篤姫は13代将軍家定の正室です。今はとっても有名な人です。夫亡き後は天璋院。「璋」ってなんだろうと思ったら、玉(東洋で珍重された宝石)製品の「ひしゃく」みたいです。まあ「玉」という意味でしょう。
ウィキペディアを見ると「大奥」で菅野美穂さんが演じたとか「単発ドラマ、主役」で佐久間良子さんが演じた。大河「篤姫」で宮崎あおいさんが演じたと「3つの作品」が載っています。
何か忘れてはいませんか?と思います。大河「翔ぶが如く」で富司純子さんが演じましたし、大河「慶喜」では深津絵里さんが演じました。
大河「慶喜」は総集編すらDVDになっていません。私は昔、スカパーの時代劇専門チャンネルで録画したので、探せば全話分を持っていると思います。
「翔ぶが如く」が1990年ですから、1998年の「慶喜」の時には私は十分に篤姫のことを知っていたはずです。でも気が付かなかった。そもそもは、司馬さんの何かの文章で知りました。大変賢く、人望があったと書いてあった気がします。ちなみに小説「翔ぶが如く」には登場しません。小説の方は全部明治後の話だからです。大河ドラマの明治以前の部分は、脚本の小山内美江子さんが、司馬さんの他の幕末ものを参考に1から作り上げたものです。素晴らしい創作力です。
さて大河「慶喜」の篤姫ですが、すっごく「高慢ちきな女」なのです。あまり登場もしません。だから篤姫だと気が付きませんでした。深津絵里さんは1998年には「踊る大捜査線」に既にでており、「きらきらひかる」では主演もしています。なんで大河「慶喜」で「わきのわき」みたいな役につき、あんな「いやな女」を演じたのか、不思議です。
宮崎あおいさんの「篤姫」は「かろうじて1回観た」程度です。苦手な作品です。なにしろ主人公が徳川に嫁いでから一回も江戸城を出ないわけです。準主役は小松帯刀ですが、キャラとしては坂本龍馬の「いいとこ取り」みたいな人物として設定されていました。
夫である13代家定、堺雅人の設定が不思議でした。「暗愚のふりをしているという設定」でした。「子供のころから何度も毒をもられたから」だそうですが、じゃあ大人になって「将軍親政」を行い、敵を「粛清」すればいいと思いますが、どうも「トラウマ」を持っているみたいで、まあ不思議な設定でした。
史実としてもよく分からないところがあります。病弱だったということは良く言われます。「子供はできないだろう」と当時から思われていました。女性と性交渉ができない病弱な体ってなんだろうと思います。脳性麻痺とも言われますが、確実なところはわかりません。
とにかく子供は作れない。だから「誰を次の将軍にするか」が早くから問題となりました。一橋派が負けて、徳川家茂(いえもち)派が勝ち、紀州から入って12歳で将軍となります。篤姫は家茂を我が子のように育てた、らしい、のですが20歳で亡くなっています。脚気衝心つまり「かっけ」というビタミンB1欠乏症です。白米ばかり食べているとそうなります。玄米だと予防できます。豚肉を食べるとまずこの病気にはなりません。
実は篤姫の夫である家定も「脚気衝心」で亡くなっています。篤姫が食事を作っていたわけではないので、別に篤姫のせいではありません。でも「薩摩産の豚肉」を勧めていれば、家定も家茂も少しは長生きできたかも知れません。食生活は大切です。豚肉は「不浄なもの」ですが、けっこう「隠れて食べていた」人も多いのです。
徳川慶喜に至っては隠れて食うなんてこともせず、堂々と食べていました。でついたあだ名が「豚一様」です。写真をみると貴族風のなかなかにいい男なんですけどね。豚のおかげか、パンのおかげか、75歳ぐらいまで長生きします。亡くなったのは明治帝のあとで、大正2年です。幕末ものの本を読むのが好きだったようです。たぶんですが、夏目漱石だって読んでいたはずです。
さてドラマの天璋院にもどると、
富司純子さんが演じた時は驚きました。若い頃を別の女優が演じるわけでもなく、いきなり富司純子さんが10代を演じたわけです。幕末だってまだ30歳ちょっとで、亡くなった明治16年でも47歳です。でも富司さんの天璋院はいかにも「包容力があり」、西郷に対しても優しい人間として描かれました。
(西郷は斉彬の公武合体構想に沿って行動はしなかったけれども)
よい、世は流れているのです。吉之助は立派に世直しをしたのです、と西郷に告げます。西郷涙ぼろぼろでした。
北川景子さんの天璋院は「西郷、慶喜殿の首ひとつでこの戦を終わらせてくれ」と命令調でした。女優さんは綺麗ですが、セリフが美しくありませんでした。
慶喜の首ひとつ差し出す、自分も死ぬという論理です。まあ西郷あての手紙では「たしかにそんなことを書いては」いるのです。慶喜は天罰を受けても仕方ないし、自分もどうなってもいいが、徳川家だけは守ってほしい、とそう「書いては」います。なんで「天罰」いう言葉が出るかといえば、彼女は「息子同然の14代家茂を殺したのは慶喜だ」と信じていたからです。
が、そのまま単純に彼女が「慶喜に切腹させ、自分も死ねば事態は収まる」に思っていたとは思えません。しつこく「徳川家」と何度も書いている点が重要かと思います。
「徳川家を潰すというが、もし立場が逆で、島津家を潰すと言われたらどうする。勅命であったとしても、それに西郷は従うのか。島津家臣が家を重んじるように、徳川家臣も家を重んじている。ここは立場を変えて考えてみてほしい。島津はむろんのこと西郷家だって潰したくはないだろう。」
「家の論理」を繰り返し訴えることによって、「家を特に重んじる薩摩」の武士である西郷の弱点を突いている、私にはそう読める気がしてなりません。
ウィキペディアを見ると「大奥」で菅野美穂さんが演じたとか「単発ドラマ、主役」で佐久間良子さんが演じた。大河「篤姫」で宮崎あおいさんが演じたと「3つの作品」が載っています。
何か忘れてはいませんか?と思います。大河「翔ぶが如く」で富司純子さんが演じましたし、大河「慶喜」では深津絵里さんが演じました。
大河「慶喜」は総集編すらDVDになっていません。私は昔、スカパーの時代劇専門チャンネルで録画したので、探せば全話分を持っていると思います。
「翔ぶが如く」が1990年ですから、1998年の「慶喜」の時には私は十分に篤姫のことを知っていたはずです。でも気が付かなかった。そもそもは、司馬さんの何かの文章で知りました。大変賢く、人望があったと書いてあった気がします。ちなみに小説「翔ぶが如く」には登場しません。小説の方は全部明治後の話だからです。大河ドラマの明治以前の部分は、脚本の小山内美江子さんが、司馬さんの他の幕末ものを参考に1から作り上げたものです。素晴らしい創作力です。
さて大河「慶喜」の篤姫ですが、すっごく「高慢ちきな女」なのです。あまり登場もしません。だから篤姫だと気が付きませんでした。深津絵里さんは1998年には「踊る大捜査線」に既にでており、「きらきらひかる」では主演もしています。なんで大河「慶喜」で「わきのわき」みたいな役につき、あんな「いやな女」を演じたのか、不思議です。
宮崎あおいさんの「篤姫」は「かろうじて1回観た」程度です。苦手な作品です。なにしろ主人公が徳川に嫁いでから一回も江戸城を出ないわけです。準主役は小松帯刀ですが、キャラとしては坂本龍馬の「いいとこ取り」みたいな人物として設定されていました。
夫である13代家定、堺雅人の設定が不思議でした。「暗愚のふりをしているという設定」でした。「子供のころから何度も毒をもられたから」だそうですが、じゃあ大人になって「将軍親政」を行い、敵を「粛清」すればいいと思いますが、どうも「トラウマ」を持っているみたいで、まあ不思議な設定でした。
史実としてもよく分からないところがあります。病弱だったということは良く言われます。「子供はできないだろう」と当時から思われていました。女性と性交渉ができない病弱な体ってなんだろうと思います。脳性麻痺とも言われますが、確実なところはわかりません。
とにかく子供は作れない。だから「誰を次の将軍にするか」が早くから問題となりました。一橋派が負けて、徳川家茂(いえもち)派が勝ち、紀州から入って12歳で将軍となります。篤姫は家茂を我が子のように育てた、らしい、のですが20歳で亡くなっています。脚気衝心つまり「かっけ」というビタミンB1欠乏症です。白米ばかり食べているとそうなります。玄米だと予防できます。豚肉を食べるとまずこの病気にはなりません。
実は篤姫の夫である家定も「脚気衝心」で亡くなっています。篤姫が食事を作っていたわけではないので、別に篤姫のせいではありません。でも「薩摩産の豚肉」を勧めていれば、家定も家茂も少しは長生きできたかも知れません。食生活は大切です。豚肉は「不浄なもの」ですが、けっこう「隠れて食べていた」人も多いのです。
徳川慶喜に至っては隠れて食うなんてこともせず、堂々と食べていました。でついたあだ名が「豚一様」です。写真をみると貴族風のなかなかにいい男なんですけどね。豚のおかげか、パンのおかげか、75歳ぐらいまで長生きします。亡くなったのは明治帝のあとで、大正2年です。幕末ものの本を読むのが好きだったようです。たぶんですが、夏目漱石だって読んでいたはずです。
さてドラマの天璋院にもどると、
富司純子さんが演じた時は驚きました。若い頃を別の女優が演じるわけでもなく、いきなり富司純子さんが10代を演じたわけです。幕末だってまだ30歳ちょっとで、亡くなった明治16年でも47歳です。でも富司さんの天璋院はいかにも「包容力があり」、西郷に対しても優しい人間として描かれました。
(西郷は斉彬の公武合体構想に沿って行動はしなかったけれども)
よい、世は流れているのです。吉之助は立派に世直しをしたのです、と西郷に告げます。西郷涙ぼろぼろでした。
北川景子さんの天璋院は「西郷、慶喜殿の首ひとつでこの戦を終わらせてくれ」と命令調でした。女優さんは綺麗ですが、セリフが美しくありませんでした。
慶喜の首ひとつ差し出す、自分も死ぬという論理です。まあ西郷あての手紙では「たしかにそんなことを書いては」いるのです。慶喜は天罰を受けても仕方ないし、自分もどうなってもいいが、徳川家だけは守ってほしい、とそう「書いては」います。なんで「天罰」いう言葉が出るかといえば、彼女は「息子同然の14代家茂を殺したのは慶喜だ」と信じていたからです。
が、そのまま単純に彼女が「慶喜に切腹させ、自分も死ねば事態は収まる」に思っていたとは思えません。しつこく「徳川家」と何度も書いている点が重要かと思います。
「徳川家を潰すというが、もし立場が逆で、島津家を潰すと言われたらどうする。勅命であったとしても、それに西郷は従うのか。島津家臣が家を重んじるように、徳川家臣も家を重んじている。ここは立場を変えて考えてみてほしい。島津はむろんのこと西郷家だって潰したくはないだろう。」
「家の論理」を繰り返し訴えることによって、「家を特に重んじる薩摩」の武士である西郷の弱点を突いている、私にはそう読める気がしてなりません。