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博文(ひろぶみ)通信

浪江町の今をできる限り発信!

とりあえず休止

2014-08-10 18:32:49 | 日記

今日は、ブログ開設から701日目。

この間、多くの皆さんからご意見やご指摘などをいただき、ありがとうございます。

 

さて、最近のブログネタは、皆さんお気づきの通り、ネットのニュースなどの貼り付けが主になってしまいました。

理由は、お叱り覚悟で正直申しますと、「町に関することでお知らせすべき情報がない(進展がない)」からです。この責任の一端は、次の一手の妙案が浮かばない能力不足の自分にも当然あります。

ブログの開設目的は「浪江町の今をできる限り発信」。ということは、「今、このブログの存在意義は、ないのでは?」と自問自答。

 

また、ここには具体的には書けませんが、ブログを更新することで悩むことや傷つくことも・・・。

 

本当は、昨日の700日と「キリの良い数字」で、このような内容をネタにして「博文通信休止宣言」をするつもりでした。ただ、「明日になれば考えが変わるのでは?」と思い止まりました。しかし結局、昨日と変わらず・・・。

毎日更新(継続は力なり)を心がけてきましたが、突然で大変申し訳ありません。「とりあえず休止」します。

 

更新すべきネタがありましたら、その時はお知らせします。

 

今まで通り、意見交換の場に使っていただければ幸いです。ただ、お互いの立場をあくまでも理解・尊重することをお願いします。

 

それでは、しばらくの間なさい。

 


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6 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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残念です。そしてありがとう (阿武隈の山並みはるか…)
2014-08-10 23:38:54
日常生活の中で夜になってこのブログを開くことが当然のことになっていました。
それぞれが色々な意見があって当然な状況の中で私もコメントを読んでいて色々考えることがありました。
浪江町の行政に伝えなければ自分たちの思いはわかることはないですよね?
町がどちらの方向にむかっているのか、帰町も含めて現実問題としてどうなのか…など、除染の仮置き場に囲まれて、すぐ近くに中間管理施設ができる可能性も含めて…生活は成り立つのだろうか…今一私にはわかりません。
町から送られてくる広報をすべて読みこなせばいいのだとは思いますが…
役場にはそんな一人一人の意見を吸い上げてくれるところはありますか?
電話をするとたらい回しにされることもあります。
だからこそ私は、このブログが好きでした。

阿武隈の阿武隈の山並みはるか…群青の群青の天に雲わく…浪江中の校歌でしたね。この校歌を歌う子どもたちは増えることはあるのでしょうか?


山崎博文さん…今まで色々なことを教えていただきありがとう。県外にいると地方紙は読めません。
契約をして読めばすむことだと言われたらその通りなのですが…
パソコンもうまく使いこなせない人もいたはずです。博文さんのブログでわかったこともたくさんありました。感謝しています。
長い間毎日更新してくれたこと、大変だったと思います。
また、再開してくれる日を待っています。
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同感です (Unknown)
2014-08-11 00:38:18
コピーでも、毎日更新するのは大変な事だったと思います。
できればこれからも毎日でも、とお願いしたいところですが、山崎先生の気が向いたらで構いません。
毎日、更新されているか今まで通りお邪魔しますね。

色々な意見を読まれて、先生個人の思いもあったと思います。
立場上言えないのもわかってますので、こちらに書き込まれた皆さんや私の意見が少しでも、今後の浪江、双葉郡などの在り方に反映していただければ、読まれていた皆さんも理解して下さるんじゃないかと思います。

親子共々、そろばん塾でお世話になりました。
私も子供も、そろばんを習った事は生かされています。
色々と、ありがとうございました。
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Unknown (Unknown)
2014-08-11 05:50:31
住民票を移動しました。これで避難を終わりにします。ここのブログ、いろんなコメントが面白かったですよ。話題を提供したことに意義はあったと思いますよ。
福島は全国民に「金目」の烙印を押されたこと、県内では気がつきませんかね。県内では、都合のいいニュースしか放送されませんものね。浪江町の復興は、原発廃炉作業の前線としての復興であり、町民の為の復興ではないことを知り、移住を決断しました。福島には戻りません。町復興の為に頑張ってください。
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捲土重来 (元権現堂在住)
2014-08-11 11:04:24
ブログ管理者様の判断に敬意を表したいと思います。事故後、明日をも知れない状態に町民の一人・一人が不安と憂いのうちに避難を体験していた時は無我夢中でした。ところが・・・東電の賠償が現実化し、時間と共に微妙な避難者間に微妙な思考格差・賠償額格差が生じ始めました。そう言う私も親子夫婦とは別々・・・さらに現在は私と妻も別々に住居を確保し別居中です。この事故で一番大切なものが崩壊したのです。妻とは避難後、喧嘩が多くなり話し合いの末、それぞれ別々にすむという選択をしたのです。離婚をするということではありません。最善の選択でした。私ごとばかり書いてしまいましたが・・・今は、このブログがいつの日か再開されんことをお待ちします。
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Unknown (Unknown)
2014-08-12 13:43:41
博文さん今までお疲れ様です。ありがとうございました。出来れば町の公式ホームページなどで意見が言えればよいのですが、浪江町は昔からの体質もあり開かれる事はないでしょうね。
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ご苦労様でした (同級生M)
2014-08-12 23:34:24
本当にご苦労様でした。
浪江町を伝え、そして浪江町をつなぐために頑張っていただきました。
これからまだまだ、やるべき事はたくさんありますが、とりあえず、今度ゆっくり酒でも飲みましょう。
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