鏡海亭 Kagami-Tei  ネット小説黎明期から続く、生きた化石?

孤独と絆、感傷と熱き血の幻想小説 A L P H E L I O N(アルフェリオン)

・画像生成AIのHolara、DALL-E3と合作しています。

・第58話「千古の商都とレマリアの道」(その5・完)更新! 2024/06/24

 

拓きたい未来を夢見ているのなら、ここで想いの力を見せてみよ、

ルキアン、いまだ咲かぬ銀のいばら!

小説目次 最新(第58)話 あらすじ 登場人物 15分で分かるアルフェリオン

第56話(その2)予め歪められた生――イアラ、壊れた心

目次これまでのあらすじ | 登場人物 鏡海亭について
物語の前史プロローグ

 


2.予め歪められた生――イアラ、壊れた心


 
 ◆ ◆
 
「いま、君は心から助けを求めた。それは、君が自分以外の誰かを、まだ信じようとしていることの証だ」
 日没近づく藍色の空のような、濃い青の髪がなびき、同じく青の衣が翻る。
 長い髪を揺らしながら《彼》が振り返ったとき、荒野を貫く疾風さながらに何かが駆け抜けたかと思うと、いくつかの影が血しぶきを上げて弾け、切り刻まれた肉塊が折り重なった。それらは人に似ていたが、人間ではなく、たとえばオークやゴブリンのごとき亜人型の魔物のものだった。そして最後に、見えない無数の刃は、役目を終えると多量の水に変わり、空中から滝のように流れ落ちた。
「あなたは……」
 イアラは涙声で尋ねた。水の魔術がもたらした恐るべき結果を、それ以上に、誰かが自分を救いに来てくれたことを、まだ本当だと認識できない表情で、彼女は乱れた黒髪の奥から見知らぬ救い手を仰ぎ見る。
「俺はアムニス。古の契約により、君を守る」
 彼の落ち着いた声が心地良く沁み通ってくる。他人の背中がこれほど心強く感じられたことは、今まで彼女には無かった。
 好色な魔物たちに引き裂かれた着衣を、イアラは胸元で押さえ、床に座り込んだまま動かない。露わになった彼女の背中、二の腕や脚など、身体の所々に、爬虫類を思わせる濃い緑の鱗が痣のように浮かび上がっている。その姿は、竜と人間との間に生まれたという伝説上の《竜人》が蘇ったかのようだ。
 「こんな私を、あなたは助けてくれるの? アムニス……」
 彼を見上げるイアラの素顔は――いつものような薄布で覆われておらず、右半分は、ごく普通の若い女性のそれであるのに対し、左半分、額から目の周囲、頬の上の方にかけて、例の鱗が広がり、そこに大きく開いた左目には、焔の色で揺れる人ならぬ者の瞳が輝く。
「イアラ、君の《竜眼》はとても美しい。誇り高き竜の血を引く御子よ」
 アムニスは羽織っていた長衣を脱ぎ、彼女の震える肩からそっと掛けた。
「そんな高貴なわが主を、魔物呼ばわりして侮辱し、辱めようとした貴様らは万死に値する。いや、そう簡単に死ねると思ったら大間違いだ」
 人間に似ているだけに余計に目を覆いたくなる無残な魔物たちの死体と、そこから流れ出た毒々しい色の血だまりとを踏み越えて、アムニスは、ごく平然と歩む。先ほどイアラにかけた優しい言葉とは完全に異なる、温情の一片すら感じさせない、凍てついた響きで彼は告げる。
「ここで行われていたことは、おそらく、この王国の名誉のために決して外に漏らされることはないだろう。だから、貴様らがここで命を失っても、その事実も闇に葬られるだけだ」
 イアラたちの周囲は高い壁に囲まれ、かつてのレマリア帝国の円形闘技場を模した造りになっている。その分厚い壁の後方、ひな壇状になった客席部分では、仮面舞踏会のようなマスクで顔を隠した身なりの良い人々が、呑気に酒を呑みながらイアラたちを見下ろしていた。
 こんな噂がある。国の上流階級のうち、普通の娯楽ではもはや満足できなくなった者たちが、権力と金の力で裏の組織を動かし、口にするのもはばかられるような残虐あるいは淫猥な見せ物を違法に楽しんでいるのだと。これもその手の闇の催しのひとつであろう。
 だが、支配者たちの享楽の場は、アムニスによって、今度は彼らを主役とする阿鼻叫喚の地獄絵図に変わった。
 
 ◆ ◆
 
 思念の中でフォリオムと向き合ったアムニスが、厳格な口調で過去を振り返っている。
「イアラは、いにしえの竜の血が遥か隔世を経て強く発現したその姿により、両親も含めたすべての人間から、生まれながらに疎まれていた。そんな彼女を初めて受け入れ、優しくしてくれた……そのように思われた相手に、イアラは裏切られた。最初から騙されていたのだ」
 アムニスに向けられていたフォリオムの目が、無言のまま閉じられた。白髭に覆われた顎を押さえ、そのまま黙り込んでいるフォリオムの前で、アムニスの独白が続く。
「彼女は《人間に似た魔物》として売られた。人間の欲望には……とりわけ、現世のすべてを得た者たちの強欲には、彼らの傲慢な勘違いのせいもあって……際限というものがない。人間の剣奴同士の戦いや、魔物同士の殺し合い、あるいは魔物が人間を喰らう様にも飽食した彼らは、もはや遠い時代に滅びたといわれていた貴重な竜人を思わせる存在、しかも美しい女性であるイアラを、自分たちの欲望への新奇な供物にしようと狙っていた」
 アムニスは、パラディーヴァらしからぬ怒りの感情を、隠すこともなく全面に浮かべ、吐き捨てるようにつぶやいた。
「イアラの人間性を否定し、所詮は同じ《魔物》同士の野蛮な本能による行為だとして、彼女をオークやゴブリンどもが寄ってたかって犯そうとする姿を、魔物以上に醜いあの人間どもは楽しんでいたのだ。これほどおぞましいものが、この世にあるだろうか」
「人間というのは実に酷い生き物じゃな。《あれ》の御使いたちの言うように、《愚かな人間ども》は一度滅びてしまってもよいのかもしれん。いや、悪い冗談じゃったか……」
 フォリオムは、アムニスとは対照的に心の揺れをまったく感じさせない様子で、その意味ではパラディーヴァらしく淡々と答える。
「かつての時代から、《水》の御子は、他の御子よりも特に膨大な魔力量をもって生まれてくることが多い。イアラもそうかの。その魔力の影響が、彼女の中に眠る遠い竜の血を必要以上に目覚めさせてしまったということか。たとえば旧世界において、あの《永遠の青い夜》の《魔染》により、魔物化まではしなかったにせよ、魔物の因子を持ってしまった人間は少なくない。あるいは、それよりもさらに古い時代、伝説上の本当のドラゴンの血を引く一族の末裔、かもしれん」
 頷いたアムニスの言葉からは、その声の力強さに反して、未来に対する明るい希望は感じられなかった。
「人間であるのに、同じ人間たちからは人として扱われなかったこと、それどころか自らの人間性を完全に否定されたこと、そして何よりも、この世でただ一人の信じた者に裏切られたことで、イアラの心は壊れてしまった」
 
 ◇
 
「そんな自分が、なぜ人間のために、この世界のために、御子として命をかけて戦わねばならないのかと、イアラは拭いきれない疑問を抱いているのじゃよ。分かるであろう、その気持ち自体は」
 フォリオムの言葉に、アマリアは顔色ひとつ変えずに向き合っていたが、ルキアンとエレオノーアは動揺を隠せなかった。特にエレオノーアは、吐き気を催したような様子で、目に涙を溜めながらルキアンの胸に額を押し付けた。
「酷いです、酷すぎます。自分だけが他人と違っていて、それでも受け入れてくれた唯一の人に、裏切られるなんて……。初めて信じることのできた人に騙され、魔物たちに襲われるなんて」
 彼女は心の中で、言葉を震わせた。思い浮かべたくもないことを、それでも想像してしまって。
 ――私の立場だとしたら、それは、おにいさんに裏切られたようなもの。もし、そんなことがあったら、私は……。
 自らも《聖体降喚(ロード)》によって生成された存在であるエレオノーアは、生まれつき普通の人間とは違うものを抱えたイアラのことを、とても他人事とは考えられなかった。感受性の強い、あるいは思い込みの人一倍強いエレオノーアが、イアラの悲劇を我がことのように受け止め、心をかき乱されているのを見て、ルキアンは彼女を支える腕に力を込めた。
 そのとき、自身も何らかの術式の完成を粛々と進めながら、アマリアが二人に告げた。そこには何の心情の変化も感じられない。
「気持ちは分かるが、私情に心を乱されている場合ではない。己が為すべきことを全力で果たせ」
 薄情にも思えるほど冷静なアマリアの様子だったが、彼女の言う通りだ。たったいま、ルキアンたちが対峙しているのは、本物ではないにせよ、あの《始まりの四頭竜》の力と姿とをもった化け物なのだから。
 意外にも、アマリアの言葉に最初に反応し、強大な敵を見据えたのは、ルキアンではなくエレオノーアだった。
「イアラさんも、《御子》として生まれてきたから、《あれ》によって《予め歪められた生》の呪いをその身に受けることになったんですよね。だから、そんな悲しい目にあったのですよね。そうですね、アマリアさん?」
 アマリアが無言で頷くのを待たずして、エレオノーアは青い瞳に怒りの焔を燃え立たせて言った。
「だったら、イアラさんのためにも、まずは、この竜を必ず倒しましょう。《あれ》の《御使い》は、《御子》の敵です」
 エレオノーアの左目に闇の紋章が浮かび上がる。彼女の霊気が高まり、背中に青いオーラが立ち昇った。
「む? これは、また……」
 フォリオムが帽子のつばを持ち上げ、小さな吐息とともにエレオノーアの方を見つめる。見る間に彼女のオーラは色濃く、大きく広がり、やがて蝶の羽根の形となって、爆発的な魔力を開放して羽ばたいた。
 その《光の羽根》を見て、ルキアンはあることを思い出した。
「ものすごい力を感じる。そういえば、僕が、この結界にエレオノーアを取り込んだとき、彼女は《蝶》に変わった。あれは偶然じゃなかったんだ。彼女の力、アーカイブとしての力を象徴するのが、あの輝く蝶の羽根……」
 驚きを隠せないルキアンに対し、エレオノーアは、普段の彼女からは想像できないほど、てきぱきと指示をする。
「おにいさん、いますぐ防御呪文の詠唱に入ってください。発動までに複合立体魔法陣を構築する必要がありますので、私は術式生成の演算に集中します。それからすいません、フォリオムさん、呪文の発動まで、わたしとおにいさんを守ってください。お願いします!」
「わ、わし? おお、構わんぞ」
 フォリオムは苦笑した。たしかに、いまルキアンとエレオノーアは高度な防御魔法の構築に全力を注いでおり、竜のブレスからの守りを彼らに委ねたアマリアも、何か次の大きな策を講じている。手が空いているのはフォリオムだけだ。
 ――やりおるわい、この娘。《あれ》と戦うために《ロード》で作られた御子というのは、やはり桁違いじゃ。
 
 
【第56話(その3)に続く】
 
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