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廃止バス停の痕跡を探る(3) 狭山23系統 後編

2010年10月12日 | 乗合バス路線史シリーズ
前回同様狭山23系統:狭山市駅西口~坂戸駅南口線の廃止バス停の調査報告です。
今回は後編ですが、まずは路線図を。

路線図も長くなるので高萩駅を境に分割しました。一応狭山市~坂戸間全バス停の路線図もあるので、ご覧になりたい方はどうぞ。
こちらです。
さてバス停の名前のデータですが、1981年4月に西武バスが発行した路線図を元にしました。
前回も書きましたが、狭山市駅~根岸坂上間は現在も他の系統が運行されています。
また、高萩駅周辺は狭山23が運行されていた頃は国際興業バスの路線と並行している区間がありました。その部分の国際興業バスは水色のラインで示してあります。


路線の中間になる高萩駅からスタートです。路線図で見てもらえれば分かるとおり高萩駅へは国道407号から離れているので、ヒゲのように飛び出ています。
ですのですでに紹介した高萩十字路のバス停などは省略して、407号線に復線(?)したところから再開とします。
十字路を左折し、再び407号に入ると、JR川越線のガードをくぐります。

写真は坂戸方から狭山方面を見たところです。
このガードをくぐりゆるい坂を上がると「中宿」というバス停がありますが、これも先の「高萩駅入口」同様に狭山23系統があったころは国際興業バスのみが停車する停留所だったようです。
この中宿バス停の真ん前には大分前に弊ブログでご紹介した郵便局があります。
さてこの中宿バス停を過ぎると・・・

・日高団地入口
「団地入口」の交差点を少し坂戸方に進んだところ、恐らく交差点から小畔川の間にあったそうですが痕跡は見あたりませんでした。
日高団地入口 バス停跡地 地図リンク
なお同名の「ひだか団地入口」バス停は現在も存在します。

団地入り口の交差点を入ったところで、かつては国際興業、現在はイーグルバスの停留所です。

・旭ヶ丘療養所前
さらに407号を進み、ファミレスやスーパーが両脇にあるカーブをたどると、「高萩並木」という歩道橋があります。この下が旭ヶ丘療養所前バス停跡のようです。

狭山市方面乗り場は、この歩道橋の橋脚を挟んで別スペースになっています。かなり立派です。

このバス停スペースの前にマンションがあり、現在はそこへ出入りする車の駐車スペースとして活用されているようです。
また坂戸方面乗り場の痕跡はありませんでした。狭山23系統廃止後、1996年から運行を開始した日高市内循環バスがここをバス停として使っていたようですが詳細は不明です…。
しかしここのスペースは立派ですね。正直もったいないと思います。
旭ヶ丘療養所前バス停跡 地図リンク

・森戸新田
旭ヶ丘療養所前バス停跡から「日光街道杉並木」が始まります。道路の両脇には立派な並木がありますが、整備されているとは言い難いです。またここが渋滞する箇所だと聞きました…。
さてこの並木道の途中にある押しボタン信号付近に森戸新田のバス停があったものと思われます。
坂戸方面乗り場ですが、歩道から車道へのそれらしい切り欠き(?)を発見…。

407号に面している家や工場などがあると同じような切り欠き部分があるのですが、ここは振り返ると塀しかありません。
それに車が通るにはちと狭い気がします。まあココだけは住宅地図でも詳しい場所が特定できず、推測でしかないですが…。
反対側の狭山市方面乗り場の遺構は…

上の切り欠きの反対側、草むらのなかに朽ちかけたベンチがありました。
例によって「日光街道杉並木~」のプレートが、近くに放置されていたので、日高カントリークラブ・小学校入口のバス停跡地にあったモノと同じベンチでしょう。
森戸新田バス停跡地 地図リンク
森戸新田のバス停跡地をすぎると、長かった日高市を抜け出て鶴ヶ島市に入ります。
なお森戸新田バス停の所在地は、地図を見て頂ければ分かるかと思いますが厳密には川越市になるようです。路線図では省略してますが…

・高倉第二
鶴ヶ島市に入って最初のバス停跡地です。
住宅地図で場所の特定はできましたが、遺構は見つかりませんでした。
高倉第二バス停跡地 地図リンク
「圏央鶴ヶ島入口」交差点脇のガソリンスタンドの前だったようです。なおガソリンスタンドは10月10日現在解体していました。

荒れ果てていた並木もここの交差点をすぎると整備されていました。

・高倉
407号は「高倉天神」の交差点から4車線の立派な国道になりますが、狭山23系統は旧日光街道へ入っていきます。

高倉天神の交差点を過ぎて少しだけ坂戸方に進んだところが高倉バス停でした。
まずは坂戸方面のりば。

一見するとただの歩道に見えますが、よ~く見ると側溝が歩道側に寄っています。元のバス停スペースです。
車道と歩道の境のコンクリートブロック(正式名称は??)は近年取り付けたようでまだ綺麗です。
恥ずかしながら坂戸までの行きはバス停の遺構を見失ってました(汗)
坂戸の図書館で、古い住宅地図を見て確認してからやっと気づいた次第です。まだまだ修行がたりません。
いっぽう狭山市方面乗り場は…

側溝が泥に埋もれかけていますが…しっかりと残っていました。
高倉バス停跡 地図リンク
坂戸方面乗り場はまだ地図に書かれていますね。

余談ですがこの高倉バス停跡地と次の役場前バス停跡地の間に、鶴ヶ島市内循環バスのものと思しきバス停跡地も発見しました。追って報告します。

・役場前
その名の通り鶴ヶ島町の役場の前に位置したバス停です。
高萩からの杉並木は「脚折才道木」交差点で終わり、まわりの景色もすっかり宅地になりました。
鶴ヶ島町役場は市制施行とともに移転したらしく役場は現在社会福祉協議会の建物になっているようです。
隣(バス路線で言えば狭山方)には小学校があり、その通学用として設置されたと思われる「才道木歩道橋」の狭山寄りにバス停があったと思われます。

(坂戸方から狭山市方を望む)
痕跡はなにもありませんでしたが、坂戸方面のりばのほぼ同位置に鶴ヶ島市民バス朝夕便(坂戸駅~西公民館循環)の「教育センター」バス停があります。
役場前バス停跡地 地図リンク
ちなみに狭山23系統の最晩年は鶴ヶ島町が市制施行しているので、すでに「役場前」ではないのですがバス停の名前は変わらなかったようです。

・脚折
事前に都市地図で、帰りは当時の住宅地図で場所を確認したものの、現地の場所がどうしても分かりませんでした。よって遺構もないようです…。
余談ですがこの脚折バス停跡地から次の下新田バス停の間に「餃子の満州」の本社がありました。まさかこんなところに本社があるとは思いもしなかったので驚きました…。

・下新田
鶴ヶ島市内最後のバス停です。
ここもそれらしき遺構は見あたりませんでしたが、鶴ヶ島市民バス朝夕便(坂戸駅~西公民館循環)の「花影町南」バス停がほぼ同位置にあたるようです。

(狭山方から坂戸方を望む)
花影町南のバス停にはバス停のスペースもありましたが、大きさからして小型バスしか停車できそうになかったので、狭山23系統の遺構ではないでしょう…。
下新田バス停跡地 地図リンク
下新田バス停を過ぎると関越道のガードをくぐり、いよいよ坂戸市内に入っていきます。
東武越生線の踏切の手前で右折しますが、坂戸駅に南口が無い頃は直進していたのでしょうか。
右折した後しばらく進み、坂戸駅南口の交差点を左折するといよいよ…

・坂戸駅南口
終点・坂戸駅南口バス停に到着です。

現在駅舎を橋上化しているようです…。
現在あるバス乗り場は駅出口から見て左側にあります。この乗り場から狭山23系統が発着していたかは不明ですが、狭山23系統が運行していた頃南口には他のバス路線は発着していませんでした。

ちなみに現在発着しているのは、関西方面・羽田・成田へ向かう高速バスと、坂戸市内循環バス、鶴ヶ島市民バス・乗合タクシーで、普通の路線バスは発着していなかったです。

しかし、坂戸は遠かった……。

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というわけで、狭山23系統の廃バス停レポートはこれにて終わりです。
バス停の跡地なぞポールを撤去すればいいだけだから残らない…と思ってましたが、ここまで残っているとは思いませんでした。
一応分類してみると…
・バス停スペースが残存している
田木(狭山市方面)、日高カントリークラブ(坂戸方面)、旭ヶ丘療養所前(狭山市方面)、高倉
・ベンチが残存している
田木(狭山市方面)、日高カントリークラブ(狭山市方面)、小学校入口(狭山市方面)、森戸新田(狭山市方面)
・ガードレールなどの切り欠きが残っている
大谷沢(狭山市方面)、小学校入口(坂戸方面)、森戸新田(坂戸方面)

以前から坂戸に行く西武バスというのは非常に興味深かったのですが、今回詳細に現地を調査できてよかったです。
引き続き、狭山23系統の変遷を調査していますので、また発表しようと思います。
長い記事でしたがご覧いただきありがとうございました。m(_ _)m

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3 コメント

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Unknown (きえふにいさん)
2010-10-14 16:12:16
影森三輪さん、こんにちは!
をを~、パチパチパチ(拍手)。自転車で頑張ったなあ。私はよく知らないでここはクルマで走ったことがあるけど、クルマでも狭山からけっこうあるよね~(笑)。それにしても、こういう交通遺構ってどうして楽しいのでしょうね。(楽しい? 語弊がありますね。「興味深い」ですね)現在の私たちの暮らしとの関連が容易に感じられるある種の郷土史や現代史だからなのでしょうね。

それにしても、西武バスは本気で経営する様子が感じられない気がします。公共交通が利用者を増やすには、フリークエント化と鉄道とのダイヤ調整によるフィーダー化に尽きるというのが私の持論です。減便して利用者が減って廃止して切り捨てて、地元自治体のコミュニティバスに肩代わりさせても、コミュニティバスって市町村の境を越えて運行しないし本数が少なくて結局利用者が減って廃止……ばかりではないでしょうか。西武は鉄道とバスが系列会社なのだから、いま以上にバスのフィーダー化に取り組んでほしいですねー。

数年前まで京王バスと関東バスに乗っていた私からすると、西武バスは運転手の挨拶やホスピタリティ(サービス)がいまひとつだと思いますし。堤時代じゃないのだから頑張ってほしいんだけど……。
返信する
お返事 (影森三輪)
2010-10-15 02:18:08
>>きえふにいさん様
こんばんは、コメントありがとうございます!
いやあ結構距離がありました。日高くらいならどうと言うことは無いですが坂戸は遠かったです…。実際にバスで乗っても結構距離があったでしょうねえ。ちなみに80年代は時刻表通りで45~50分くらいかかったようです。
いやあ楽しいです。確かに一番身近な歴史ですよねえ。大昔のことよりも、わかりやすいですから…。

まあこの地区は田舎だからあまり採算にはならない…というのもあるかもしれませんが…確かにもうちょっと本腰を入れてやってほしいものだなあ、と(苦笑)
まあ狭山坂戸線は渋滞+路線が長すぎる…というのがあって廃止になったのでしょうけど、かつての沿線の鶴ヶ島市内なんかは意外と住宅も多くて、鶴ヶ島市内だけでも走らせれば需要がありそうな気もしました。(ただ西武バスのエリアからは離れすぎていますが…)
せっかく系列なんですしねえ…。去年くらいから「電車とバスのショートカット」なんてアピールをしていますが、正直埼玉の方はあまり力が入っていないのかなあ…などと思います。
唯一気を吐いているのはアウトレット行きでしょうか?アレはいつも混んでいて未だに驚きます。
廃止傾向がある路線は少しだけでいいので運行回数を増やして使いやすいダイヤにできないものかなあ…と。それでも使われないなら、もうそれは廃止してもいいと思いますし。

コミュニティバスも…地元のように路線を延伸してもやま○り荘専用送迎バスになったところとか隔日運行で経路を増やしているところとかだと正直なんだかなあ…と思ってしまいます。
ただ今回訪れた鶴ヶ島市は1時間に1本と意外と多い本数を維持していました。ただし鶴ヶ島市内は普通の路線バスがあまり走っていないようでした。
そこでふと思ったのですが、コミュニティバスの運行本数が多ければ多いほど市内のバスが機能していない(或いは運行そのものがない)ことの現れではないかなあ…と。
なもんですから案外私たちの地元はまだバスが機能しているのかなあ…とも思います。
(まあ新狭山入曽線の凋落ぶりとかを見てると悲しいモノがありますが…あの路線も入曽駅前さえどうにかなれば…。)

というわけでずいぶん長文乱文になりましたがコメントありがとうございました~!
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Unknown (岡本ひろげん)
2020-04-11 21:47:21
また何時か復活して欲しいですね。
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