2014年12月31日(水)~2015年1月1日(木)
夜、9時過ぎに事務所を出発し、生野を頂点とする黄金比率の十字架の交点である、生石神社(おうしこじんじゃ)へと着いたのは10時を過ぎていました。
奉献にと、国造りのお酒、邪馬壹国を134度80の重要な神社に届けることにしました。
未だ新年にはチョットだけ時間があり、境内には関係者の方々だけが新年を迎える準備で、
緊張が伝わってくるようでした。 受け取っていただいてお参りを済ませ・・、でもゆっくりもしていられません。
年が変わる前までには大事な十字架の頂点である生野の姫宮神社へと到着せねばなりません。
天気予報では生野は間違いなく雪で、しかも吹雪くものと思われます。
その前に大事な大事な大国主命=イエス・キリストの公的陵墓がある大歳神社へと
国造りのお酒を届けなくてはなりません。 時間がありません。
「誰もいないだろうなぁ・・」と思って大歳神社へと行くと、暗闇の中に明かりがついていました。
その明かりが目に飛び込んできたときでした。
「あっ、村の人が居てる!」と思った私でした。確かに人影が3,4人ほど間違いなく目に映りました。
受け取ってもらえるぅ~と、喜び勇んで暗がりの石段を登って本殿に着くとそこには・・
誰一人として人影もありませんでした。 その気配も感じられませんでした。
それで・・、お酒だけ置いてお参りして足元の暗い階段を下りて車に乗り込み、まじまじと遠くから
暗闇に浮かぶ本殿の明かりを見つめて、「確かに数人の人影がありましたよね」「間違いなく見えました」
と確かめ合って・・、でも悠長なこともしておれませんので、目指すは生野、姫宮神社へ。
大歳神社の怪奇現象、10時40分の出来事でした。
そして・・、さすがに兵庫県の中央に位置する生野のトンネルを出ると、道路脇には氷雪が残っていました。
そしてすぐさま雪が舞いだしました。
姫宮神社へ行くには、歩いて大橋を渡らなければなりません。
昼間と違って、そして今日という日に何とも言えない情景が映し出されていました。
私は時間を気に留めずに、ゆっくりと橋を渡り、ゆっくりと歩いていました。
そして本殿がある境内への最後の階段を上がると、「ようこそおいでくださいました」と
案内されるように本殿の明かりが眼に飛び込んできました。
そして右手にある手水舎で手と口を清めて、鳥居で一礼して真っ直ぐに歩いて行きました。
そうすると・・、久しぶりの山田宮司さんが本殿内に居られて、お酒を奉献することができました。
「まだ新年にはなっていませんのでご挨拶は・・」と宮司さん。 そして・・
「今から御勤めをさせていただきます」とチョット緊張気味の宮司さんでした。
その言葉を聞いて、腕時計に目をやると、新年の時まであと3分でした。
「間に合ったぁ~~!!」と、そこで我に返った気がした私でした。
年が変わるころから向かいの大亀山の麓にあるお寺さんの方角から除夜の鐘の音が響きだし、
山田宮司さんも太鼓を打ち鳴らし出しました。
正に神仏習合の競演を見せていただきました。
私も時が変わる瞬間に神様に新年のご挨拶をしていましたが、
「いいから早く帰れ!大雪になるぞ」と、言われた気がして、とりあえず生野峠を超えることにしました。
生野峠を超えるまでは、雪も本降りの様相でしたが、峠を下ってほどなくして卑弥呼おばさんのお墓が一番きれいに見える七宝寺さんではもう月も顔を出したり隠したりと、天気も回復気味でした。
七宝寺さんから暗くて見えない卑弥呼おばさんが眠る婀月山を、微かな月明かりをたよりに見つめていました。時折、陵墓の下にある高圧線の鉄塔の赤色灯の明かりが山を覆った雲の中に映し出されて、あたかも卑弥呼さんの御霊が怒っているようにもドキッとするほど、山が火を噴いて噴火してるように見えました。
いえいえ、怒りは空海さまのお怒りかもしれません。
「どいつもこいつも自分のことしか考えられんようになってしもうて」と、大変なお怒りです。
ここ七宝寺に着いたとき、またまた不思議な光景を見ることになりました。
天体の星々が全て東から西の方角へと、それはそれは早いスピードで移動していました。
眼の錯覚でも何でもありません。本当に不思議な不思議な光景でした。
ことしは何かただならぬ出来事が起きる気がしてなりません。 ただならぬ出来事が・・・。
それにしても、1月1日、婀月山に月とは、なんとも風情のある光景を見せていただきました。
どこまでも追いかけてくる月を見ながら自宅に戻ったのは、3時をチョット過ぎていました。
この地球が平和でありますように・・と、願いつつ 元旦