’70年代ミュージックシーン・・2。

今日、仕事は休みで朝の内、雨は上がったが、昼過ぎから再び雨模様・・
コミュニティー菜園にも出かけられない・・・そんなこんなで、ネットのお散歩

あぁ~~懐かしい曲に出逢いましたよ

1970年、レコード大賞「歌唱賞」の”手紙”。。

青春歌年鑑・1970年


死んでもあなたと暮らしていたいと
今日までつとめたこの私だけど
二人で育てた小鳥をにがし
二人で書いたこの絵燃やしましょう
何が悪いのか今もわからない
だれのせいなのか今もわからない
涙で綴りかけたお別れの手紙

由紀さおりの透き通る歌声に聞き惚れていました。

「ルーム・ライト」ほかも素敵でしたね・・・、

由紀さおり・・ ほんの「さわり」だけ試聴出来ます。

1970年代の”On More Music”・・いかがですか?

あなたの”On More Music”は!?!?
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空海の旅。

弘法大師の名を知っていても、空海とは別人だと思っている人が多いそうです。
・・・私も以前は別人だと思っていた(^^;

弘法大師・空海は七七四年(宝亀五年)讃岐国多度郡屏風浦
(さぬきのくにたどのこおりびょうぶがうら=現在の善通寺あたり)に生まれました。
父の佐伯田公(さえき・たぎみ)は讃岐国の有力な豪族で、
母の玉依姫(たまよりひめ)は阿刀氏(あとし)の人でした。
空海の幼名は佐伯真魚(まお)と呼ばれた。

高野山の霊地は標高1,000m、東西6km、南北3kmの小盆地をなしており、
四方に陣ヶ峰(じんがみね)、揚柳山(ようりゅうさん)、弁天岳(べんてんだけ)、
天狗岳(てんぐだけ)などの山々がそびえて八葉蓮華を形どる。
さらに、谷は16あって、今ではその谷々にあまたの寺院が散在し、一大宗教都市の観を呈している。
都がまだ長岡京に置かれていた延暦十年(791年)ないし同十一年のある日、
一人の修行僧がこの山中の霊地に姿を現した。
そのいでたちは、ボロボロの衣を着て縄の帯を結い、欠けた錫杖をつくというふうに、いたってみすぼらしい。
だが、これもまた破れた笠の下の顔は、まだ少年の面影をとどめて若々しく、
その眸は燃え立つように強い光りをはなっていた。
おそらくは、特定の宗派、寺院に属さず、菩提心にうながされるままに山林に修行の場を求めて、
苦しい修行に打ち込んでいる若者なのであろう。

僧が山林修行に励むことは、国家仏教をたてまえとする朝廷によって、
統制を乱す異分子輩出の一因として、長らく禁止されてきた。
だが、天皇の系統が天武から天智系にかわり、新たに即位した光仁天皇が禁止の縛めを解いたので、
僧の山林修行はふたたび盛んになった。
山林修行は肉体を酷使するから野たれ死にする危険もあるが、
反面そのような人間能力の極限を突き詰めることで呪術能力を高めることができるとも信じられていた。
そして当時の世間の人々は僧に高い呪術能力を期待していたので、
野心的な僧侶たちは好んで山林修行に投じていったのであった。

いま高野山に立つ修行僧も、そのような山林修行に魅せられた一人なのであろう。
あるいはその澄んだ眼の色から察すると、呪術能力を高めて俗世でもてはやされることが目的なのではなく、
山中閑居や難所踏破を通して真の仏教を究めることを志しているのかもしれない。

その当時、高野山はまったくの未開の地であった。むろんのことに、現在、谷々を埋める堂塔伽藍も、
影も形もなかった。
ただ、山中には珍しくかなり広い平地をなしているだけで、
あたり一面をおおっているのは繁茂した樹木であった。

修行僧はゆっくり笠を取ると、小手をかざして前方の光景を見やった。
そのうちに、黒く日焼けした垢のまとわりついた頬がおのずとゆるみ、顔一面に微笑が広がった。
「おお!!」
修行僧は嘆声をあげると、その場に跪き、両手を合わせた。
「私は探し求めていた土地と、やっと巡り合うことができた。
ありがたいことだ。私の念願はこれで半分達成されたようなものだ」
そう呟きつつ、修行僧は平地をおおう樹林にわけ入って行った。
小鳥の囀りがあちこちから聞こえ、樹林のあいだには清冽な水さえせせらぎの音をたてている。
「おお、ますます良い。私が思い描いていた理想の聖地とぴったりだ」
修行僧は、清水を口に含み、額の汗を拭いながら、いつまでも飽きることなく樹林の間を検分して回った。

そしてこの若い修行僧こそ、ほかでもない、出家してまだ間のない空海であった--。

この「平原の幽地」に類まれな霊性を感じ取り、いずれこの地を活用したいと思いたったのが空海一人だあった。
このとき空海は、ようやく20歳になるかならぬかの年齢だった。

後に、空海が高野山の下賜(かし[身分の高い人が身分の低い人に物を与えること])を願って、
嵯峨天皇に呈出した上奏文に記されている。
「高野山 超人・空海の謎」より。


空海と霊地の劇的な出合いから1300年余り後・・、黎明彩香_Blogに登場するのも何かのご縁かと・・。

高野山・根本大塔

高野山ウェブサイト・・より画像を拝借しました。

私自身が「高野山」にお参りした事がありませんのでこれからが楽しみで・・・。
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