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廃止バス停の痕跡を探る(2) 狭山23系統 前編

2010年10月11日 | 乗合バス路線史シリーズ
前回のこのシリーズで、西武バスの「田木」バス停跡地をご紹介しましたが、今回はその田木バス停を経由していた狭山23系統:狭山市駅西口~坂戸駅南口線の廃止バス停を調査してきましたので、その報告です。
長くなりそうなので前後編に分けます。まずは路線図を・・・。

路線図も長くなるので高萩駅を境に分割しました。一応狭山市~坂戸間全バス停の路線図もあるので、ご覧になりたい方はどうぞ。
こちらです。
さてバス停の名前のデータですが、1981年4月に西武バスが発行した路線図を元にしました。
前回も書きましたが、狭山市駅~根岸坂上間は現在も他の系統が運行されています。
また、高萩駅周辺は狭山23が運行されていた頃は国際興業バスの路線と並行している区間がありました。その部分の国際興業バスは水色のラインで示してあります。

というわけで根岸坂上のバス停から辿っていこうと思います。
・根岸坂上

ここから狭山23系統の廃止部分が始まります。現在の根岸坂上バス停は狭山25系統:狭山市駅~下川崎~飯能駅が通るのみで、県道262号線上にありますが、81年の路線図を見る限りでは407号線上に狭山23・狭山25両系統のバス停があったように思えました。
だいたいこのあたりだとは思いますが地図上とは場所が異なることは多々ありますので不明です。

・新睦
狭山市内最後のバス停です。遺構はおろか跡地さえ見つけることができませんでした。
すぐそばに圏央道の狭山日高インターが建設されてからだいぶ道なども変わってしまったようです。
だいたいここでは…という場所への地図リンクを張っておきます。
地図へのリンク
なおバス停の名称ですが一部の地図では「親睦」という表記も見られました。
この先で狭山市を抜け出て、日高市内へ入り…

・田木
先日扱ったので詳しくは省略しますが、狭山市方面乗り場のバス停スペースおよびベンチが残存しています。
地図リンク

・大谷沢
407号上の「大谷沢」交差点付近にあったと思われます。
交差点の脇のガードレールは、停止線の脇で不自然に途切れています。

ここが大谷沢バス停の狭山市方面乗り場の跡と思われます。位置からして前ドアにあたるのでしょうが、中ドア部分のガードレールの切り欠きはありませんでした。
ただ部分的に新しいパーツに交換されている部分があったので、他の箇所が破損したついでに切り欠き部分もふさいだのかもしれません。
なお坂戸方面乗り場の遺構などは見あたりませんでした。
大谷沢バス停跡地への地図リンク
なお狭山23系統廃止後に運行されていた日高市内循環バス「せせらぎ号」にも同名の大谷沢バス停があったようですが、位置が違います。

・日高カントリークラブ
住所で言うと日高市高萩になります。ちょうど407号の日高バイパスが分岐するところですね。
坂戸方面の乗り場は日産ディーゼルの販社(?)の前ですが、バス停スペースがしっかり残っていました。

前ドア用と思われるガードレールの切り欠きもこのとおり。

余談ですが日産ディーゼル販社の構内には西武バスのCNG車が2台ほど置かれていました。多分検査かなんかでしょうが、狭山23系統の沿線で西武バスを見ることができて少し嬉しい気分になりました。
さて狭山市方面行き乗り場ですがバイパス建設に伴い道路自体変わっておりバス停スペースやガードレールの切り欠きは見る影もありませんでしたが、どういう訳かベンチだけが残されていました。

バス停の下には「日高町日光街道杉並木保全会 昭和56年10月25日」の文字がありました。

日高カントリークラブバス停跡地 地図リンク

・小学校入口
日高カントリーから先はバイパスができたからか、車の通行量が少なく走りやすかったです。
第二小畔川を渡り、坂を駆け上がり地図にも記されていない押しボタン信号をすぎると、小学校入口バス停跡地が見えてきました。

こちらは狭山市方面乗り場。ガードレールは新品に交換されていますが、歩道部分が広がっており、ベンチが置かれています。

先の日高カントリーバス停跡同様、「日高町日光街道杉並木~」のプレートが取り付けられているベンチです。
一方の坂戸方面乗り場ですが、

狭山市方面乗り場の反対側、道路や門がある場所ではないところにガードレールの切り欠き
があったので、これが乗り場の跡かも、と推測してます。
小学校入口バス停跡地 地図リンク

・高萩十字路
小学校入口から坂を下り、高萩の交差点を左折して一旦国道407号から離れます。
さて根岸坂上を出て以来他の路線との接触はありませんでしたがここに来てやっと、(当時の)国際興業バスの路線と並行します。
ただしバス停の関連性は薄かったようで、西武バスは「高萩十字路」でしたが国際興業は「高萩橋」という名前だったようです。
国際興業の高萩周辺の路線は巡り巡って現在はイーグルバスが運行していますが、高萩橋の名のバス停が今でもあります。

高萩十字路バス停跡地 地図リンク
なお高萩十字路と次の高萩駅バス停の間に、「高萩駅入口」というバス停がありますがこれは国際興業だけが停まるバス停だったようです。

・高萩駅
沿線の中央に位置するJR川越線の武蔵高萩駅です。バス停の名前は「高萩駅」で統一されています。

昭和天皇が利用した貴賓室もある初代駅舎は数年前に橋上駅に建て替えられました。
バス停ですが、現在イーグルバスが使っているのは一箇所だけです。

このほかにもう一箇所、消えかけたバスの待機スペースがありました。

かつては西武と国際興業、という使い分けがなされていたのかもしれません。
高萩駅バス停 地図リンク

高萩駅から坂戸までの遺構紹介はまた次回です。
つづく

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (きえふにいさん)
2010-10-12 18:28:31
影森三輪さん、こんばんは!
頑張っていますねえ! ちょっとした探検ごっこですよね。おもしろいおもしろい。私は今の地域にまだ数年しか住んでいなくて、埼玉都民ですので土日しか地元にいないんです。だから、土地勘や方向感覚がいまひとつ身に付かずにいるので、こういうお話しはまったく知らない世界の話なのでおもしろいです。

先日ご教示いただいたYoutubeのリンクも拝見しました。101系非冷房車や旧501系! 1969年や1970年の入間市や狭山市入間川の七夕祭りは、私にも生まれる前の時代ですが、もはや外国のようです。

いやー、それにしても博識だな、影森三輪さんは!
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お返事 (影森三輪)
2010-10-12 19:56:31
>>きえふにいさん様
こんばんは、コメントありがとうございます!
確かに探検ごっこです(笑)宝探しでもあるかなあ…
私は生まれも育ちも埼玉…ですが両親は地元の人ではないです(^_^;)
でも環境が良かったからか郷土史などに興味を持ててよかったなあと思ってます。
ただ狭山や日高ならまだ土地勘がありますが鶴ヶ島坂戸になるとさっぱり分かりませんでした(-_-)

あの動画は驚きました。まさか40年前の風景を動画で見れるとは思いもしなかったので…
けっこう変わっているところもありますが中には今でも残っている建物が写っていたりして面白かったですね!
しかし当時最新鋭の101系も残り一本とは…。

いやいや、変に知識が偏っているだけです(汗)学校の成績は・・・な状況ですから…(笑)

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