城台山日記

 城台山の麓で生まれ、毎日この山に登り、野菜・花づくり、読書、山登りをこよなく愛する年寄りの感動と失敗の生活日記です。

今明治維新が面白い 21.7.20

2021-07-20 19:23:32 | 面白い本はないか
 まずは、長めの前置きから。このところ長めの山行をしていないので、随分暑くなっていたが、勇気をふるって池田山の大津谷コースを登ってきた。曇り気味の天候ではあったが、全身汗でびっしょりとなった。林道に入ってからは、少し涼しい風も吹き、山頂まで2時間弱で到達することができた。予定がないときに気軽に登れる山として、自宅近くの3つの山を比較してみた。

◯池田山(大津谷コース) 登山口標高140m、山頂924m 標高差784m 距離往復10.5km 所要時間登り2時間
 コースの特徴 (林道にいたるまで)の前半と終盤が結構な登り、やく4kmの林道が実に単調、山頂の展望もほとんどなし トレーニングには最適
 
  山頂の展望台だけが特徴か

◯貝月山(貝月ゲレンデから) ゲレンデロッジ549m 山頂1234m 標高差685m 距離往復10~11km 登り1時間45分(21.4.26の記録)
 コースの特徴 急登が少なくペースを守って登ることができるので、年寄り、初心者向き 展望は素晴らしいが、花が少ない 避難小屋まで車で登れば所要時間はさらに短くなる    
 
 貝月山の広い山頂

◯小津権現山(小津杉谷林道経由) 登山口432m 山頂1158m 標高差726m 距離往復7.72km 所要時間2時間5分(2019.11.12記録) 
 コースの特徴 高屋山(956m)までの登りがきついが、その先は比較的楽 けれど山頂は意外に遠い 藤波谷コースは私にとって魅力ない
 
 権現だから祠がちゃんとある

貝月山と小津権現山はやはり季節の良いときに登りたい。貝月だとなんと言っても冬が良い 小津権現は11月の初旬頃がお薦め


 ここからが本題となる。大河ドラマ「青天を衝く」を見ていると、今回は幕府側がなんとなく正義の味方で薩摩側が悪者のように描かれているように感じる。もちろん、主役の渋沢栄一が幕臣だからだろう。慶喜が大政奉還を決めて、ひたすら恭順の態度を示しているのに、あの「せごどん」は戦を起すために様々な悪巧みをする。私たちが習った歴史は明治維新とそれ以後の歴史を正当化するために、幕府の悪政、無能振りを強調している。さすがに維新から遠くなるに連れてこのような一方的な描き方はしなくなっていると感じる。そうなると一体全体明治維新とは何だったのかわからなくなってきた。中国に「易姓革命」というのがあり、天の命により王朝を築くのだが、人心が離れると別の王朝が起こる。徳川幕府の場合、人心が離れてしまったというよりも、迫り来る外国の圧力にうまく対応できなかっただけではないだろか。幕府自身も改革を進めようとしていたことは確かであるので、不可能ではあるがその結果を見てみたいと思ったりした。

 ここからは小島毅「儒教が支えた明治維新」からいつものように適当に紹介する。日本はその国作りにあたって、隣国すなわち中国の王朝、唐や宋などから思想を輸入してきた(今はそれがアメリカ、ドイツ、フランス等に変わっただけ)。特に儒教の影響は強く、その思想は中国に留学した禅僧から伝わってきた。13世紀に宋から伝わった禅宗には、教養の一部として朱子学についての知識があった。この朱子学を発展させたのが江戸幕府で、その鬼子というべき存在が水戸藩の尊皇攘夷思想さらには吉田松陰であった。そして西郷隆盛もそうであった。明治維新は表向き日本古来の神道による王政復古となっているが、実質的には西洋列強を模倣した国家の構築であった。そして、神道の中には儒教の教えが染みこんでいる。中国からの亡命儒学者朱舜水に傾倒した徳川光圀の子孫が斉昭でありその子どもである慶喜なのである。ドラマでも斉昭が言っていた「徳川将軍家というのも天皇の臣下にすぎない」と。

 話を少し変える。8月になると「靖国神社」の話題が必ず出てくる。靖国神社は、1869年に明治天皇の思し召しにより「東京招魂社」というのが創立され、10年後「靖国神社」となった。この神社は、天皇のために戦った戦没者を祀るためのもので、吉田松陰は祀られているが、西南戦争を起した西郷隆盛は祀られていない。この神社の祭神は英霊で、散華した(戦いで死んだ)兵士たちの「気」が英霊なのである。英霊は遺族にいちいち断りをすることなく靖国神社の祭神として崇敬対象になるというのが仕組みだそうだ。(この「気」というのが朱子学でいう「理」「気」だからややこしい)。A級戦犯を合祀したことについての説明で、我が国には「過去を水に流す、死者をむち打たず、墓を暴かず」という文化があるからだそうだ。しかし、小島氏は、江戸時代「怨心平等」という考え方が仏教の中にあり、戦死者を敵味方なく供養するのが日本古来の文化だと主張する。その例として蒙古襲来の戦死者を祀った円覚寺があると。靖国神社は日本古来の思想に根ざしているのではなく、儒教、朱子学の教義を源流とする施設であり、中国や韓国の「死者にむち打ち,墓を暴く」という文化にいたるものを有している。

 その朱子学の元祖である中国やその支流である韓国からの政治家の靖国神社への参拝に対する批判は、アジア太平洋戦争の戦犯が合祀されているところだからということであるが、その歴史を知るにつれ歴史とは一筋縄ではいかないものだという認識を深めた。私は沖縄の「平和の礎」こそ戦没者を弔う施設としてふさわしいと考えるのだが。  
コメント
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