裏山の虚空蔵山です。昼ごはんを食べる時間もなく、天武天皇にお供えとしてコンビニで購入したどら焼きのお下がり一つで、武部さんも運転してくれました。
「2人は、一緒に今、車に乗ってきたかなぁ・・」と思いながら・・。