散文的で抒情的な、わたくしの意見

大河ドラマ、歴史小説、戦国時代のお話が中心です。

2022年大河ドラマ「鎌倉殿の13人」・13人の名前と年齢

2020年01月12日 | 鎌倉殿の13人
鎌倉殿の13人とは以下の13人・ただし三浦義澄に代わり子の三浦義村が描かれる可能性がある。

大江広元 公文所別当 → 政所別当
三善康信 問注所執事
中原親能 公文所寄人 → 政所公事奉行人。鎮西奉行
二階堂行政 政所家令 → 政所執事
梶原景時 侍所所司 → 侍所別当。播磨・美作守護 正治元年(1199年)失脚(梶原景時の変)
足立遠元 公文所寄人
安達盛長 三河守護 正治2年(1200年)病死
八田知家 常陸守護
比企能員 信濃・上野守護 建仁3年(1203年)謀殺(比企能員の変)
北条時政 伊豆・駿河・遠江守護 元久2年(1205年)追放(牧氏事件)
北条義時 寝所警護衆(家子)
三浦義澄 相模守護 正治2年(1200年)病死
和田義盛 侍所別当 建暦3年(1213年)滅亡(和田合戦)

源頼朝(1147-1199) 享年52才 1180年時点33才・1192年時点45才

大江広元(1148-1225)・おおえひろもと
享年77才・1180年時点32才・1199年時点51才 大江姓は晩年・それまでは中原広元・中原親能は兄・嫡男大江親広は承久の乱で上皇側
早くから政所長官・守護地頭設置を進言・頼朝存命時は実質ナンバー2・一貫して北条義時と協力関係

三善康信(1140-1221)・みよしやすのぶ
享年81才・1180時点40才・1199年時点59才
問注所執事(裁判所長官)・承久の乱では主戦論を展開・北条義時とは協力関係

中原親能(1143-1209)・なかはらちかよし
享年66才・1180年時点37才・1199年時点56才
京都守護・政所奉行・大江広元の兄

二階堂行政(生没年不詳・頼朝と同年代か)・にかいどうゆきまさ
京都の公家出身・行政官・政所執事

梶原景時(1140?-1200)・かじわらかげとき
享年60才・1180年時点40才・1199年時点59才
坂東武者・御家人・合議制発足後すぐに失脚・教養人・歌人

足立遠元(1130頃-1207頃)・あだちとおもと
享年77才・1180年時点50才・1199年時点69才
東京都足立区あたりを拠点とした武将・平治の乱に源義朝のもと参加・公文所寄人

安達盛長(1135-1200)・あだちながもり
享年65才・1180年時点45才・1199年時点64才
鎌倉最有力御家人安達氏の祖・源頼朝の側近・子の安達景盛は頼家とは対立、実朝の側近

八田知家(1142-1218)・はったともいえ
享年76才・1180年時点38歳・1199年時点57才
保元の乱に参加・北条氏に対抗した頼家の下知により、阿野全成(頼朝の弟・頼家のおじ)を誅殺した

比企能員(没年1203)・ひきよしかず
頼朝の乳母比企尼の猶子・娘、若狭局は頼家の妻・頼家の外戚として権勢を振るう

三浦義澄(1127-1200)・みうらよしずみ
有力御家人・享年73才・1180時点53才・1199時点72才
三浦氏の運営は子の三浦義村(1160-1239)に譲っていたと考えられる。

和田義盛(1147-1213)・わだよしもり
享年66才・1180年時点33才・1199年時点52才
坂東武者・最有力御家人・初代侍所長官・数々の武功を挙げる

北条時政(1138-1215)
享年77才・1180年時点42才・1199年時点61才

北条義時(1163-1224)
享年61才・1180年時点17才・1199年時点36才

時効警察はじめました・吉岡里帆・感想

2020年01月12日 | 時効警察
今更ながら「時効警察はじめました」

第3話ぐらいまではどうなることかと思っていましたが、その後はよかったと思います。

吉岡里帆さん

色々と心配する声がありましたが、終わってみればよく演じたと思います。壊れた感じの演技がよかったと思います。

個人的好みとしては
1、趣里さんの回
2、ギバちゃんが出てくるプロレスの回
3、最終回
4、カトちゃんが出てくる部分

が好きです。

三日月「ババンババンバンバンっていうのは、いい湯だなという気持ちを表しているのよね」
霧山「壁を叩いた音じゃないの」
彩雲「じゃあ、あービバビバノンノというのは」
三日月「そんなの知らないわよ。カトちゃんに聞きなさいよ」

ババンババンバンバン・ビバノンノってどういう意味なのでしょうか。

2022大河ドラマ「鎌倉殿の13人」・鎌倉幕府の成立を、どう考えたらいいのか。

2020年01月11日 | 鎌倉殿の13人
北条義時についての「説明」は、「北条義時は信長より凄い」で書いています。

鎌倉幕府を語るにはどうしたって、後白河法皇から始めないといけません。時代は1167年ぐらいです。京都の政務は、以前から「治天の君」(ちてんのきみ)と言われた「上皇」が行っていました。そこに登場するのが後白河上皇です。平清盛とともに、まあ時々は喧嘩しながら、政務を行っていました。政務って、まあ土地の調停とか、治安の「そこそこ維持」といったものです。あとはまあいろいろ、みたいです。

彼はあまり品のよろしくない流行歌が大好きでした。「今様」(いまよう)と言います。「梁塵秘抄」(りょうじんひしょう)という歌集が今でも残っていて、彼の最大の文化的遺産です。いい歌が沢山あります。今でもAKBが大好きとかいう「くだけた知識人のおっさん」がいますが、そんなもんです。新しもの好きだったようです。

この人、平氏を利用し、あるいは平氏から利用され、後白河&平氏政権みたいなものを運用していきます。平家滅亡後も木曽義仲を利用しようとして失敗したり、源義経を利用したりしますが、源頼朝と鎌倉政権だけは利用できなかったようです。

平清盛は割と最後まで後白河法皇とうまくやっていきますが、いろいろともめ事は両者にはありました。1179年になって「土地の所有権をめぐる争い」(これは当時最大の政治課題)が「直接のきっかけ」になって法皇にぶちきれます。それで清盛はクーデターを起こして、後白河を幽閉して院政を停止させてしまいます。1179年という年が重要。源頼朝が鎌倉政権をスタートさせる挙兵をするのが翌年の1180年です。

平清盛はどこまで「やってやろう」と考えていたのか。その後福原(神戸)に都を移します。平家幕府を構想していたという人もいますが、それはここでは書きません。とにかく「平氏の世」はここで頂点を極め、同時に没落が始まります。

その頃、関東には北条氏のような存在がいました。土豪というか開発領主と言おうか、土地を持っていて武力を持つ人々でした。しかしその土地の所有権・課税権は不安定なうえ、土地紛争を中立的に裁定する機関もなく、そのうえ、畿内の治安警護に動員されてもいました。彼らをなんと呼ぶかは学説でも一定していないように思います。ここでは坂東武者とでもしておきます。

後に鎌倉幕府の中核を担う人々です。平氏政権にも後白河政権にも貴族にも寺社にも「不満だらけ」だったわけですが、団結して反抗することもできず、ひたすら不満を抱えながら我慢していたわけです。

京都なんかに干渉されない「おれたちの王様」を持って、その王様に「土地問題を判断してもらえばいい」、そう考えるようになっていたと思われます。

そもそも「我慢する」ような人間でもありません。江戸の武士とは違う存在です。犬を集めて弓で射る競争をしたり(犬追物、江戸期も薩摩藩などに残存)、場合によっては人を射って生首を並べて興奮したり、要するに「あらくれ者」です。品のいいサムライなんかじゃありません。

そこに後白河法皇の幽閉という事件が起きるのです。後白河の息子である以仁王は「平家追討の令旨」を発し、それが全国に流布します。なお以仁王の令旨は平家にも否定されましたが、朝廷も後に「非公式」として否定しているようです。そもそも以仁王は皇太子ではないので、令旨は出せません。出せるのはせいぜい御教書です。つまり本来はそんなに重いものでもないのです。

とはいうものの、源頼朝はこの令旨を利用します。彼は伊豆に流されていたのですが、決起するしかない状況にありました。令旨を手にした以上、決起しなければ逆に平家に追討されるのです。そして決起するにあたりこの令旨を「自分は正しい」という根拠として利用します。

ここで大河「鎌倉殿の13人」の主人公である北条義時や父の北条時政は、頼朝に味方しますが、最初の方の戦いでは300程度しか兵がいません。令旨の効力など当然なく、平家側にボコボコにされて、千葉に逃げます。この時、平家側の梶原景時は、落ち武者狩りで発見した源頼朝をひそかに逃がしたとされます。梶原は後に鎌倉で重臣となります。

この時の北条義時は、江間小四郎と名乗っており、北条家の嫡男ですらありません。ただの17歳の若武者でした。

さきに関東武者は「おれたちの王様」を必要としていたと書きました。その根拠の一つが「負けた頼朝軍の増大」です。負けた源頼朝軍に、上総介広常(かづさのすけひろつね)を始め、関東武者が次々と参加します。単に「源氏への恩」でもなく、「平家への反発」だけでもない。彼らは等しく無学でしたが、それでも中には「源頼朝をかついで、おれたちの独立勢力を築く」と考えていた知恵者はいたと思われます。彼らは、京都政権からは「ほとんどただ収奪されるだけの存在」だったからです。

政権の仕組み構築には「知識人」が必要ですが、頼朝には近くに京都からきた知識人が多少いたようですし、やがて大江広元なども鎌倉にやってきます。むしろそういう京都の知識人こそ「頼朝のもと坂東武者を組織化して、関東に独立勢力を築こう」としていたのかも知れません。

増大した頼朝軍は次々に平家側を破ります。ここで頼朝には「京都に攻め込んで、平氏にとって代わる」という選択肢もありました。なにしろ源氏は貴族です。しかし関東武者たちが反対します。

彼らは京都の干渉を排除して、自分たちの土地の所有権を認めてくれ、土地紛争が起きた時には調停する「おれたちの王様」が必要だったのであり、「なんで京都まで行かなくてはいけないのか」と主張したのです。頼朝も京都進軍を一旦中止し、関東に政権の基礎を築いていきます。(本領安堵新恩給付)

その後、守護地頭の設置、承久の乱の勝利を経て、幕府の姿は変容しますが、京都の干渉を排除するという姿勢は一貫しています。ただし京都には干渉し、幕府の意志で天皇を決定したりします。

初期の鎌倉政権はこのように「独立勢力として」成立しました。成立は1180年という考え方です。むろん他にも成立年代に対する考え方はあり、それぞれに根拠は持っています。

2022年大河ドラマ「鎌倉殿の13人」・主人公の北条義時は織田信長より凄い。

2020年01月11日 | 鎌倉殿の13人
北条義時は、伊豆の在地領主(土豪)の次男です。1180年に17歳で、源頼朝の挙兵に父や兄と共に参加します。その時は江間小四郎という名でした。そののち源頼朝の小姓の頭になります。この小姓のことを「家子」と言います。姉は北条政子で、頼朝の正妻です。従って、三代将軍実朝は「おい」です。

その後平氏討伐にも参加し、頼朝の側近として鎌倉幕府の安定化に尽くします。やがて頼朝が死に、二代将軍頼家の政治権がはく奪されます。政治は有力御家人13人の合議制となりますが、義時は最年少の36歳でメンバーに加わります。

その後、北条氏・北条義時は他の有力御家人を排除していきます。梶原景時、比企能員、畠山重忠、平賀朝雅などが排除されます。そして1205年には、義時は父の北条時政も追放します。幕府の政所長官となり、やがて「執権」と呼ばれるようになります。1213年には侍所別当であった最有力者の和田義盛を和田合戦で滅ぼし、ここに北条執権体制が確立します。

この過程において北条政子、三浦義村、安達氏、大江広元などとは協力的関係を保っています。

やがて実朝が暗殺され、1221年、後鳥羽上皇によって「承久の乱」が起きます。この戦いは「北条義時追討」を名目としたものでした。その戦いに鎌倉幕府、北条義時は勝利。後鳥羽上皇は「武力の放棄」を約束し、その後明治維新まで、皇室は武力を持ちません。それでも後鳥羽上皇は隠岐に遠流となりました。

1224年、62歳で死去します。義時の直系は「得宗」と呼ばれます。得宗は執権となりますが、執権を辞めても得宗です。鎌倉幕府における権力は執権より得宗の方が上、でした。執権は16人いますが、そのうち得宗は9人です。

何が織田信長より「凄い」かというと。

・天皇王家に「武力の放棄」を約束させたこと。「武力を持つ王としての天皇、上皇」はこの後、明治維新まで途絶えます。実質上、武士の世を作ったのは北条義時です。(ゴダイゴ天皇の武力は自前の武力ではないと考えています)

・実は義時は上皇に弓をひくことを怖がっていたという史料もあり、「義時も尊王の人だ」と皇国史観みたいなことを言う学者もいます。「怖かったけどやった」わけです。「やった」という行動が大切なのです。怖かったからやめた、なら普通の武将でしょう。でも上皇を三人も遠流してるのです。その「事実」が大切です。

・権力者であった父、北条時政を追放しています。信長は父にはそこそこ従順でした。

・鎌倉幕府の仕組みを、作り上げていきます。信長は政治の仕組みを作る前に死んでいます。

・信長には一回も朝廷から「討伐の命令」(勅命や宣旨)は出ていませんが、北条義時には明確に「追討の宣旨」が出ています。完全に朝敵となったのに、朝廷に勝利しています。朝廷はもちろんこの宣旨をすぐに「撤回」しています。

・同僚・他の有力御家人を次々殺し、その家を滅ぼし、北条執権制を確立します。


まあ「信長より凄いかどうか」は実はどうでもいいのです。とにかく、凄い「悪」(アク)であるわけです。「悪」とは鎌倉時代の用法としては「凄いやつ」です。

朝ドラ「スカーレット」・喜美子(戸田恵梨香)と八郎(松下洸平)は離婚しても良いのでは。

2020年01月09日 | スカーレット
生まれて初めて朝ドラを録画して「ちゃんと見て」います。

喜美子(戸田恵梨香)と八郎(松下洸平)が離婚しても良いのでは、、私は本当は平和主義で、予定調和も大好きなので「離婚してほしくないな」と思っています。

でも喜美子のモデルさんは離婚しているようです。松永三津(黒島結菜)という浮気相手適格者も登場しましたし、またなかなか魅力的な「当時の現代娘」なので、「離婚」かも知れません。

ただしちょっと疑問も残るのです。

あまりに「八郎さんを人格者として描き過ぎて」いるからです。道徳とか修身の教科書に出てきそうな人格です。だから「八郎苦手」という人もいるのです。逆にどっぷりとその魅力にはまって「#八郎沼」という方もおられるようです。私は男性ですので、八郎や松下洸平さんに好感を持ちますが、「沼」にはまりはしません。

さて、加えて、喜美子との関係もかなり「理想的」に描かれています。

こんな描き方をしておいて、「夫婦すれ違い」という伏線もさほど強くない状態で、黒島さんと浮気して離婚というのは「急展開過ぎる」「ついていけない」気がします。

なにより新人といえる松下洸平さんの好感度が低下するので「喜美子かわそう」というより「役者・松下洸平かわいそう」と思います。

当然「女優・黒島結菜」の好感度も低下する。出て損、な役になってしまいます。黒島さんはかわいいし、演技力もあるので(笑う演技凄く下手ですが)、そんな事態はかわいそうです。

これを解決するには「八郎さんに死んでもらって死別が一番いい」ような気がします。でも息子の病気の問題もあって、喜美子、不幸過ぎる事態にはなります。

まあ、今までの感じをみる限り、離婚するにしても「浮気して離婚」とはならないでしょう。「八郎さんの芸術家としての大成のためには、私ではなく、三津さんと一緒にいるのがいい。三津さんの芸術的フォローが必要だ」ということで喜美子が身を引き、「八郎の為に離婚する」となるのでしょう。

とはいうものの、

喜美子・戸田恵梨香は「生まれてからずっと父親と家族の為に生きて、結婚してからは八郎さんのために生きて」いるのです。

そろそろ「男、父親や夫のために生きなくてもいい人生」を用意してあげてもいいのではとも考えます。

「離婚してもいいのでは」というのは、それで「喜美子は本当の自由を獲得するから」です。

2022年大河ドラマ「鎌倉殿の13人」・キャスト予想

2020年01月09日 | 鎌倉殿の13人
2022年の大河ドラマ・三谷幸喜さんの「鎌倉殿の13人」のキャスト予想です。キャスト予想をすると「歴史的事実を勉強できる」「若い俳優さんについて知ることができる」ので私は好きなのです。あんまり「この人に演じて欲しい」とかいう「ファン意識」は入っていません。

2022年大河ドラマ「鎌倉殿の13人」・キャスト予想・その3(三谷幸喜が好きな俳優を考慮しなければ)はここにあります。


最新の2022年大河ドラマ「鎌倉殿の13人」・キャスト予想・その2はここにあります。

・真田丸の出演者が出るだろう。
・小栗旬が主演だから「信長協奏曲の出演者が出るだろう」という前提があります。
・描く時代は三谷さんによれば「頼朝の挙兵またはそれ以前から、承久の乱あたりまで」とのことです。

まず「鎌倉殿の13人」とは「誰のことか」。源頼朝死後、頼家の実権を取り上げて合議制にしたときの「13人のメンバー」です。

大江広元 公文所別当 → 政所別当
三善康信 問注所執事
中原親能 公文所寄人 → 政所公事奉行人。鎮西奉行
二階堂行政 政所家令 → 政所執事
梶原景時 侍所所司 → 侍所別当。播磨・美作守護 正治元年(1199年)失脚(梶原景時の変)
足立遠元 公文所寄人
安達盛長 三河守護 正治2年(1200年)病死
八田知家 常陸守護
比企能員 信濃・上野守護 建仁3年(1203年)謀殺(比企能員の変)
北条時政 伊豆・駿河・遠江守護 元久2年(1205年)追放(牧氏事件)
北条義時 寝所警護衆(家子)
三浦義澄 相模守護 正治2年(1200年)病死
和田義盛 侍所別当 建暦3年(1213年)滅亡(和田合戦)

一番若い北条義時でも36歳ぐらいですから、あとは結構な年齢のおっさん、じいさんです。

大江広元・源頼朝のブレーンのうち最も有名で、初期鎌倉幕府の仕組みを作った「知謀の人」。もとは京都の役人。「13人」の中でも最も重要な人物の1人・草刈正雄

三善康信・大江と同じ元京都の役人・頼朝のブレーン・遠藤憲一

梶原景時・イメージとしては「有能な嫌われ者」、予想俳優は吉田鋼太郎

北条時政・主人公北条義時の親父、重要な役です・中井貴一

比企能員・最有力御家人ですが「悲運」です。・高嶋政伸

和田義盛・イメージとしては武闘派・主人公北条義時と幕府の運営を巡って「最終決戦」を行う。・西島秀俊

安達盛長・源頼朝の側近です。予想俳優は華丸大吉の華丸さん。

「おじさんばっかり」です。次に予想を書く時は、もう少し「全体に若くする」必要がありそうです。13人の合議制が始まった1199年の時の年齢に合わせる必要はないからです。その他の13人のメンバーについては、私の中でまだイメージ化できないので、今後予想します。メンバーになりそうなのは、大泉洋、寺島進。

北条義時・主人公です。小栗旬(決定済)

北条義時の初恋の人・嫡男北条泰時の実母・山本美月

北条義時の最初の妻・黒島結菜

北条義時の二番目の妻・夏帆

源頼朝・高橋一生

北条政子・主人公北条義時の姉、頼朝死亡後「尼将軍」、柴咲コウ・または綾瀬はるか・または戸田恵梨香・または宮崎あおい・または満島ひかり

三浦義村・三浦義澄の子・最有力御家人・主人公北条義時のライバル・向井理

北条泰時・義時の嫡男・執権政治の基礎を築いた・中川大志

北条時房(1175-1240)北条義時の超有能な弟・初代六波羅探題長官・初代鎌倉幕府連署・志尊淳

源義経・林遣都

源範頼・頼朝の弟、義経の兄・永山絢斗

後白河上皇・似ても焼いても食えない「日本一の大天狗」・阿部寛

北条時政の後妻、いろいろ暗躍します・予想俳優 吉田羊

後鳥羽上皇・承久の乱を起こします。・ディーン・フジオカまたは伊勢谷友介

源頼家・二代目将軍、暴れん坊将軍、神木隆之介

源実朝・三代目将軍・竹内涼真

木曽義仲・阿南健治

平知盛・清盛四男・滅びゆく平家の中で圧倒的にカッコいい男「見るべきほどのことは見た」と自害・ガクト(友情出演)

平清盛・北村一輝

大河「草燃える」へのリスペクトとして
一回だけ出てくる謎の老人・石坂浩二(特別出演)
一回だけ出てくる謎の女性・岩下志麻(特別出演)
一回だけ出てきて義時を救う謎の武士・松平健(特別出演)

女性が少ないので、静御前・桜庭ななみ、、、常盤御前・壇れい、、、亀の前・壇蜜、、、大姫・永野芽衣、、、平時子(清盛妻)・吉瀬美智子、、、北条政子の騒がしい妹(阿波局?)・広瀬アリス。


今のところ以上です。「麒麟がくる」は、リメイク的大河ドラマで「国盗り物語をかなり改変したリメイク」です。「鎌倉殿の13人」、これも大きく改変されるでしょうが、ベースは大河「草燃える」でしょう。全編「ほぼ普通の現代語なので、人物の細かい心情も自由に表現でき、しかも分かりやすい」という画期的な大河ドラマでした。

参考・最後に三谷ファミリーと言われる役者さんについてウィキペディアから引用して載せておきます。実際はこの方々が演じる可能性が高いと思われます。

三谷作品に登場する俳優たち、および彼らによる製作チームは俗に三谷組と称され、劇団時代からの盟友であった西村雅彦を筆頭に、気に入った役者・信頼できる役者・自身が影響された役者を何度も起用する傾向が顕著である(西村の他、相島一之、梶原善、小林隆、阿南健治、甲本雅裕、伊藤俊人、宮地雅子らを起用し、野仲イサオや近藤芳正など団員ではない者も常連起用されている。佐藤B作やあめくみちこ、佐渡稔などの劇団東京ヴォードヴィルショー団員、白井晃らも常連出演者である)。松本幸四郎や役所など、自身が過去に感銘を受けた作品に出演していたために出演を依頼する場合もある。なお、西田敏行、佐藤浩市、香取慎吾、伊東四朗、藤村俊二、松金よね子、梅野泰靖、井上順、清水ミチコ、市村正親、唐沢寿明、鈴木京香、内野聖陽などは、すでに一定のキャリアを持ちながら作品に繰り返し起用され、新しい魅力を引き出された。三谷作品で好演したことが転機となり脚光を浴びた俳優も多い(戸田恵子、田中直樹、小日向文世、堺雅人、山本耕史、今井朋彦、篠井英介、浅野和之、小野武彦、山寺宏一、堀内敬子、吉田羊、八木亜希子、中原丈雄、長野里美、峯村リエなど)

みんなエスパーだよ・超能力者の運命・夏帆の魅力的な演技

2020年01月06日 | 超能力
「みんなエスパーだよ」は6年前にテレビ東京から放送されました。配信で初めて見ました。「エロ学園超能力青春もの」です。相当「お下劣」「お下品」です。

驚いた。今の日本の地上波で「ここまでやっていいのか」と驚きました。内容をよく知らなかったので、夏帆のパンチラの連発にも驚きましたし、安田顕が急に助手役の女性の胸を触り始めた時も、何が起きたのかと思いました。

本当に地上波放送なのかと、ネットで確かめたほどです。

「エロくて、下らなくて、面白いドラマ」ということなのでしょう。でも私の感想はちょっと違います。「ちょっと」です。「エロくて、下らなくて、面白い」ことは全く否定しません。

一つは夏帆がよくここまでやったなという感動です。昔の女優さんはよく「根性あるならヌードになれ」とか言われていましたが、ヌードより恥ずかしいかも知れない。それをよく演じています。

実年齢は22歳ぐらいでしょうが、ヤンキー高校生の役です。ただし表情がかわいいので、ヤンキー感は段々なくなっていきます。ただし言葉遣いは最後まで悪い。役についてはあまり説明しません。説明するだけで下ネタになってしまいます。

夏帆さんは、天然コケッコーで「すごく可愛い少女だな」と思いました。その後いくつかの映画で主演をしたはずです。全部かわいい少女、女性でした。「白い巨塔」でも金持ちの娘。「いつまで清純少女、清楚女性」ばかりやっているのだろう、ぐらいに思っていました。正直、出演作を多くは見ていない。清楚女性しかしていないと思っていました。

それがこんなすごい役をやっています。調べてみると2017年には「東京ヴァンパイアホテル」で「ヴァンパイア」役をしています。配信にあったので、ちょっと見てみましたが、あまりに「血まみれ残虐、暴力」シーンが多く、簡単に見られる感じがしないので、こんど覚悟を決めてから見ようかなと思います。


もう一つは「エロくて、下らなくて、面白い」作品、本当にエロ満載で、下らないのに、ちゃんと「青春もの」「超能力者もの」として成立していることです。「性に背を向けたり、無視したりして、青春ものが成立するものか」という監督の声が伝わってきそうです。ちなみに登場人物たちが性を解放してフリーセックスを行うとかいう作品ではありません。例えば透視能力を使って、あらゆる能力を使って、主人公が片思いしている女性が「処女かどうかを確かめようとする」という感じの作品なのです。結果処女だと判定しますが、いろいろあって、主人公は処女だと確信し、叫びます。「これで世界は救われた」。

主人公、染谷将太くんの中にも他の人物の中にも「性欲と純情が心の中で等しく共存」しているのです。それは夏帆さんも同じ設定です。だから彼女の「純情な表情」が活きてくるのです。

染谷将太くんは東京から来た「かわいい子」が好きでたまらないのですが、ドラマの進行の中で、明らかに夏帆に接近していくし、夏帆も染谷くんを好きになります。お互いに超能力で心が読めるのに、その思いがすれ違う。そんなシーンもあります。

素晴らしい作品とは言わないけれど、面白い作品です。でも子供はみないほうがいい。子供には分かりません。


話変わって、

超能力者が超能力で「自己実現をし、連帯を強め、イキイキと生きていく」というのもこの作品の特徴です。

実に珍しいのです。アメリカの「ヒーローズ」でも「七瀬シリーズ」でも映画「モンスターズ」でも、超能力者たちは「超能力があることによって不幸」になります。超能力者狩りなんて言葉もある。

超能力者ものでもっと楽天的な作品はないものか、といつも思っていました。「みんなエスパーだよ」はその楽天的な作品です。

繰り返しますが、子供と「第3話まで最後までみても、この作品が画期的だと思わない、いくら面白くても下品すぎると思う方」は見ない方がいい。そういう人にとってはただの「エロくてくだらないだけの作品」です。それは感性の問題で、そう感じる方が「劣っている」という意味ではありません。もしかすると「エロくて下らないだけの作品」なのかも知れません。

麒麟がくる・人物と戦国史の「新解釈」・放映前に予想すると

2020年01月04日 | 麒麟がくる
たぶんこんな感じになります。放映前の予想です。

1、織田信長の保守的(伝統・幕府・天皇を重んじる)性格も強調される。経済的能力も描かれる。(NHKが公式に発表している)

2、明智光秀は最初は幕府を再興して乱世を収束させようとするが、それが挫折する。今度は信長を押し立てて乱世を収束しようとするがそれも挫折する。仕方なくて「泣く泣く本能寺を起こし」、乱世を収束しようとする。

3、確実なのは「信長の覇道的暴走を止めるために泣く泣く本能寺を起こす」ということ。途中までの信長は盟友、これはNHKが発表している。同志ということ。

4、織田信長には天下統一構想など死ぬまでなかった。特に当初は、畿内を中心とした「畿内静謐」だけが政治目標であった。

5、織田信長には天下統一の意思は死ぬ数年前になってもなかった。攻めてくるから戦っただけ。死ぬ年の四国攻めあたりで方針転換をした。

6、今川義元はすぐれた統治者であった。

7、徳川家康は苦労人の若者である。とにかく「読書家」である。

8、比叡山焼き討ちも、一向一揆のせん滅も、「何度も何度も交渉したのに従ってもらえないから」、泣く泣く「やりたくないのに仕方なく」行った。

9、織田信長は義昭追放の前まで、本気で、ガチでなんとか幕府を中心に秩序を回復しようとして努力した。しかし決裂。義昭追放後は「正統性の基盤を失い」、天皇権威に頼るしかなかった。

10、足利義輝も義昭も実に立派な将軍であった。

11、最後の最後まで幕府に尽くした忠臣、三淵藤英の偉さを知ってもらいたい。

12、信長の上洛と武田の今川侵略は、連動した行動であった。

13、信長は不器用な生き方しかできない男であり、それがアダとなって信玄にも謙信にも見事に裏切られた。

14、朝廷は信長によって経済的に復活する。経済的に復活すると「それまで政治なんて行っていなかった」のに、天皇を中心になぜか急に高度な政治を行う集団になる。

15、信長の前にも「英雄というべき天下人」はいた。三好長慶と松永久秀である。凄い武将だったんだぞ、と描かれる。

16、桶狭間の戦いまでには回数がかかる。「美濃編」が終わらないと桶狭間にならない。今川義元の目的は領土拡張で、よくある戦国合戦の一つに過ぎないという扱い。たまたま義元が死んで、信長がその後活躍したので、すごい戦いとされてしまったという認識が示される可能性がある。

17、それでも桶狭間の戦いは派手に描かれる。何故なら大河ドラマは娯楽であるから。もちろん史実とはかかわりなく、主人公明智光秀も重要な役割を果たす。

史実として正確なのは「6」「7」ですね。「12」はどうなんだろ。「16」も間違いとは言い切れない。

あとはみんな怪しい。諸説あり状態。でも怪しげな新説(新説は懐疑的に扱うことが肝要)に基づいて、こうなりそうな気がします。

最後に書いておくと私は「史実通りに描け」なんていう気はさらさらありません。

私の予想の「あたりはずれ」は、ドラマの進行に合わせて、いずれまた分析します。

麒麟がくる・斎藤道三・明智光秀・織田信長をいかに描くか

2020年01月03日 | 麒麟がくる
「麒麟がくる」の話です。史実とは基本関係ありません。

1、明智光秀

乱世の収束を願う武士です。「武士の本当の使命とは何か」とか、大河の主人公らしからぬ観念的なことを考えているようです。悩める若者でしょう。脚本家は「太平記」の池端さん等です。つまりは「大河ドラマ太平記の足利尊氏のような若者」だと思います。光秀と尊氏、立場が似ています。最初は悩める若者、やがて成長ということです。脚本には前川さんという人もいて、この方はコメディ的要素担当だと予想します。池端さんだけだと、やや固いのです。「真田丸を意識した作品」となりそうです。


2、織田信長

既に「古い秩序つまり伝統、朝廷、幕府を重視する保守的側面も強調」とされています。そういう人物だということです。経済的能力も強調されるそうです。
「光秀の盟友」とのことです。つまり途中までは「乱世収束」という光秀の願いを「共有」します。おそらくあの退屈な「天下静謐論」が採用されるのでしょう。

とにかく(途中までは)「いつもの虐殺好きのサイコパスではない」ということです。比叡山の焼き討ちなんぞも「何度も何度も交渉した末に決裂して仕方なくやる」という描き方をされるでしょう。

今のところ「村の者と同じになってやらねば、化け物は見えぬ」というセリフしか公開されていません。格好も「農民の格好」で信長公記の「かぶき者の格好」でもありません。

「化け物がいるなら村の者と同じ視線になって確かめる」ということなのか。「池の水を抜いて大蛇の存在を確かめた、否定した」という信長公記の記述が元ネタかもしれません。

そうすると「実証的な態度を有した、それ故に変わり者、うつけとされた若者」なのかなと予想します。ちなみに「池の水を抜く」が映像化された記憶は私にはありません。できれば映像化してほしい。

親父の葬式で「くわと抹香を投げつける」、これも信長公記にありますが、久々に映像化してほしいものです。


3、斎藤道三

1544年の加納口の戦いからが描かれるようです。斎藤道三対織田信秀です。

この戦いは信長公記では尾張兵5000人が死んだとされています。そんなに死んだら尾張に兵はいなくなってしまいます。

斎藤道三軍の兵数は分かりませんが、ドラマ映像によると2万対4千とされます。「いくさは数ではない。そのことを思い知らせてやる」と斎藤道三、本木さんは言っています。

少数で持って大軍を破る。真田昌幸みたいな斎藤道三なのかなと思います。おそらく道三も表裏比興の者とされるのでしょう。

ビジュアル的にかっこいい道三です。いつもの「はげ頭の道三」ではありません。


映像的な美しさ、色の華やかさ、武将のかっこよさ、そういうものにこだわる作品となるのでしょう。「真田丸」ほどコメディ要素はないでしょうが、「真田丸」を強く意識した作品となりそうな予感ががします。また「信長協奏曲」の「雰囲気」も取り入れるでしょう。ただし全体の流れとしては「泣く泣く反逆する光秀」ということで、同じ脚本家が足利尊氏を描いた大河「太平記」に似た構造の作品となるでしょう。

大河ドラマはフィクション・史実通りである必要はない・でも超えてはいけない一線はある気がする

2020年01月02日 | 麒麟がくる
大河ドラマはフィクションです。史実通りである必要はありません。でも超えてはいけない一線はある気がします。「気がするだけ」です。それを普遍化して正論として主張する気はありません。

「女信長」という「時代劇」がありました。天海祐希を起用し、視聴率20%を目論んだけど、10%にも行かなかった。「そりゃ見ないよな」と思います。信長を女にしても、何一つ面白い感じになる気がしません。さっき調べたら「斎藤道三が織田信長の処女を奪う」とか書いてありました。「地獄」です。見るわけありません。

一方大河ドラマで「男色を描いたり」「奴隷商人を描いて」もらっても困ります。「そこまで史実を描かなくてもいいです」と言いたくなります。

大河ドラマは「ある程度史実を基にしたフィクション」であって、それでいいと思います。この「ある程度」が「どの程度」なのかが難しいのですが。

例えば「本能寺の変は豊臣秀吉の陰謀である」。小説や時代劇では「よくある設定」ですが、大河ではほとんどこの設定はとられません。「利家とまつ」において「そんな感じ」が描かれた程度です。それから「おんな城主」では「家康と光秀が共謀した」という設定がなされました。でも大河では「本能寺陰謀論はほぼ採用されない」のです。それが「超えてはいけない一線」です。今のところ。

私は「信長協奏曲」(ドラマ・映画版)は「なかなか面白い」と思います。タイムスリップものです。「アシガール」なんぞもそうです。タイムスリップものにも面白い作品はあるのです。でも大河ドラマでやられては困るとは思います。私が困っても、別にNHKさんは「考慮する必要なんてない」のですが。

「信長協奏曲」には「初めから史実なんて期待しない」わけです。ところが「信長の行動は教科書通り」です。ワルの秀吉を「サル君」と呼んだり、池田恒興を「恒ちゃん」と呼んだり、明智光秀(実は本物の信長)を「ミッチー」と呼んだりします。松永久秀は「松永さん」です。人物設定は「そんな感じ」です。

ところが信長は史実通りに行動します。現代の「歴史を知らない高校生」がタイムスリップして信長になる。そして「平和のために、なんとか信長を演じていく」。ところが「史実なんて知らないで行動したら」、史実通りの信長の行動になってしまった。そんな設定です。コメディ要素が強く笑えます。帰蝶とのラブコメでもある。でも高校生の「平和への願い」もちゃんと伝わってきます。

信長の業績を「ほぼ教科書通り」に描いているのです。高校生の「信長入門」としてもすぐれた作品だし、エンタメ的にも優れた作品です。

つまり「史実を基にしたフィクション」で「一線もまあ超えていない」のです。超えても大丈夫な作品なんですが、不思議と超えない。タイムスリップは仕方ありません。そういう作品なんだから。

こういう作品には好意が湧いてきます。問題は大河ドラマのくせに、つまり「フィクションです」とも言っていないくせに、一線を越えている作品です。例えば「西郷どん」。ウソばかりで質が低い。

ところがこの世は広いのです。例えば「麒麟がくる」に対しても「光秀を天海にして生き残らせたら面白い」「オリジナルなんだから光秀を生き残らせて幕府を開かせたら面白いのではないか」という意見もあるのです。

「何が面白いのだろう」とは思いますが、それは私個人の見解です。その人が「面白い」というのだから真実です。その人にとっては面白いのです。それを批判することはできません。「面白いと思うな」なんて権利は誰にもないし、そんな批判、基本的には間違っています。「障害を持った方が困っているのを見て面白いとは何だ。ふざけるな!」という批判は成立するでしょう。しかし「このドラマを面白いと思うな」というのは、基本的には成立しません。「人殺し賛美ドラマならかろうじて成立するかな」とは思いますが。

感性そのものを批判しても意味はない。面白いものはその人にとって面白いのです。

だから大河ドラマの「フィクションであっても超えてはいけない一線」を普遍性をもって主張することはできません。しかし「どうやら存在する」のです。例えば「上杉謙信女性説」は大河では無理だと思います。どうして無理かを明確に書くことはできないけど、「どうやら無理みたい」です。私も「上杉謙信女説の作品」は見ません。

あくまで「私の一線に過ぎないもの」です。でもそれが不思議と多くの大河ファンの意見と近くなるのです。「それをやったらおしまいヨ」という線は「どうやらある」気がしています。

麒麟がくる・明智光秀の死をもって戦国時代は終わる

2020年01月02日 | 麒麟がくる
小学生の頃、私は「明智光秀の死をもって戦国時代は終わる」という考えに「深く影響されて」いました。それから知識は多少増えました。しかし「この考え方」は「さほど間違っていないのではないか」と今でも考えています。

「光秀の死とともに、ひとつの時代が終わる。戦国と呼ばれ、乱世と呼ばれた時代、一介の油商人山崎屋庄九朗が、美濃一国の主、斉藤道三となりえた時代、尾張のうつけと呼ばれた悪童が、天下の権を握りえた時代、人が力と知恵の限りを尽くし、国盗りの夢と野望を色鮮やかに織り成した時代は、ここに終わりをつげる。」

「そして歴史は中世の破壊から近世の建設へと、新しき秩序を作る人々を迎え入れようとしていた」

大河「国盗り物語」の「最後のナレーション」です。斎藤道三は二代で国盗りだよ、ぐらいの批判はできるかも知れません。でも「歴史認識」として「大きく間違っている」と言えるでしょうか。

「人が力と知恵の限りを尽くし、国盗りの夢と野望を色鮮やかに織り成した時代」という所は特に好きです。むろん戦国は悲惨な時代であったわけですが、「暗黒面だけを見る」ことが正しい認識につながるわけではありません。

ということで、

「麒麟がくる」が上記の認識に基づいて作られる(であろうことは)、至極当然だと思います。

「信長は中世の破壊者なんかじゃないよ。古い秩序も重んじていたんだよ」という人もいるでしょう。でも「現実の行動」としては「明らかに破壊者」です。「そりゃ人間だから、古い秩序を重んじる側面がなかったなんてことはありえないが、比叡山の焼き討ちといい、一向一揆のせん滅といい、天皇の位置の戦略的引き上げ(将軍権威の格下げ)といい、破壊的側面の方がやや大きい」と思うわけです。信長が「どう言っているか」ではなく「どう行動したか」を見るべきでしょう。

まあ、人間が「完全に守旧派である」ことも「完全に革新的破壊者である」こともありえません。「人間」だからです。私だって誰だって古いものを重んじることもあれば、新しいものを希求することもあります。

大河「真田丸」の秀吉ですが、「太政大臣になった」と言って喜びます。周りからも祝福されます。そのすぐあと、淀殿とのシーンになって「実はそんなに嬉しくない」と言います。三谷さん、見事に描いていると思います。誰だって両面があるのです。真田ものの場合、主人公格の「真田昌幸」が「表裏比興の者」ですから、人間を二面性を持って描くことが必要となった結果かも知れませんが、その他の武将についてもほぼ「表裏を持った人間」として描いています。上杉景勝などはその代表格です。

話がズレたというか、信長像についてやや文字を使い過ぎました。

光秀に戻ります。

「運ではない。(山崎の戦いは)負けるべくして負けた戦かも知れぬ。すでに下剋上の世は遠く、人々は主信長を討った自分を見はなし初めている。しかし他にどんな生き方ができたというのか。死ねぬ。なんとしても生き延びる。この手で乱世を終わらせ、この目でそれを見、この耳で人々の喜びの声をきかねば」

正確ではないのですが、これが大河「国盗り物語」における光秀の死の場面の言葉です。

・すでに下剋上の世は終わりはじめていたが、光秀としては行動するしかなかったこと
・光秀としては乱世の収束を目指して本能寺の変を起こしたと考えていること

そういう認識を読み取ることができます。「1973年の明智光秀」はこういう武将として描かれてたのです。それがその後「へたれ貴族みたいな男」として描かれることが多くなってしまった。

「麒麟がくる」の光秀も「だいぶモダンな人物として描かれるであろうが、一貫して乱世の収束を目指した男として描かれるであろうこと」は確実です。

それは「新しい光秀像」ではなく、47年前に描かれた光秀像の「再発見」なのです。

史実としての光秀が「その通りの人物」であったとは思いません。しかし史実においても「彼が意識的ではないにせよ果たした役割」は、「結果として乱世を収束させる」ことになりました。豊臣秀吉の登場です。「だから光秀は偉い」とは言いません。偉くもありません。「本人は意識しなかったであろうが、後世の視点から見れば、結果として大きな仕事をした。光秀自身もびっくりであろう」という風に言っているのです。

「麒麟がくる」や「国盗り物語」の光秀を「史実である」と考える人間はいないだろうし、その必要もありません。フィクションだから。

しかし「光秀の死をもって戦国時代は終わる」という認識は「考えるに値するもの」だと私は思っています。

NHK「本能寺の変サミット2020」・光秀の細川への手紙を本心だと論じる不思議な人々

2020年01月02日 | 本能寺の変
本能寺の変の後の、明智光秀から細川家への手紙はあまりに有名です。

1 信長父子の死を悼んで髪を切られた由、 私も一時は腹が立ちましたが、考えてみれば御思案あってのことと了解いたしました。このうえは大身の家臣を出してお味方くださるよう「こい願い」ます。
1 領地の事は、内々攝州(兵庫県)をと考えて上洛をお待ちします。但馬・若狭の事も色々考えております。ご相談致しましょう。
1 この度のことは、細川忠興などを取り立てるために起こしたことです。50日100日の内には近国も平定できると思いますので、 娘婿の忠興等を取りたてて、十五郎(光秀の長男)・与一郎(細川忠興)等に譲る予定です。委細は両人に伝えます。
光秀

訳はだいぶ単純になりましたが「こんな感じ」です。

この時、光秀は期待していた大名たちの与力(お味方)を得られずに、焦っていました。武田元明・京極高次という小名が味方した程度で、細川家は味方せず。筒井順慶も積極的協力はしない。筒井は最終的には密かに秀吉に味方します。

上記の手紙は「焦った光秀が細川を味方にするために、リップサービスをした」と解釈されてきましたし、そう解釈するのが「普通の感覚」だと思います。

垣根涼介に「光秀の定理」という小説があります。最後の方で光秀の友人?が細川藤孝を暗殺しようとします。「光秀に味方しなかったことは許せる。武将だから勝つ方につくには当然だ。しかしあの手紙を公開したことは人間として許せない。光秀が窮したあまり正気を失って送った手紙を公開して、光秀を貶めたことは許せない」という論理です。

むろん「小説」です。しかしこの手紙の「扱い」はこういうものなのです。まともに信じるなんて、普通の感覚を持った人間にはできません。

ところが「NHK本能寺の変サミット」に参加した「新進気鋭の研究者」たちは「一次史料であるために」、「字面通りに解釈する」という「離れ業」というか「常識はずれの行動」をとるのです。

一次史料原理主義者であるらしい稲葉継陽という人がそうですし、藤田達生なども、これは光秀の真意だ、本当だという前提で「真面目な顔」して論じていました。

明智光秀は「信長による乱世の拡大を収束させ、自分は引退して次世代に時代を渡したかった」としたいようです。

稲葉という人も途中で恥ずかしくなったのか、「字面通りに読めば」と小さく言っていました。「信長暴走阻止説」と言っていましたが、「細川忠興のため説」が正確な表現でしょう。

司会の本郷和人が「いや、これは嘘でしょう」と言うかと思ったら、「司会という立場上、中立を守るという姿勢」みたいで、言いません。その他の6人ぐらいも誰も「つっこみを入れない」のです。本郷さんは「ヤバイな。この学者たち」と考えているか「光秀像に関してはNHKの方針だから仕方ないか」と思っているか、「ヤバイけど、学者の頭の構造がよく分かって都合がいいかも」と考えているのか。まあ、NHKの方針だから許容したのでしょう。「世渡り上手になる必要もある」と本郷さんは「令和で炎上後の著作」=「怪しい戦国史」でそう書いています。

しかしそうだとしても「誰もつっこみを入れない」なんて、「これは今までは嘘だろうと解釈されてきた」と言わないなんて、いくらなんでも「論者たちの思考や議論が硬直化しすぎ」でしょう。あれならまだ「英雄たちの選択」の方が自由に論議しています。期待していたのに、残念です。この「残念」というのは、主に「本郷氏の見解をもっと聞きたかった」という意味です。

ちなみにこの「細川忠興のため説」のくだり、映っているのは話者と爆笑問題だけで、本郷氏は一切映りません。したがってその表情も分かりません。意識的なカメラワークでしょう。さらにちなみに本郷氏、一年前には「いくらなんでも信長の非道を止めるためとはしないだろう。だって比叡山焼き討ちで一番手柄をたてたのは光秀」と「信長暴走阻止説」を「ありえない」としています。

それでも「麒麟がくる」では「本能寺の変の原因」は「信長暴走阻止のため」とするのでしょう。だからNHKは学者を使って「そういう考え方もある」ということを紹介させたのです。本郷さんが「つっこみを入れなかった」のもその為でしょう。しかし大河ドラマはフィクションです。「史実として、光秀は王道ではなく覇道を歩む信長の暴走を止めようとしたのだ」と主張する必要はないと私は考えます。大河ドラマは「史実を基にしたフィクション」。あくまでフィクションだからです。

なお私は本郷和人氏は「タレント教授と思われているが、実際は骨のあるとても賢い男」だと思っています。学説も私にとっては説得力があります。研究に対する態度も、真摯です。偉ぶらない、上からものを言わないことを心掛けているそうです。今「天皇はなぜ生き残ったか」を読んでいます。リアルガチで書いている新書です。「本気を出すと、やっぱりたいしたもんだ」と思います。最近「信長」という本も出したようです。

蛇足
「四国、長曾我部に手を出したら、織田軍はどろ沼の戦争に突入していた」と誰かがいい、周りの学者が「うんうん」とうなづいていたのにも驚きました。これも「信長暴走阻止説」を補強するためですが、おかしな話です。だって本能寺の変があった1582年には「武田家が瓦解」しています。たった一か月半で「完全崩壊」しているのです。北条はほぼ服属。上杉も滅亡寸前。上杉景勝は玉砕を覚悟した手紙を書きます。「長曾我部は武田とは比べ物にならないほど強い」のでしょうか。長曾我部は恭順をすでに申し出ていたというのが、例えば出席者の一人である藤田達生が強く主張する意見だったはずなのですが、、、いろいろ変なところが多すぎる番組です。僕はNHKが好きでよく見ています。でも「学者討論形式なのに結局はお手盛りの番宣?」と感じました。まあ「爆笑問題司会の基本バラエティ仕立ての番組」なんでガチに批判する必要もないのですけどね。

織田信長の天下布武の本当の意味・そもそも印章通りに行動しないといけないのか?

2020年01月01日 | 織田信長
織田信長の天下布武は

・天下=畿内の武力闘争を止めること、天下を武力でもって統一するという意味ではない。天下とは畿内、五畿内だ。
・ここでいう武とは七徳の武のこと、それは徳目であって武力という意味ではない。天下泰平の世を作りたいという信長の願いが込められている。
・なお、考えたのは信長の師匠と言われる沢彦だよ。たくひこ、じゃない。たくげんだ。信長協奏曲で、でんでんさんが演じていたのが沢彦だ。

と書けば「少し物知り」という感じが出ます。が、こんなのネットで調べれば「どこにでも書いてあること」です。

できるだけ自分の頭で考えなくてはと思います。

沢彦が考えたというのは「政秀寺古記」にあるのですが、怪しいもんです。ただし捏造とも言えない。大切なのはあまり信用しすぎないことです。

さて「布武」

「布」は「しく」ですね。公布の布。広くいきわたらす。武力をいきわたらす、武家(権門体制論の用語)をいきわたらす、というのはなるほど「少し変」なので、武=天下泰平状態をいきわたらす、の方が日本語としてはしっくりきます。

でもそのために「戦う」以外のどういう方法で「天下泰平が実現」できるのでしょうか。「秀吉のように懐柔策を用いればいい」、なるほど。でも「北条攻め」「島津攻め」「四国攻め」、実際の秀吉はどんだけ「戦っていると思っているのか」という話になってしまいます。

平和とか「天下静謐」とか「天下布武=平和」と言っても、武力の後ろ盾なしに、武威による相手の服属なしに、実現されるものではありません。「畿内平和=天下静謐」と言えば皆が従うなんてことはないのです。

というか「これが最も言いたいこと」なんですが、「そもそも信長は印章通りに行動しないといけない」のでしょうか。もうちょっと正確に書くと「印章にどんな理想を込めたにせよ、その通りに行動しないといけないのか。いやその通りに行動することを現実が許すのか」ということです。例えば徳川家康の印には「忠恕」とあります。「恕」とは許すことです。家康は秀頼も、そして自分の子供の忠輝さえも許したりしません。

さて、信長が足利義昭を奉じて上洛するのは1568年の9月です。その1年半後には「畿内ではない越前の朝倉」を攻めます。

もしこれを「足利義昭が命じたのだ」としましょう。そして信長が「印章に込めた理想通りに行動する変な武将」だとしましょう。すると「こういう風になるはずです」。

足利義昭「朝倉義景が若狭の武田元明を連れ去って、若狭を実質支配している。武藤友益を攻め、朝倉も攻めてくれ」
織田信長「駄目ですよ。越前は天下の領域じゃないし、私のモットーは布武ですから、平和的解決。印章にそう彫ってしまいましたからね。そもそも京都に攻めてこない朝倉をどうしてこっちから攻めるんですか。ついこの間まで朝倉の世話になっていたくせに、よくそんなこと言えますね」

信長が「ひたすら畿内だけの静謐を願わなくてはいけない武将」なら、こうなるはずです。

でも実際は信長は「おそらく」自分の意志で(上意と勅をもらって)さっさと朝倉を攻めて大失敗し、浅井に裏切られて金ケ崎で窮地に陥り、一旦退却ということになります。そして本当の危機が訪れます。この「畿内ではない越前朝倉への攻撃」で、信長はその後、まさに窮地に陥っていきます。戦略的には本当に大失敗でした。「天下静謐」「天下布武=平和」を守っていればいいものを。

「天下布武に信長がどんな理想を込めたか」なんて「現実の前には何の関係もないし」、「信長が印鑑に縛られる理由もない」わけです。

「天下布武の本当の意味」を「古い漢籍に遡って」、いろいろ解釈するのは自由ですが、それをもって「信長の現実の行動まで説明できる」なんてことはありません。

そもそも「印章通りに行動しないといけない理由」がないからです。「印鑑縛りで行動する武将なんていない」という、「当然のこと」に思いをはせるべきでしょう。

なお最近よく言われる「天下静謐」についても、既に批判的な意見が学者さんから若干ですが出ています。なにより提唱者の一人である金子拓さんが「あくまで信長の一面であり、私が提示した像で塗りつぶさない方がいい」とおっしゃっています。立派な方ですね。

麒麟がくる・最終回のあらすじ

2019年12月31日 | 麒麟がくる

初めに、2020年11月加筆

「以下本文」の部分から下は「去年の12月」に書いたもので、麒麟がくるはまだ一話も放映されていませんでした。
2020年の11月ともなると、だいぶ最終回が分かってきます。ただしハンドブックにも最終回は載っていないようです。でも予想はつきます。
「いろいろな要因が重なって本能寺が起きる」ということです。信長への違和感。「幕府政策、義昭追放」「松永久秀の扱い、死」「帝の軽視、正親町帝との齟齬」「斎藤利三の件」「虐殺行為への違和感」、、、そういうことを最終回に向かって描いていく。そして本能寺が起きる。つまり「一つの要因は設定しない」ということです。ただし黒幕説は採用しないようです。幕府のため、というのも光秀の意志で、義昭のコントロールではないようです。朝廷の件も正親町帝は「信長ではどうも心配だ」ぐらいしか言わないようです。「信長を討て」とまでは言わない。犯罪教唆ぐらいの感じでしょうか。

光秀は「自分が征夷大将軍になる」という決意をするという情報もあります。フェイクかも知れません。でもそうなるとあの不自然な「武士に幕府は必要」という変な信念にもつながってくるとは思います。

以下が本文ですが、なにしろ一年前の予想ですから、読むのならばそこを踏まえてご容赦願いたいと思っています。さらに後半は2020年10月段階の加筆なので「非常に読みにくい感じ」になっています。


以下本文 2019年の12月
正確には「最終回のあらすじの予想」です。NHKのハンドブックとかに基づいてはいませんし、現時点では最終回まで書いたハンドブックなど出版されていません。

つまり「完全に私個人の予想」です。

1、本能寺の変に至る道

光秀は一貫して「乱世の収束」を目指しているわけです。「麒麟がくる世の実現」です。信長は設定上「光秀の盟友」ですから、途中までは光秀と信長の願いは一緒です。
しかし本能寺の変の10年前ぐらいから、二人の道は分かれてきます。将軍義昭の追放。まあこれは「それも平和な世のため」なら光秀は受け入れ可能です。
しかし「一向一揆の虐殺」、、、天正2年、1574年ころから始まるこの「虐殺」に光秀はついていけなくなる。
もっとも「それから8年我慢する」だと長くなりすぎます。だから最終的には「天正伊賀の乱の虐殺」1581年、本能寺の一年前、あたりで光秀は信長を見捨てるのかも知れません。
さらに「信長は朝廷を超える権威をめざす」とされる(これは今までも描かれてきましたが)ことも多い。

とにかく平和路線のずれ、天下構想のずれが本能寺を招くことになるでしょう。ありきたりですが、そんなに「ひねらない」と思います。

なお「四国政策」ですが、きっと紹介はされるでしょう。しかし本能寺の根本原因とはされない。「四国の取次としてのメンツをつぶされたから本能寺を起こした」では、光秀が「私利私欲の人」になってしまうからです。

ただし、四国政策は特別という風に描くこともできます。長曾我部は服属すると言っている。服属すると言っているのに叩くという。それは異常ではないか。そんなことをしたら、北条だって反旗を翻すであろう。結論を先に書きますが、そうなってくる可能性が高いと思います。つまり四国政策を「信長の変心」と十兵衛が捉えるということです。

2、陰謀論は採用しない。
光秀が主人公なのですから「黒幕などいては困る」わけです。下らない陰謀論は採用しないでしょう。

3、光秀はどこで誰に殺されるのか。
小栗栖の里で農民の竹やりで殺される。これは「みんな知っている」ことですから、これも「ひねらない」と思います。
ただし「主人公だからただでは死なない」のは確実です。
「華のある死」「明日へとつながる死」とされます。描き方はいろいろあるでしょう。

ここでも変な陰謀論はないと思います。佐々木秀吉はたぶん「それなりに立派な光秀のライバル」となるはずで、本当は見事な死だったのだが「農民が竹やりで殺したことにしよう」とか言い出すことはないと思います。それ以前の山崎の戦いの描き方、敗因設定の方はひねってくる可能性があります。

4、駒(門脇麦)と岡村さんとマチャアキによって「偶像化」される明智光秀
ナレーションで顕彰されるなんてことはないでしょう。「光秀の思いはやがて秀吉、家康に引き継がれた」とかなんとか、ナレーションで処理されるなんてことはないでしょう。
織田方面軍による地方への軍事侵攻。これを「天下統一事業として描くのではなく」、「乱世の拡大として」描く。そうすれば光秀の行為は「乱世拡大の阻止」「虐殺の阻止」とできます。
それを「駒の口で語らせる」、そして岡村さんと堺さんが同意する。ついでに光秀の幻があらわれて「この後は、わしでなくても、できることだ」とか語る。
そうすれば光秀を「乱世を収束させた英雄」として描くことは可能です。「光秀を英雄として描くかどうか」はまだ分かりませんが、そんな終わり方になるのではと予想します。

加筆 以上を書いたのは2019年の12月です。「麒麟がくる」は始まってもいません。今は2020年の10月です。ここまで見ての加筆をします。

これを読んでいる方が、どれほど予備知識を持っているかはかり難いので、基礎的なことを書きますと、本能寺の変については「四国説」という考えが存在します。四国、長宗我部への「取り次ぎ」を任されていた光秀が、四国攻め政策によって「面目を失い」、秀吉との競争からも脱落し、そして本能寺を起こした、、、という「感じ」の説です。四国説といっても実は様々です。
そういう「個人の面目」というもので本能寺の変を起こした、、では私利私欲から起こしたことになり、ドラマとしては成立しません。だから単純な四国説が採用されることはない。これは去年の段階で述べた通りです。
しかし一方「四国政策のみが天下静謐という大義に反する」という説があるのです。東大准教授の金子拓さんの説です。天下静謐は「てんがせいひつ」です。NHKは去年の段階からこの金子説をクローズアップし、歴史秘話ヒストリアで「世にもマジメな魔王」という回を放送しました。監修は金子さんだと思われ、ご本人も登場します。
「麒麟がくる」の時代考証は小和田さんですが、NHKの「去年からの下準備」を見ると、この金子仮説が、採用される可能性が極めて高いと思われます。
金子さんの説の詳細については「織田信長、天下人の実像」(講談社現代新書)をお読みください。
間違い覚悟でチラとまとめますと、光秀も信長も室町的秩序である「天下静謐」を目指していた。放送では越前攻めの場面でこの「天下静謐」という言葉を十兵衛が発します。
京都に武家の棟梁たる信長がいて、あとは大名たちの「ゆるやかな連携」によって「世の秩序を守る」という考えで、秀吉的な「天下統一」とは違っています。「麒麟がくる」における十兵衛と秀吉には「根本的な秩序感覚の違い」が存在するのです。信長は今は光秀派です。
ところが最後の最後に信長が「秀吉的な志向」を見せた。これでいいか分かりませんが、それが金子さんの説だと思います。つまり「天皇すらその下にある天下静謐という大義」に信長が最後に背いたというわけです。それが四国攻めです。
この根本的理念の相違によって「十兵衛が信長をうつ」。何言っているか、私の文章がつたないせいで、伝わらない向きもあるかと思います。

ゆるやかな大名連合政権を目指していたはずの信長(ドラマ上で)が、「強い中央集権国家」を目指していく。独裁者的立場になっていく。つまり「関白秀吉路線に近づいて」いく。光秀が主導していた天下の計画が、いつのまにか秀吉主導のものとなっていく。信長は相変わらず「空洞のような人物」で、どんどん秀吉路線に乗っていく。それが本能寺の原因となる。この信長には特に路線はないので、秀吉路線と光秀路線の対立が原因となる。そんな気がします。

「麒麟がくる」・キャストの「ビジュアル画像」を分析する

2019年12月30日 | 麒麟がくる
そもそも、歴史家でもなく、史学科出身でもない私が歴史ブログ(時代劇ブログ)を書いているのは、中学生の頃、司馬さんの「国盗り物語」を「繰り返し繰り返し読んだ」ためだと思います。何度読んだか分からないぐらい読みました。

中学時代はその他の司馬さんの作品はさほど読んでいなかったと思いますが、とにかく「国盗り物語」だけは「暗記するぐらい」読んだと思います。いわゆるバイブルというやつです。

だから「国盗り物語」のリメイク、たぶん内容的にはかなり違ったリメイクになると思いますが、「どう考えても国盗り物語がベースとなっている」作品である「麒麟がくる」に関しては、とにかく書かずにはいられません。

さっきNHKの10分ほどの「作品紹介」を見ましたが、ちょっと「真田丸風」でした。西村まさ彦さんが「黙れこわっぱ的な演技」をしていました。

私はこのブログでも数年前から「国盗り物語をリメイクしてほしい」と何回か書いています。そうして「リメイクされたら」、この何十年で描かれた「明智光秀像は吹っ飛んでしまうだろう」とも書きました。司馬さんの光秀は例えば「功名が辻の光秀」だと思われていますが、あれは違うのです。「国盗り物語」の光秀は最初から「天下を狙っている」のであり、「室町幕府の再興を願うだけの真面目な武将」なんかではありません。

さて、本題に移ります。ビジュアルが公開されています。 https://www.nhk.or.jp/kirin/index.html

多少分析してみると

1、主人公であるはずの明智光秀の紹介文が淡泊である。「武士の誇りを忘れぬ男」、、、、なんか単純すぎて物足りない。恰好も「普通の武士の恰好」である。
  「この男は何者なのか」ぐらいの「あいまいな表現」にしておいた方が、人物の描き方が「多面的」になると思われるのだが。

2、織田信長が圧倒的に「みすぼらしい恰好」をしている。青年時代の「たわけの服装」ではあるけれども、信長公記の叙述とも違っているように思われる。
つまり「当時の信長公は、湯帷子の袖をはずし、半袴をはき、火打ち袋などをぶらさげ、髪は茶筅に結い、紅や萌黄の糸で結び、太刀は朱鞘のものをもちいていた。」と信長公記にはあるが、そういう恰好を信長はしていない。

3、徳川家康も武将らしさが全くなく「悲運の三河大名」とか書かれている。人質時代の苦労が強調されるのかな。「おんな城主」でも一応強調されてはいたけどな。
  実際に麒麟を呼び寄せるのは家康だから、あまりクローズアップされないのかも知れない。

4、藤吉郎、つまり秀吉は「意外と小ぎれいな恰好」をしている。今まで「秀吉があんな汚い恰好をしていては信長が怒るぞ」と言われてきたから、小ぎれいな秀吉なのだろう。

5、ビジュアルをみる限り、主役は「斎藤道三」「足利義輝」「織田信秀」「松永久秀」のようにも見える。「足利義昭」も賢そうである。

6、細川藤孝が「剣をかまえて」いる。室町幕府を「よく描きたい」のだろう。三淵藤英も「英雄とされる」のだろう。

7、予想通り「駒」の存在が大きそうである。次に大きな存在は光秀の妻なのだろう。すると帰蝶はどうなるのか。


織田信長の描き方

これについては、すでに「保守的側面も強調」とか「経済力も重視」とかNHKが言っています。室町幕府も朝廷も重んじていたとされる。「書かれた史料」だけ読むとそうなるのですが、まあ「よくできた嘘」ですね。最近小島道裕さんの「信長とは何か」を読みましたが、小島氏の分析などはバランスがよく、「文字資料だけに頼っていない」のです。文字資料だけに頼ると、「建前が本当」になってしまい、人物を読み違えます。金子拓氏のように。ちなみに小島氏は信長に対してきわめて批判的です。英雄視はしていない。むしろ「あんな生き方しかできなかったのか」と嘆いている面もある。それでも記述には納得できる部分が多いのです。

きっと「麒麟がくるの織田信長は変だ」という声が上がると思います。それに対して「最近の研究だ」とか「知ってるふり風の声」も上がるでしょう。「そうなのか」と納得する人もいる。本郷和人さんは「信長普通の武将論では彼の行動が説明できない」と「最新研究なるもの」を批判する。で、色々と信長を巡って論争が盛んになる。でもそれによって信長のイメージが大きく変わることはないと思います。「つまらない信長なんて庶民は望んでいないし、そもそも最新研究なんて怪しい、十年後は分からない」からです。「戦国武将総選挙」において「織田信長は圧倒的な1位」でした。「パイオニアとしての信長像」が「今の段階での最新研究ごとき」で変わるとは思いません。信長研究は「新説→否定→また新説→否定」の繰り返しですから。

明智光秀の描き方

考えてみると「信長を英雄」とするのは「今の日本の価値観」では難しいのです。サイコパス的だし、晩年は虐殺しすぎです。そうなると明智光秀主人公もうなずける。光秀は「信長のすべてを否定」しなくてもいいし、実際否定しないと思います。「比叡山の焼き討ち」をどう描くかが最初のポイントでしょう。

彼は旅行をし、「歴史の重要シーンに遭遇する」、目撃者として描かれると思います。真田丸の真田信繁などにもそういう側面がありました。主役は真田昌幸→秀吉→三成→家康。真田信繁は目撃者。そういう構造にもなっていました。今回も光秀は「目撃者」として描かれることが多くなると思います。

「武士の本当の使命とはなんなのか」、光秀はそれを考えるそうです。NHKが発表しています。答えはなんなのでしょう。「民を守る」では単純だ。「平和を実現する」も平凡過ぎる。「民と手をとりあい、民とともに、駒とともに平和を実現する。麒麟を呼ぶ。」、、、そんなところかなと思います。あまりに「難解に」しても仕方ないでしょうから。

駒の存在

麒麟を最終的に呼び寄せるのは駒、だと予想しています。どういう風にそう「持っていく」のかは分かりません。光秀は志半ばで死ぬわけです。誰かがそれを継がなくてはいけない。単純に考えればそれは秀吉であり、家康です。でもたぶん「駒」になる。どうやったらそうなるのか。それは予想できません。「王が麒麟を呼ぶ」そうなので、正親町天皇あたりが変に活躍するのかも知れません。

まあ「不思議な力で麒麟を呼びよせる」とはならないでしょう。それでは物語の構造が崩れてしまうからです。でも多少は「不思議な力を持った少女」として描かれる気もします。