城台山日記

 城台山の麓で生まれ、毎日この山に登り、野菜・花づくり、読書、山登りをこよなく愛する年寄りの感動と失敗の生活日記です。

なぜブログを書いてしまうのか? 20.7.7

2020-07-07 17:53:42 | 面白い本はないか
 雨の日が続いている。今日は七夕だが、星が見えないどころではなく、大雨警報が発令されて、学校等も休校となった。6時頃、少し雨が小降りになったので、登山用の雨具を着て畑に収穫に行った。

 収穫物 ナス2本、トマト大玉2個(まだ未熟だが、1日、2日おいておけば熟する。一段目の収穫は終わり、今二段目に入っている)、ミニトマト、甘長トウガラシ、シシトウ
     キュウリは実どころか、花が全く咲いていない(日照がほとんどないからか)

 そしてミニスイカ(1.9kg)
 収穫時、スイカの病気(炭疽病かツル枯れ病、もともと小規模には発生していた。2回ほど消毒)が雨が続いたことにより、拡大していた。昼前に慌てて消毒したが、ビニールの覆いのないところではすぐに雨に流されてしまっただろう。被害がどれくらいになるのかわからない。長雨を恨むばかりである。

 さて、自分史あるいは自叙伝、自伝という分野がある。有名なところでは、日清戦争で活躍した陸奥宗光の蹇蹇録(けんけんろく)(もちろん未読)。おじさんの本棚で未読の重光葵の「昭和の動乱」(いつ読みたくなるのかわからない)。もちろん、これらは自伝と呼んでも恥ずかしくないが、一般の人(それでもある程度功成り遂げた人であろうと想像するが)が書いた謙遜して言えば自分史などは無数にあるであろう。もちろん、ほとんどの場合は自費出版でその配布先も親戚、知人ということになる。おじさんの知っている方で、退職後せっせせっせと小説を書いていて、おじさんも読ましてもらったことがある。

 小谷野敦著「私小説のすすめ」を読んだ。私小説で有名なのが田山花袋の「蒲団」だが、これをめぐってはこれは純文学ではないと批判する人たちも多く、これは日本独自の小説だという人が専門家でもいるという(そんな話聞いたことがある)。しかし、海外でも私小説すなわち自分の経験したことを少し修正あるいは脚色して書くことは普通にあると著者は言う(SFや推理小説等を除けば、自分が経験したこと、あるいはモデルがないことを書くのは天才でもない限り難しいみたいだ。そしてこうしたものこそが虚構よりも面白いという。)。この本で褒められたり、出来が良くないと批判される小説(そのものを読んでいないことが多いのだが)を遠慮無く述べているところがやたらと面白い。批判されているのは物故者ばかりでなく、健在している作家もいるのだから余計に驚く。芥川賞などをとっても忘れさられてしまう作家などは珍しくない。蒲団のように100年以上も読まれる本などきわめて少ないのが実情だから要は、書きたければ下手であっても、私小説でもなんでも書けば良いと言っている。著者自身は文芸評論家だが、書いた小説は売れていないことを告白しているのもいさぎよい。

 ここからが、我がブログを書くいきさつとなる。元は、3年前の夏から大垣山岳協会のブログ担当となった。担当になったのも、全くの偶然でこちらが手を上げた訳ではない。なりゆきでなったのだが、始めると結構面白い。編集者からという欄を作って、山ばかりではない話題も取り上げた。協会の方には「あれはおじさんのブログ」(褒めたものではないと思う)だと言われたこともある。協会のブログは、会員募集ということが最大の目標なので、できるだけ見てもらう必要がある。おじさんに出来るのは、できるだけ編集者のキャラを際立たせることと、多くの記事を書くことだった。2年半ほど担当して、その目論見は成功したのかどうかわからない。

 登山を始めて以来、そのときの記録を少しづつ書き留めてきた。退職後は、その記録をメールでかつての山友等に送っていた。そして、協会のブログ担当を経て、昨年の2月から自分のブログを書くようになった。書くのが苦手な人にも良く言っているが、山に登ったあとに少しづつ記録を残せば、山を二度楽しむことができると。千野帽子著「人はなぜ物語を求めるか」によれば、人間は生きていると、ストーリーを合成する。人間は物語を聞く、読む以上にストーリーを自分で不可避的に合成してしまう。生きていて、何かを喜んだり楽しんだりするのは、その「物語」による意味づけのなせるわざ。これが私のブログ書きの説明になるかどうかわかりませんが?
コメント
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