ネパール地震、死者1500人超 M7.8

ネパール:地震、死者1500人超 M7.8首都被害甚大。

◇エベレストで雪崩

【ニューデリー金子淳】ネパール中部で25日午前11時56分(日本時間同日午後3時11分)ごろ、マグニチュード(M)7.8の強い地震が発生し、首都カトマンズなどで多くの建物が倒壊した。
ネパール救援当局は、死者が1457人に上ったとしている。インドなど周辺国でも数十人が死亡しており、死者数は合計で1500人を超えた。
世界最高峰エベレスト(8848メートル)では雪崩が発生して登山者が巻き込まれて死者が出ている。地方都市との通信網が寸断されており、死者数はさらに増える可能性がある。

米地質調査所(USGS)によると、震源はカトマンズの北西約80キロ、震源の深さは約15キロ。
中国地震局によると、同日夕、隣接する中国チベット自治区を震源とするM5.9の余震があった。同日夜現在、日本人の被害は確認されていない。在ネパール大使館が、在留邦人や登山者の安否確認を急いでいる。

ネパール政府は、カトマンズなど被災地に非常事態宣言を発令した。また、カトマンズ空港など各地の空港は閉鎖されている。

カトマンズの住民らによると、激しい揺れが1分以上続き、多くの人が家の外に飛び出してパニック状態になった。
インドのテレビ局によると、9階建てのビルも倒壊したという。市内の病院には、多くの負傷者が運び込まれている。

仏教寺院などの世界遺産に指定されている歴史的建造物も被害を受けた。
カトマンズ市内にある、19世紀に建てられた高さ約50メートルの「ダラハラ」塔が崩壊し、少なくとも50人が閉じ込められたという情報がある。

カトマンズの西約150キロにあるネパール第2の都市ポカラの住民によると、震源に近いカトマンズとポカラの中間にあるゴルカ郡の被害が大きく、地元ラジオは建物の8割が倒壊したと報じているという。

また、エベレストでは、登山隊がベースキャンプに使う地域で雪崩が発生した。
AFP通信によると、ネパール当局は、登山者10人の遺体を収容した。他にも多くの行方不明者が出ているという。ヒマラヤ山系は登山シーズンに入っており、日本人を含む多くの外国人登山者が訪れていた。

また、現地からの報道によると、インドでは、ネパールと国境を接する東部ビハール州などで少なくとも36人が死亡し、多数の負傷者が出た。中国チベット自治区で12人、バングラデシュでも2人が死亡した。
【毎日新聞 2015年04月25日 18時32分(最終更新 04月26日 02時01分)】

カトマンズの被害も心配なのですが、ヒマラヤ山系は登山・トレッキングシーズンに入っていて、沢山の日本人も現地に居たとこでしょうから安否確認が速やかに取れることを願っています。


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高倉健さんを偲んでVol.12

・夜叉 (1985年公開)

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■ 夜叉。 1985年公開。

ある港町を舞台に、漁師として生きる男の隠された壮絶な過去、縺れた愛を描く。
監督は、高倉健さんと長年のコンビである降旗康男、脚本は中村努が務めた。撮影を担当した木村大作のカメラワークにも注目。
夜叉
大阪ミナミで「人斬り夜叉」の異名を取った修治(高倉健)が暮らすのは、若狭湾に面した小さな港町。15年前のしがらみを忘れさせるほど、妻(いしだあゆみ)や子らと静かな生活を送っていた。
ある冬、ミナミから螢子(田中裕子)という女がやってきて、居酒屋を始める。美しい螢子を目当てに男達は店に集うが、螢子にはヒモ同然の矢島(ビートたけし)という男がいた。
矢島は漁師たちに覚醒剤を唆し始める。薬を処分した螢子に逆上した矢島を止めようとして、背に傷を負う修治。
夜叉
隠し続けてきた、かつての修羅の痕跡でもある夜叉の彫り物が露わとなり、修治の過去が知れ渡ってしまう。

夜叉は、TV放映を録画するチャンスに恵まれず「高倉健さんを偲んで」の記述中から洩れていた作品です。
近代高倉健史を遡っていて、どうしても洩れさす訳にはいかずネットレンタルを利用してDVDを借りました。
借りたのはいいのですが、DVDをリッピング(PCに取り込み)はしたものの片面2層の作品でした。
手元には、ブルーレイディスク(BD)や片面1層のDVDはあったのですが残念ながら片面2層DVDがありませんでした。
パソコンをしていても動画を扱う機会がなく、DVDを焼いたりするのはほとんどありませんでした。
メディアに焼き付けるISO規格のこともよく分からずに、苦し紛れに容量が大きいブルーレイディスク(BD)になら入るだろうと・・。
ものの見事に失敗して、PCでは再生できるのですが、肝心のブルーレイレコーダーで再生しませんでした。(笑い
ルールに沿って片面2層DVDを買い求めてきて、焼き付けたら・・・何のこともなく無事に再生しました。

今、手元には、ブルーレイディスクBD・DVD片面1層・DVD片面2層・CD-Rと、50枚入りのスピンドルケースが転がっていますよ。(笑い


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高倉健さんを偲んでVol.11

・幸福の黄色いハンカチ (1977年公開)
・八甲田山 (1977年公開)

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■ 幸福の黄色いハンカチ。 1977年公開。

【ストーリー】[日本映画専門チャンネル他より]
あらゆる世代の観客を集め大ヒットを記録し、その年の映画賞を独占した日本映画史に残る不朽の名作。
刑務所帰りの中年男が、偶然出会った若い男女とともに妻の元へ向かうまでを描いた山田洋次監督によるロードムービー。
『男はつらいよ』シリーズの山田洋次監督が高倉健を主演に迎えて、刑務所帰りの中年男が失っていた自信と愛を取り戻し再生するまでを、北海道の美しい風景の中に描く。
刑務所から出所したばかりの勇作が食堂に入る・・・。
[とっておきの撮影秘話] 絶食して撮影に挑んだ高倉健、が大変面白く、改めて健さんの映画に対するひたむきな努力を知り感心するばかりです。
幸福の黄色いハンカチ

年中失恋ばかりしている欽也は、真っ赤な新車を手に入れ北海道へ旅立つ。道中、同じく傷心の朱美と勇作という中年と出会い、3人は一緒に旅を続けるが、勇作には秘められた過去があった。
やがて勇作は、「自分を待っていてくれるなら、家の前に黄色いハンカチを掲げておいてくれ」と妻に手紙を書いたことを打ち明ける。
あまりにも有名なラストは“あざとい”と感じながらも涙せずにはいられない感動作である。
幸福の黄色いハンカチ


■ 八甲田山。 1977年公開。

【ストーリー】[日本映画専門チャンネル他より]
ロシアとの戦争の可能性が強くなった1901年末、第四旅団指令部は八甲田山での雪中行軍訓練の実施を決定した。
行軍計画は、青森第五連隊からの部隊と弘前第三十一連隊からの部隊が八甲田山中ですれ違うというものであった。
第三十一連隊の徳島大尉(高倉健)率いる部隊は、少数精鋭で出発するが、第五連隊の神田大尉(北大路欣也)隊には、上官の山田少佐(三國連太郎)が加わり、大部隊で出発した…。
八甲田山

【編集局から】高倉健さん「八甲田山」で数々の“伝説”
過酷な撮影だった本作には、多くの“伝説”がありますが、なかでも健さんと共演の北大路欣也さんの熱い役者魂を伝えるエピソードがあります。
健さん演じる徳島太尉は、北大路さんの神田太尉と、雪中行軍の途中、雪の八甲田山で落ち合う約束をします。しかし神田隊は遭難、神田太尉も命を落とします。
徳島太尉は吹雪の山中で神田太尉の遺体と対面。約束は悲しい形で実現しました。下山した徳島太尉は、神田太尉の遺体がすでに収容されたことを知り驚きます。
「私が山中で見たのはいったい…」
吐く息も白くなるほどの寒さのなかで撮影された、収容された遺体と対面するシーン。棺を開けてのぞき込む徳島太尉。撮影なので、棺のなかは空のはずでした。
徳島太尉、いや健さんは息をのみます。棺には本当に北大路さんが横たわっていたのです。
凍えるような寒さの中、息が漏れるのも我慢していた北大路さん。知らされていなかった健さんは、その熱い思いに声を詰まらせて涙します。互いに役を全うしたからこそ、胸をうつシーン。もう男泣きです。
八甲田山


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高倉健さんを偲んでVol.10


・動乱 第1部 海峡を渡る愛/第2部 雪降り止まず (1980年公開)
・野性の証明 (1978年公開)

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■ 動乱 第1部 海峡を渡る愛/第2部 雪降り止まず。 1980年公開。

動乱

【ストーリー】[日本映画専門チャンネル他より]
山田信夫の脚本を森谷司郎が監督した歴史ドラマ。高倉健と吉永小百合の共演が話題を呼んだ。
本編は「海峡を渡る愛」と「雪降り止まず」の二部構成。  
わずか千円の借金のために芸者に売られようとする姉の薫(吉永小百合)を救おうと、初年兵の溝口(永島敏行)が脱走するが故郷で逮捕され、揉み合った上司を誤って殺害したため射殺されてしまった。
隊長の宮城(高倉健)は父に金を用立ててもらい、香典として千円を薫に渡す。
東京では五・一五事件が発生し、部下から脱走兵を出した宮城は罰として朝鮮の前線に送られた。
そこは、朝鮮ゲリラへ軍需物資の横流しが平然と行なわれる腐敗したところだった…。
現地で宴に招待された宮城は、そこで芸者となった薫と再会する。
第一連隊に配属となった宮城は、薫とともに東京に戻るのだった。しかし時代は昭和維新に向かって着実に歩を進めていた。


■ 野性の証明。 1978年公開。

野性の証明

【ストーリー】[日本映画専門チャンネル他より]
鋼のような精神力と肉体を併せ持つ陸上自衛隊特殊部隊。
その一員である味沢は、ある非情な訓練の最中、凄惨な大量殺人事件に遭遇し、結果除隊してしまう。
彼は身寄りのない少女を養子に取り、ごく普通の生活を送っていたが、彼には必ず成し遂げねばならない大きな人生の目的があった。
彼の秘密と生きるための目的とは…。


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CDコンポの調子が悪くて・・・。

柳ジョージ&レイニーウッド、魂のLAST TUNE。
LAST TUNE

LAST TUNE
1981年12月19日に行われた武道館ファイナル・コンサートの完全盤、30年の時を経て待望のノーカット・リリース『The Last Tune ''Live At Budokan'' 完全盤』(2011/12/19)。ついに伝説の夜の全貌が明かされる。未発表テイク13曲収録されている。
1981年12月19日、時ならぬ“解散”という現実を受け入れることができない大多数のファンが見守る中で、人気も活動も絶頂期に散った柳ジョージ&レイニーウッド。

Live At Budokan
“THE LAST TUNE”と銘打たれた武道館でのファイナル・コンサートの模様を収録したライヴ音源からは、当時LP盤1枚に収まる9曲のみが厳選され、『LIVE AT BUDOKAN』として限定発売された。カセット版には「同じ時代に」を追加した10曲が収録された。以後、メディアの変遷の中、限られた枚数のCDが流通しては消え…2005年に現行のVSCD3855『LIVE AT BUDOKAN』がリイシューされたことにより、ようやくJ-ROCK史の名盤として21世紀に聴き継がれることとなった。

LAST TUNE
オリジナル・リリース時に選から漏れたテイクを含めた完全盤のリリースを待ち望む声は当然ながら根強くあった。しかし、パンドラの箱を紐解くのに30年もかかってしまった。リリース実現に向けた動きが水面下でゆっくりと進行する間に、柳ジョージ&レイニーウッドは二度目の再結成を経て…悲しいことに、先日は、柳ジョージ氏の訃報が舞い込んできてしまった。The Last Tune ''Live At Budokan'' 完全盤が柳氏の追悼盤のようなタイミングで世に出ることになるのも予め用意されていた運命なのだろうか(2011年10月10日没)。
頂点にあった最強のライヴ・バンドのラスト・ステージが、当時の輝きそのままに蘇る。あの夜武道館に集まったファンは、コンサートが夢の中であっという間に終わってしまったような印象を30年間抱き続けてきたはずだ。
[HMV ONLINEより]

柳ジョージ&レイニーウッドの解散コンサートは大阪でも開催され、ライブ会場に足を運んだものです。
翌年には厳選された9曲がLP盤として発売され、今も押入れに眠っていて、『LIVE AT BUDOKAN』のCDも擦り切れるくらいに車の中で聞いています。
そして、2011年に発表された、『The Last Tune ''Live At Budokan'' 完全盤』はmp3音源として手元にあり、車の中で聞いてもいました。
数ヶ月前に、三男坊にそそのかされて、車にウーハー・スピーカーを積んだ後に、今まで聞いていた音は何だったかと耳を疑い、重低音が鳴り響き、どうしてもこのCDが欲しくなり、例のごとくAmazonで購入したしだいです。
それに合わせる様に、自宅の7年物のCDコンポに不具合が出始め、年度末セールにかこつけて・・・新しいCDコンポで、このCDを聞いてご機嫌になっています。(笑い
感動の涙と共にあの伝説の夜が蘇った!


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