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横浜市電保存館へ行ってきました・・・(2)

2011年05月16日 | 鉄道
前回に引き続き、横浜市電保存館の見学記録をお送りします。車両解説は例によって現地の案内を参考にしています。
前回は戦前製の電車3台だったので、今回は戦後製3台+貨車1台を…

・1300型(1311号車)

終戦後の輸送量増加に対応するため、1947(昭和22)年に3000型として30両を導入。翌年1300型に形式を変更する。
一見平凡な3ドア車に見えるが、ドアの開き方は各扉で異なり、運転台側ドアは2枚折戸、車掌側ドアは1枚引戸、中ドアは両開引戸と、独特である。
ツーマン車としては最後まで運用され、1971(昭和46)年の3系統廃止と同時に引退した。
…この形式、スタイルも格好良くていい電車だと思うのですが、写真はな画像ばかり…また行く口実ができたから、まあいいか(苦笑)

・1600型(1601号車)

1957(昭和32)年、交通局工場で新造した横浜市電最後の新型車。他形式が前後ドアの中、1600型はバス型配置と称される前中ドアとなった。
ドア自体も乗降時間短縮のため、前ドア・中ドアともに4枚折扉を採用し、独特の外観となっている。
室内灯は蛍光灯で、床は緑色の軟質ビニール張り。保存車の塗装は登場時の、青系のものである。
新車でありながら、市電廃止を見届けることなく1970(昭和45)年廃車となった。

1601号車車内(左)と運転台(右)
車内の床は板張りでしたが、軟質ビニールははがしてしまったのでしょうか?
1957年当時、路面電車でもバスでも4枚折戸を採用した車両は少数であったかと思います。そんな中、前中ともに採用したのですからかなりモダンな車両であったのではないでしょうか?
しかし前後ドア車が圧倒的多数を占める横浜市電の中では使いづらかったのかもしれません。中にはワンマン改造された戦前製造の車もあったので、早期に廃車になってしまったと聞くと悲運の車両だったのかな…などと想像してしまいます。

・1500型(1510号車)

1951(昭和26)年に20両を導入した形式。導入の数年前より車両の性能向上・サービス改善のための研究が行われており、この形式はいわば成果といえるもの。
前面は傾斜がついた2枚窓で、窓から下は「流線型」とした。間接制御方式で、電気・空気を併用したブレーキや、防振ゴムを採用した台車など、当時の最新技術を取り入れ、「ちんちん電車の決定版」と称された。
ワンマン改造もなされ、横浜市電廃止のその日まで運用された。

1510号車運転台のウィンカー操作機。腕木式方向指示器の愛称の語源でおなじみアポロ興業の刻印がありました。

・貨車(10号車)

市電の前身、横浜電鉄時代の1914(大正3)年導入された電動貨車。
当時本牧にあったキリンビールの工場から、ビールを輸送しており、無蓋貨車と有蓋貨車が在籍した。
車体中央の支柱には2tの手動チェーンブロックを設けてある。戦後は保線用として、レールや敷石を輸送し、廃止時はこの10号車のみが在籍した。
廃止時にはこの10号車が花電車の大役も担った。

貨車の運転台。シンプルです。ブレーキは手動…簡単に運転する代物ではなさそうですね(^^;)

最後は現役の車庫を彷彿させる、電車の並びをご覧いただきましょう。


この市電保存館、現役の車庫のようで素敵な場所ですが、写真は撮りにくいです…。一眼レフをお持ちの方は、広角レンズ持参で見学されることをオススメします(笑)
入場料も安く、遠方から訪ねても満足できる施設なので、横浜を訪ねた際はぜひ行ってみてください!

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