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止れ3米後に

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行田の近代化遺産(1) イサミスクール工場

2011年05月22日 | 建築・土木
前回の記事では行田までボンネットバスで行った話を書きましたが、今回からしばらくは行田の近代化遺産のシリーズを続けます。
そもそもボンネットバスの運行は、「ぎょうだ蔵めぐりまちあるき」イベントの一環。このイベントのメインは、秩父鉄道行田市駅付近の中心部に点在する、足袋蔵や近代化遺産をめぐるスタンプラリーです。
昨日の記事で書いたとおり、本当はバスメインで行こうかと思っていたのですが、いざ行田まで行ってみると遺産めぐりが面白くてバスを撮ったのは数コマだけでした(汗)
もし1年前にこのイベントへ出かけていたらバスばかり撮っていたことでしょう。視野が変わると見るものもどんどん変わってきます。

それはさておき、今回はかつての足袋工場、今は学生服の工場をご紹介。

一見昭和40年代の風景に見えますが(笑)、紛れもなく現代の、現役の工場の風景です。
このイサミスクール工場は、大正時代に出来た工場です。元々は足袋を作っていました。
行田は明治時代より足袋産業が盛んになり、最盛期には年間約8500万足、全国シェアのうち約8割を生産する、足袋の街です。
しかし昭和40年代以降、洋装の普及により足袋の需要も落ち、業種転換や閉鎖を余儀なくされました。
この工場は、足袋で得た技術を生かしたのでしょうか。今はスクールの名の通り学生服を生産してます。
普段は当然ながら関係者以外立入禁止なのですが、昨日と今日だけは特別に外観のみ見学ができました。

入口より工場内部を望む

右手の建物は1918(大正7)年築の旧事務所棟です。

敷地の中へ足を踏み入れていきましょう

左の緑色の建物は1917年築のノコギリ屋根の工場棟です。窓から見えるところには各地の中学・高校の制服の型紙がずらり並んでいました。私の地元のはありませんでしたが、近隣市町村の中学の名前がちらほら・・・。


さらに足を踏み入れれば、のこぎり屋根がよく分かります。
自販機とバンを視界から消せば昭和な雰囲気に…。バンは旧車に差し替えれば(以下略)


入口にあった「場置プンポンリソガ」。
恐らく消防ポンプを載せた台車が格納されていたのでしょうね~。

これだけ規模が大きく、昔の面影を残した工場が今も現役というのが素晴らしいですね!
昔の工場だと不便な点もあると思いますが、末永く使って欲しいと外野の人間は思います(^^;)。

建築関係の講演会のお知らせ。

2011年05月05日 | 建築・土木
建物ネタは反応薄いのは分かってますが...ある意味義務なので(謎)

埼玉県入間市にある日本基督教団武蔵豊岡教会。西武池袋線や国道16号の車窓からも見ることが出来るこの教会は、アメリカ人で建築家・実業家・宣教師など幅広い顔をもつW・M・ヴォーリズが設計、1923年に竣工しました。
この度、大阪芸術大学の山形政昭先生と神奈川大学の内田青蔵先生のお二方をお招きして、豊岡教会の建物と設計者のヴォーリズの講演会が開かれることとなりましたので、弊ブログの方でもお知らせします。。

「愛と恵みの建築 建築家ヴォーリズと武蔵豊岡教会」

日時:
5月8日(日) 13:30より(13:00開場)

会場:
入間市黒須公民館 2階大会議室
西武池袋線入間市駅より徒歩15分
※狭山市方面からは西武バス狭山27系統の利用が便利です。

詳しくは主催者である入間市の文化遺産をいかす会のブログをご覧下さい。

この豊岡教会、縁あって見学させて頂いたことがありますが、すばらしい建物でした。



ヴォーリズの作品としては埼玉県下では唯一の存在だとか。。
著名なヴォーリズの作品としては、「山の上ホテル」や「明治学院チャペル」、「滋賀県豊郷小学校」「心斎橋大丸」などがあります。
また「メンターム」で知られる近江兄弟社を設立したのもヴォーリズです。一見知らない人に見えるけど、こう聞くと親近感が涌きませんか?

近代建築や郷土史に興味のある方、地元の方はぜひご来場いただければ幸いでございます。



高輪消防署二本榎出張所

2011年04月29日 | 建築・土木
今日は昭和の日だから…というわけではありませんが、東京へ建築を見に出かけました。
いくつかの近代建築を見たのですが、そのうちの一つの高輪消防署二本榎出張所を取り上げます。
港区は高輪にあるこの消防署、明治41年に二本榎派出所として発足しました。この建物は昭和8年に建築され、同時に高輪消防署に昇格されました。
昭和59年に高輪消防署は移転、ここは二本榎出張所として再発足し現在に至るそうです。
さて建物はドイツ表現主義を取り入れたモダンな建物です。

交差点の角地に位置しており、昔の消防署らしく望楼を持つ外観が素敵です。

車庫側から。消防車は3台入庫していました。その背後では訓練中の署員さんの姿が…現役の消防署です。

こちらは車庫と逆側。張り出した窓がいいですねえ。3階には丸窓も見えます。
さて丸窓がある乗り物と言えば!?「上田交通」とか「岳南の電機」、あるいは「西武E851」なんてお声を頂戴するかもしれませんが(笑)、そう船のイメージです。
この消防署の向かいには、高輪警察署があります。この警察署もかつては消防署とよく似たデザインの近代建築で、消防署と対になる存在だったそうです。
消防署・警察署が出来た頃は周りに高層ビルもなく、海抜25mと小高い丘に位置する二つの建物は、陸に浮かぶ船のようだ、と言われていたとか。
これは案内して頂いた署員さんにお聞きした話ですが、消防署はとても目立つ建物であったがために、戦時中は空襲の目標にされるのではと危惧されました。
それを回避するため、付近の住民総出で建物を迷彩色に塗ってしまったのです。その迷彩模様は戦後落とされたそうですが、その面影は今でも遺っていました。

窓の上の庇に、黒いスジの汚れのような模様が見えると思いますが、それが迷彩色の名残ということでした。。

消防署は受付で申し出れば建物内部も見学することができました。

1階から2階への階段。階段の床と壁は、大理石を砕きセメントと混ぜ合わせ、研ぎ出したものです。ピカピカでした。

3階内部。3階はかつては会議室として使われていましたが、現在は古い消防器具などが展示されていました。

3階内部には「ガス灯」が遺っています!これは停電時に使っていたそうです。今でもガスの配管も遺っているとか…さすがに点灯できないみたいでしたが(;^ω^)

この他にも、消防署と聞いてすぐ思い浮かぶ「すべり棒」なんてのもありました。今は使われていないそうです。自分は小学校の遊具を思い出して懐かしくなりました。


高輪消防署二本榎出張所の署員さん、お忙しい中ご案内して頂きありがとうございましたm(_ _)m




名栗農協の建物と旧村役場

2010年12月08日 | 建築・土木
先の記事で書いた名栗川橋・旧名栗郵便局は以前ドライブがてらじっくり見たことがあったのですが、今回の記事の建物は車中から見て以来気になっていた建物でした。
バスの「小殿」停留所前にあるこの建物。

水色に塗られた洋館っぽい建物、見た感じ農協の事務所みたいです。
この建物の歴史を紐解くと、大正時代に設立された「名栗産業組合」にたどり着くようです。
この建物は産業組合の事務所として1941(昭和16)年に完成しました。産業組合は、その後2年後には名栗村農業会となり、戦後の1947年に名栗村農業協同組合と改められました。その間事務所も引き継がれていったようです。
名栗村農協は平成の世にはいると、村の合併に先駆けて飯能市の農協に吸収され、以降もこの建物が使われ続けたようですが、2008(平成20)年に他の支店と統合され使用を停止したようです。。

付帯する蔵には○に「産」の文字がありますが、これは産業組合の建物だったことを証明しています・・・。
こういう建物は結構好きです。鉄ヲタの視点から見ると地方私鉄の「鉄道部事務所」なんかに使っていてもおかしくなさそうですねえ~。

その隣には、似たような洋館が・・・。

こちらは名栗村森林組合の事務所だった建物です。1949(昭和24)年に建築されたようです。
私は戦前の建物かと思ってました・・・。今は何に使われているかは分かりません。

さらにその隣には・・・

道路から一段上がった丘の上に、少しくすんだ建物がありました。これは公民館か何かかなあ・・・と思っていたら、かつての村役場だったそうです。
1953(昭和28)に着工、翌年に竣工し、1980年まで役場として使われたあと、1985年からは公民館として利用されていました。
現在は人の気配もありませんでした・・・。

公民館の下をゆく飯能行きのバス。登録されたばかりの6000番台エルガです・・。
小殿バス停周辺はかつては村の行政の中心部だったんでしょうねえ。

ここは3つ建物が並んでいましたが、飯能方から見ていくと建築年が下がっていく、面白い場所でした??
ただどれも普段から使われているようではないのが気がかりでした。何かに使えばいいのに・・・と思いましたが、難しいんでしょうねえ。

旧名栗郵便局

2010年12月07日 | 建築・土木
名栗シリーズ(?)はまだ続きます。

先の名栗川橋からさらにとぼとぼ歩き、バスが走る旧道とバイパスが合流するところに名栗郵便局があります。
今使われている建物は新しいですが、隣にはかつての郵便局がそのまま残っています。

ここの歴史ですが、1929(昭和4)年に名栗郵便取扱所が開設、1932年に三等郵便局に昇格、「名栗郵便局」となったそうです。
建物入口の屋根には「局便郵栗名」と記されていることから、恐らく1932年頃に建築されたのではないかと思います。

外壁には装飾が・・・知識が無いのですが鳥の装飾がいいですね。中央には郵便局のマークが輝いています。
窓サッシは後にアルミサッシに交換されているようです。古い写真を見ると違う窓枠がはめこまれていました。。。

件の入口の屋根です。以前見た高萩の郵便局は、局名がペンキで右書きされていましたがここは装飾として(?)取り付けられています。
扉は当時の物でしょうか。昭和30年代の写真と比較しても変わっていないと思います。。

1980年代まで郵便局として使われていたそうです。
名栗方面へ向かうバスの車内からも見れますので、お出かけの際は確認してみてください~。

<2010年12月15日 追記>
佐藤智之様のサイトClocks & Cloudsで、25年前の名栗郵便局の写真がアップされております。
郵便局として使われていた最晩年の写真だと思われます。貴重な写真ですので、ぜひご覧下さい!