ようやく季節が巡ってきた。

昨年秋、幼子が命を絶たれた。

「エンゼル・トランペット」「菊」の花を捧げた折に、
「さくら草」をコミュニティー菜園に植えようと・・、
幼くして神に召された女子の霊を癒せればと。

”種”を蒔いたのだけれど、雨に流されたようで、まだまだ小さくて、
昨日、花やさんで見つけた「さくら草」でごめんね・・。

コミュニティー菜園・さくら草

自宅では”落ち種”から育った「さくら草」もようやく花が咲き始めました。

種から育った・さくら草

一昨年我が家に嫁入りしてきた「雲南桜草」は”種”から育てて、ようやく芽吹きの季節になりました。

雲南桜草

越後の空に「春」が訪れるのは、まだ先だろうな~。。
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震災10年、節目の後に・・・。

阪神・淡路大震災から十年と一ヶ月。
大きな節目をとらえて盛り上がった震災報道は紙面からも、ブラウン管からもすっかり影を潜めた。
復興が終わったとは考えていないだろうが、わずか数週間に起こった喧騒と静寂の落差は「時」の
非情さをみせつける。と同時に震災復興はこれからが真価を問われるという思いを強くする。
震災から2、3ヶ月して”温度差“という言葉が被災地で飛び交った。
地下鉄サリン事件が転換点だったろうか。
およそ千八百億円という巨額の義援金が寄せられ一方で、
震災の受け止め方に被災地との違いが広がったのである。

あの日の翌日の1月18日。
被災地から電車でわずか15分ほどの大阪・梅田は平静そのものだった。
震災はどこか遠い場所での出来事とばかりに人々が行き交う、
日常的な光景に衝撃を受けた記憶がよみがえる。
そして、時間がたつにつれ温度差は被災地の中でも起こった。
震災が提起した数多くの問題で、誰にも共通するのは人の「生き死に」だった。
関連死を含めて六千四百余の貴重な人命が失われた。
不条理としかいいようのない出来事を目の当たりにし、我が身とを重ね合わせた人は多かったに違いない。
死は誰にも平等に訪れる。
しかも、死に方を選べないからこそ「生きててよかった」という
ガレキの下から救出された被害者のひと言は重いとされた。
温度差が生じるのはある面で仕方がない。
だからといって震災を時間の経過とともに風化させていいわけはないだろう。
では、その溝を埋めるものは何なのか。
ずばり「想像力」である。想像力を働かせることで人の絆(きずな)が生まれ、
その先に新しい復興文化が存在する。

十年を待っていたかのように発生した新潟県中越地震やスマトラ沖地震は試金石になろう。
人は体験の動物である。体験していない出来事はどうしても他人事と受け止めがちだ。
震災は自然災害である以上に社会災害とされるゆえんがここにある。
自然災害の発生を防ぐのは難しい。
しかし、社会災害を「減災」することは可能だし、
それにはまず想像力働かせて“共通体験”にすることから始まるのではなかろうか。
今年一月、国連の防災世界会議が神戸で開かれた。
新潟中越地震やスマトラ沖地震もあって「防災」論議がにわかに盛り上がってる。
日本列島はこれから地震の活動期に入ると専門家は指摘する。もはや他人事では済まされない。
復興の旗を振ってきた兵庫県知事はいう。来し方の十年はダメージを回復する十年だった。
創造的復興はこれから始まるのだ、と。
しかし、今年度で幕が引かれる「復興十ヵ年計画」でも、“創造的復興”がキーワードだった。
ここでも創造力が問われている。[日経新聞]

≪真の復興問われる想像力≫と題した記事が目を引き記載しました。

日本列島で生活する限り、私たちは地震のリスクから逃れることは出来そうにありません。
そして新潟県中越地震をはじめ先ごろの地震の頻発は、
日本列島周辺が地震の活動期に入っていると言われています。
「創(想)造力」を高め「減災」を心がけるつもりです。
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