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止れ3米後に

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名栗川橋

2010年12月06日 | 建築・土木
2週間ほどバスの話題ばかり取り扱っていましたが、まあバスのブログというわけではないので(そもそもそんなに知識がない)、他のテーマも扱いましょう・・・。
ですが鉄道ネタではなく、一番反響を得にくい建築土木カテゴリの記事ですが、まあお付き合い下さい。

先日バスに乗って訪れた旧名栗村。ここには有名(だと管理人が勝手に思っている)なコンクリート製アーチ橋の「名栗川橋」があります。

建設されたのは1924(大正13)年。元々、ここの少し上流に「大喜橋」という木橋が架かっていたそうですが、それが洪水の度に流出するため、永久橋としてこのアーチ橋を建設したそうです。
建設は県費で賄われる予定で、埼玉県が提示した案では2つの橋脚を持った桁橋となっていましたが、これでは再び流出してしまう!と懸念した名栗村側の人々が、増える建設費を負担する形でアーチ橋を建設したそうです。
当時埼玉県下に鉄筋コンクリートのアーチ橋は玉川村に一つあるだけで、それを実地調査したからか、デザインがかなり似ているそうです。ただし橋の規模は名栗川橋が上で、関東でも同時期のコンクリート製アーチ橋の中ではかなり大きい部類に入るようです。

1999(平成11)年に埼玉県の有形文化財に、2006(平成18)年に土木学会選奨土木遺産に指定されました。

名栗川橋のたもとにはバス停があります。名前はそのまんま「名栗川橋」です。

まだ新しそうに見える立派な待合所がありました。手前には・・・

エエ感じのベンチが置かれていました~。名栗あたりを歩いてるとこの手のベンチをいくつか目にしました。
しかしぴかぴかの待合所にこのベンチは似合わないなあ・・・(笑)

名栗ネタはあと2回ほど続きます。

伏木の街と看板

2010年09月26日 | 建築・土木
引き続き北陸の話を…。

「ヤード祭り」の会場最寄りとなった伏木駅です。

駅を出るとすぐにこんな建物が…

看板建築ではありませんが銅板で覆われているのがGoodですね!!

ヤードへ向かう道すがら…

今はやっていないと思うタクシー営業所がありました。
車庫内に日野ルノーとか初代セドリックを入れたい…と思ってしまう私が…(^_^;)
それはともかく建物の感じが海沿いっぽいなあ…と感じました。上手く説明できないのが残念というか悲しいですが…

表の道路から裏道に入ると…

まず右側の商店に目がいきましたが左もよ~く見ると、改装されてますが看板建築っぽいですねえ~。
屋根の部分がちょっとだけ見えています。こういうの好きです(*^_^*)

このほかにも文化財指定されている住宅とか、なかなかエエ感じの陶器店があったりしました…
それから家屋の脇に船のイカリが置いてあったり…先のタクシー営業所や、看板建築も含め、昔から港として栄えたのだろうなあ…と思いました。

さてさて港として栄えているという点はこんなところにも表れています。

これは伏木ヤードに掲げられていた看板ですが、「立入禁止」の下に書かれているのは英語でも今流行の(?)中国語やハングルではなく「ロシア語」です。
何でも日本海を挟んだ向かい側のロシアからの船が入港するから…だそうです。そういえば、万葉線の終点の越の潟から出ている渡船にもロシア語の注意表記がありましたな。

伏木駅の案内表記にもロシア語が…

「改札出口」や「高岡方面」は理解できましたが「氷見方面」がさっぱり…「Хими」だとローマ字とも共通点が無いし…しばらく頭の中が???な状態でした。
「В сторону」は「方面」という意味なんでしょうね~。

まあ駅の標識がこんな状態ですから(???)ちょっと異国情緒を感じてしまったのでした…。


次回からは高岡から埼玉までの旅行記かな~。

所沢方面ぶらりサイクリング(3) 鉄塔武蔵野線

2010年06月08日 | 建築・土木
柳瀬民俗資料館の見学を終えたあとは特別予定もないので、遅い昼食を取るべく広場を探して道なりに走っていきました・・・。

しばらくすると比較的低い送電鉄塔が見えてきました。
武蔵野線だ、と直感しました。というわけで近くを走っていくことにしました。

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この「武蔵野線」というのはJR武蔵野線ではなくて東京電力の送電線・武蔵野線です。
これを舞台にした、「鉄塔 武蔵野線」という小説がありまして、私はそれのファンなのであります。
というわけで、ここからの内容は作品を読んでないと分からないかもしれませんが…
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しばし送電線から離れた道をたどり、関越所沢インターの下をくぐりぬけると…
ラブホテル脇の鉄塔が目に入りました。おお、63号鉄塔じゃないか。
そのまま河岸段丘を下り、柳瀬川を渡りました。
新座貨物ターミナルで入換作業に勤しむDE10の汽笛を聴きながら、浄水場とおぼしき施設の廻りを走っていきます…
すると見えてきたのが

この鉄塔…65号です。現在は武蔵野連絡線21号。
送電線路を折り曲げる場所に位置してます。作品中では「スカートを穿いている」と形容される防護ネット用の腕金はもうありません…

武蔵野線のガードをくぐりぬけると、作品中で見晴とアキラが工事現場の作業員に怒鳴られる66号鉄塔が見えました。

でも結界(根元)しか撮ってない…(笑)
「武蔵野線のナンバーは?」「ダブルの6!」でしたが、今はダブルの2ですねえ…。

しばらく武蔵野線とは離れた道を走り、新座変電所が見えるところまで来ました。

新座変電所(作中では真賀田変電所)の"婆ちゃん鉄塔"と新座線引き留め鉄塔。

そこから道に迷いつつ、やっとたどり着いたのが…

作中での「永遠の出発点」である、75-1号鉄塔。
堀ノ内変電所(作中では香皿変電所)という変電所に電線を引き込むため、不思議な構造になっています。
作品では、この不思議な鉄塔に惹かれた主人公の見晴が武蔵野線を辿り始める…という、ストーリー上かなり重要なポイントです。

ここから先へさらに進もうかと思いましたが、すでにバテ気味だったのでやめておきました。

つづく
(タイトルが所沢方面ぶらりサイクリングなのに新座市内に入ってることは突っ込まないでください…笑)

所沢駅 ホームの観察記録3(終)

2010年04月18日 | 建築・土木
西武線所沢駅のホームと上屋の観察記録シリーズ。今回は4・5番ホーム篇です。
4・5番ホームは共に池袋線の下り飯能方面のホームです。

今回はホームと上屋をいっしょにご紹介しようと思います…
まずは飯能方の跨線橋の真下部分より。

手前が4番で奥が5番です。土留めはコンクリート製で、待避スペースが確保されています。
エレベーターの向こう側にはマッサージ店がありますが、ホーム上にあるというのはなかなか無いのでは?

上の写真と同じ場所で池袋方を眺めると、石積みの土留めが目に入ります。

1番ホームにも石の土留めがありますが、石の材質が違う気がします。詳しいことは分かりませんが…
この直上の上屋は古レールで組まれた上屋で、年季が入っています。

5番ホーム側は2番ホームと同様に屋根の"継ぎ足し"がなされています。中央の跨線橋も4番側に偏って建設されているので、ホームの拡幅が行われたのかもしれません。

ホーム上にある特急券の券売機から少し池袋方に行くと、写真のような3つ並んだ待避スペースが設けられています。

現地で見たときは、石積みを一部だけ崩して造ったのかと思いましたが、写真で振り返るとコンクリートブロックなどで新たに固められていることから、ホーム全体を壊して待避スペースごと新設したのかも…と思いました。

この直上からホーム中央の跨線橋までの間は木造屋根です。
この木造屋根は2・3番ホームに比べ塔頂が高く、さらに4番側に"継ぎ足し"に似た形の屋根が取り付けられています。

内部より

継ぎ足しに似た部分

跨線橋から眺めるとわかりやすいです。さびが浮いている部分が木造上屋です。
恐らく横から見ると
/\/ 4番ホーム側
↑の図のようになっているのと思われます。(わかりにくくてスミマセン)
材質やホームの幅などを考えると、後付ではなく竣工時からこうなっていたのではと推測します…


さてホームの方は、中央の跨線橋の付け根の直下で石積みが終わり、コンクリート製の土留めに変わります。


それもつかの間?ホーム上にコカコーラの自販機あるあたりからホーム終端まで、パイプで組んだホームになります。


パイプで組まれた部分のホームの上屋は柱が四角い鋼管、梁がC型鋼材の組み合わせです。

以上で終わりです…
自分で書いていて文章がグダグダというのは分かっていたのですが、勢いで載せてしまった感があります。
果たしてどのくらいの方がこのような記事を楽しみになさっていたかは疑問ですが、まあ個人的な備忘録ということで。
長々とお付き合いありがとうございました。

おしまい

所沢駅 ホーム観察記録2

2010年04月17日 | 建築・土木
前回に引き続き、所沢駅のホーム観察記録です。
今回は2・3番ホーム。2番は新宿線上り、3番は池袋線下りのホームです。
前回はホームの土留めと上屋をまとめて見てきましたが、今回は別々に見て参ります…

まずは2番ホームから。

1番ホームの新宿方から眺めています。この手前に跨線橋と自由通路がありますが、その部分の土留めは他と同様にコンクリートで固められていますので、今回は省略。
跨線橋より本川越方はこのように鉄パイプで造られた仮設風味なものとなっています。


ホーム中央の跨線橋より本川越方は、待避スペースがあるコンクリート製の土留めになっています。

続いて3番ホームを見て参ります。

飯能方跨線橋から中央の跨線橋の間は写真のようなブロックを組み合わせた土留めです。
所々に待避スペースがありますが後付のように感じます。


2番ホーム側と同様に、中央の跨線橋から池袋よりはコンクリート製の土留めとなっていました。


ただ、10両停止位置から池袋方の跨線橋までの短い区間のみ、鉄パイプで組まれた"足場"のようなタイプになっています。
このようにホームは様々な形態が入り乱れていますが、この形態は上屋もリンクしているのです。というわけで上屋を見て参りましょう。


飯能方の跨線橋から中央の跨線橋までの間は、柱・梁ともに古レールで組まれた上屋が続きます。
この上屋はホームの幅からすると2/3ほどの幅しか無く、2番ホーム側はあたかも上屋を継ぎ足したような形になっています。
増設部分は柱が四角い鋼管、梁がC型鋼材の組み合わせです。


跨線橋から眺めると良く分かります。白い部分が2番ホーム側の継ぎ足した屋根で、灰色に濁った屋根が古レールで組まれた上屋です。


さらに中央の跨線橋をホームから見ると、明らかに3番ホーム側(写真だと左側)に偏っています。
これらの「継ぎ足し」部分ですが、元々所沢駅の1番ホームと2番ホームの間に貨物用の待避線があり、新宿線の貨物輸送が終了した後に待避線を本線とし、本線の部分にホームを拡張したと私は推測しています。

話を上屋に戻すと、中央の跨線橋から池袋線10両停止位置までの間は、木造の上屋に変わります。



ご覧の通り年季が入った立派な上屋です。このタイプの上屋は西武鉄道の駅では良く見かけたと思います。まあ確証は無いのですが。


この木造の上屋が終了するところで見上げると、三角形に切りそろえられた独特の終了部を見ることが出来ます。


10両停止位置から先は恐らく、池袋・本川越方の跨線橋を増設したときに新設したと考えられる新しい上屋で、柱は鋼管・梁はC型鋼材の組み合わせです。


その跨線橋から2・3番ホームを見下ろします。
奥のさびが浮いている屋根が木造上屋にあたります。手前の跨線橋絡みで新設された上屋は、ホームの拡幅とは無関係だということも分かりますね。

これにて2・3番ホーム篇は終了です。
説明が不十分なところがあると思いますが、何分素人が書いているもんですからご容赦下さい。ご指摘などありましたらお気軽にコメント欄までお願いします…