前回の記事では行田までボンネットバスで行った話を書きましたが、今回からしばらくは行田の近代化遺産のシリーズを続けます。
そもそもボンネットバスの運行は、「ぎょうだ蔵めぐりまちあるき」イベントの一環。このイベントのメインは、秩父鉄道行田市駅付近の中心部に点在する、足袋蔵や近代化遺産をめぐるスタンプラリーです。
昨日の記事で書いたとおり、本当はバスメインで行こうかと思っていたのですが、いざ行田まで行ってみると遺産めぐりが面白くてバスを撮ったのは数コマだけでした(汗)
もし1年前にこのイベントへ出かけていたらバスばかり撮っていたことでしょう。視野が変わると見るものもどんどん変わってきます。
それはさておき、今回はかつての足袋工場、今は学生服の工場をご紹介。

一見昭和40年代の風景に見えますが(笑)、紛れもなく現代の、現役の工場の風景です。
このイサミスクール工場は、大正時代に出来た工場です。元々は足袋を作っていました。
行田は明治時代より足袋産業が盛んになり、最盛期には年間約8500万足、全国シェアのうち約8割を生産する、足袋の街です。
しかし昭和40年代以降、洋装の普及により足袋の需要も落ち、業種転換や閉鎖を余儀なくされました。
この工場は、足袋で得た技術を生かしたのでしょうか。今はスクールの名の通り学生服を生産してます。
普段は当然ながら関係者以外立入禁止なのですが、昨日と今日だけは特別に外観のみ見学ができました。
入口より工場内部を望む

右手の建物は1918(大正7)年築の旧事務所棟です。
敷地の中へ足を踏み入れていきましょう

左の緑色の建物は1917年築のノコギリ屋根の工場棟です。窓から見えるところには各地の中学・高校の制服の型紙がずらり並んでいました。私の地元のはありませんでしたが、近隣市町村の中学の名前がちらほら・・・。

さらに足を踏み入れれば、のこぎり屋根がよく分かります。
自販機とバンを視界から消せば昭和な雰囲気に…。バンは旧車に差し替えれば(以下略)

入口にあった「場置プンポンリソガ」。
恐らく消防ポンプを載せた台車が格納されていたのでしょうね~。
これだけ規模が大きく、昔の面影を残した工場が今も現役というのが素晴らしいですね!
昔の工場だと不便な点もあると思いますが、末永く使って欲しいと外野の人間は思います(^^;)。
そもそもボンネットバスの運行は、「ぎょうだ蔵めぐりまちあるき」イベントの一環。このイベントのメインは、秩父鉄道行田市駅付近の中心部に点在する、足袋蔵や近代化遺産をめぐるスタンプラリーです。
昨日の記事で書いたとおり、本当はバスメインで行こうかと思っていたのですが、いざ行田まで行ってみると遺産めぐりが面白くてバスを撮ったのは数コマだけでした(汗)
もし1年前にこのイベントへ出かけていたらバスばかり撮っていたことでしょう。視野が変わると見るものもどんどん変わってきます。
それはさておき、今回はかつての足袋工場、今は学生服の工場をご紹介。

一見昭和40年代の風景に見えますが(笑)、紛れもなく現代の、現役の工場の風景です。
このイサミスクール工場は、大正時代に出来た工場です。元々は足袋を作っていました。
行田は明治時代より足袋産業が盛んになり、最盛期には年間約8500万足、全国シェアのうち約8割を生産する、足袋の街です。
しかし昭和40年代以降、洋装の普及により足袋の需要も落ち、業種転換や閉鎖を余儀なくされました。
この工場は、足袋で得た技術を生かしたのでしょうか。今はスクールの名の通り学生服を生産してます。
普段は当然ながら関係者以外立入禁止なのですが、昨日と今日だけは特別に外観のみ見学ができました。
入口より工場内部を望む

右手の建物は1918(大正7)年築の旧事務所棟です。
敷地の中へ足を踏み入れていきましょう

左の緑色の建物は1917年築のノコギリ屋根の工場棟です。窓から見えるところには各地の中学・高校の制服の型紙がずらり並んでいました。私の地元のはありませんでしたが、近隣市町村の中学の名前がちらほら・・・。

さらに足を踏み入れれば、のこぎり屋根がよく分かります。
自販機とバンを視界から消せば昭和な雰囲気に…。バンは旧車に差し替えれば(以下略)

入口にあった「場置プンポンリソガ」。
恐らく消防ポンプを載せた台車が格納されていたのでしょうね~。
これだけ規模が大きく、昔の面影を残した工場が今も現役というのが素晴らしいですね!
昔の工場だと不便な点もあると思いますが、末永く使って欲しいと外野の人間は思います(^^;)。