城台山日記

 城台山の麓で生まれ、毎日この山に登り、野菜・花づくり、読書、山登りをこよなく愛する年寄りの感動と失敗の生活日記です。

真夏の苦行・藪漕ぎの苅安 20.8.17

2020-08-18 17:14:07 | 山登り
 山の日に涼しい風に助けられて伊吹山に登り、17日には根尾温見峠から北北東に伸びる尾根をたどり、苅安に登ることを計画した。まずは、岐阜県側から温見峠へはおそろしく遠い道のりで酷道157号線はここ数年まともに通行できたことはあまりないため、大幅な遠回りを強いられる。根尾東谷川を遡り、上大須付近から切越峠を越え、越波(おっぱ)から黒津、ここから157号線(越波から猫峠を経て大河原に出るのが近道だが、通行可能かどうか確認していないのでご容赦を)で大河原を越え、温見峠に至る道で織部の里から2時間以上かかる。

 次に苅安の説明。地形図上には山名がないが、三等三角点(1301.72m)があり、点名が刈安だが、山名は苅安。温見峠の標高が約1000m、標高差300m足らず、距離も2kmくらい。少しのヤブはあるかもしれないが、2時間程度あれば余裕で登れるであろうとおじさんもEさんも予測した。藪漕ぎとなると長ズボン、長シャツはもちろんのこと、手袋等できるだけ皮膚をさらさないようにするため、夏には苦行となる。さらにすね当ての代わりに冬用のスパッツがあるが、これも暑いので省略。暑さに加えて、繁茂する草や木の葉っぱは見通しを悪くするから、余計に苦労することになる。

 越波から黒津までは道路上の小石に注意。Eさんが運転する車に5人が乗っているので、小さな石でも接触してしまう。9時過ぎに温見峠に到着、能郷白山に登っているらしい福井ナンバーの車2台があった。峠からはこれから登る尾根及び苅安のピークが見える。

 これから登る尾根と苅安

峠のお社に登山の無事を祈る。


しばらくは踏み跡を順調に進んでいくが、その踏み跡もだんだん不鮮明になってくる。まわりはクマザサ、踏み跡の真ん中にはえているところもあり、余計にたどるのが難しい。1時間過ぎからかなりの藪漕ぎ、このままだとピークへの到着も難しいのではないかという懸念が去来する。藪漕ぎで体力もどんどん奪われるが、ひとまず12時を目標に上り詰めることにする。

 1時間半過ぎからは比較的順調に踏み跡をたどることができ、大きく東に曲がる地点までやってきた。

 東にここで大きく曲がる

ここから少し下り気味に行ったところが三角点のある場所。何回も踏み跡をはずし、そのたびに時間がどんどん過ぎていく。GPSがなければさらに大幅な時間ロスが出てくることがわかる。山頂直下まで来たが、踏み跡らしきものはない。山頂の方向に藪を漕ぎながら進むと待望の山頂に達した。

 苅安山頂

山頂は5,6人が収容できる広さ、訪れる人が非常に少ないことを物語る。昼食後、下山開始。1mも離れるともう先行者は見えない。できるだけ団子状態で下っていくが、おじさんが遅いため、すぐに先行者を見失う。そのたびに大きな声で先行者に待ってもらう。

 能郷白山を望む

 分岐を過ぎて約1時間、踏み跡を外して、少しトラバース気味に尾根上の踏み跡を探す。藪漕ぎでおじさんの右足のすねは悲鳴を上げている。痛いばかりでなく、痺れてくる。そこでちょっとしたハプニングが起こった。最年少のK君の買ったばかりのスマホがないと言う。ズボンのポケットに入れていて、直前まであったと言う。チャック付きではなかったので、直前の藪漕ぎの途中でなくしたらしい。探しに戻り、幸い同行したOさんがそのスマホを発見してくれた。お社まで戻り、無事登れたこと、スマホが戻ったことに感謝の祈りを捧げた。

 峠で着替えをすると、両足とも膝下の一部が赤く腫れ上がっていた。これが今回の苦行を最も物語るものとなった。そこに岐阜ナンバーの一台の車がさしかかる。九頭竜から岐阜に帰るつもりが、こちらに来てしまったとのこと。朝来た順路を教えてあげた。彼らからすれば岐阜ナンバーのわれわれの乗る車に出会ったことは地獄で如来様に出会ったようなものではないかと勝手に想像した。今回の山行には反省しかり。E氏の8年前の道には何もなく1時間で登ったとの記憶に頼りすぎた。8年も経ち、登る人もいなくなればかつての明瞭な道はヤブと化す。奥美濃のヤブ山で起きていることだ。そのことを頭に置き、時間の余裕を十分に見ておくべきだと今更ながら痛感した。

 コースタイム 温見峠9:20→苅安12:55~13:30→峠16:05


 峠から左下に能郷白山の登山路が伸びている
コメント
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