聖書は、預言の書とも呼ばれています。神エホバはご自分の目的を漸進的に明らかにされ、預言がどのように成就していくかを確証できるようにしてくださっています。
メシア(ギリシャ語ではキリスト)となるべく地上に遣わされ生まれた方は、その奇跡的な誕生の際に、「エホバは救い」という意味の「イエス」と名付けられました。そのイエスには、重要な役割や高められた地位を示す預言的な名が幾つかあります。そうした名の一つは、「わたしたちと共に神エホバはおられる」という意味の「インマヌエル」です(イザヤ7:14、脚注)。イザヤは、ほかの預言的なイエスの名・称号についてこう記しています。「わたしたちのためにひとりの子供が生まれ、わたしたちにひとりの男子が与えられた・・・。君として支配がその肩に置かれる。そして彼の名は、”くすしい助言者”、”力ある神”、”とこしえの父”、”平和の君”と呼ばれるであろう」(イザヤ9:6)。この聖句に記された預言的な名の持つ意味について考えてみましょう。
「助言者」とは助言や忠告を与える人のことです。イエス・キリストは地上にいた時、くすしい助言を与えました。聖書は、イエスの教えについて、「群衆はその教え方に驚き入っていた」と記しています(マタイ7:28)。イエスは、感情移入する賢明な助言者であり、人間の本性に関する並外れた理解を持っておあられました。その助言は、譴責したり懲戒したりすることだけに限られてはいません。それよりも、分かり易い教訓や愛ある忠告の形で与えられることのほうが多かったのです。いえすの助言がくすしい、と言えるのは、それがいつも道理に合って賢明であり、完璧で、誤りのないものだからです。イエスの助言に従うなら、互いに平和を造り出し、永遠の命に導かれます(マタイ5:9.ヨハネ6:68)。
イエスの助言は、単なる人間の才気あふれる知性、知恵の所産ではありません。イエスは、「わたしの教えはわたしのものではなく、わたしを遣わした方(エホバ)に属するのです」と、教えられました(ヨハネ7:16)。ソロモンの場合と同様、イエスの知恵の源はエホバ神です(列王第一3:7~14.マタイ12:42)。ですからイエスは”くすしい助言者”なのです。イエスの模範を考えると、助言者の立場の人は、クリスチャンであっても無くても、常に神エホバの教えの言葉に基づき教訓を与えるようにしたいものです(箴言21:30)。
あなたも、イエスの残された模範、手本に見倣う方々のお一人であれば幸いです(ペテロ第一2:21)。
紙風船 突きて遊びし 日は遠し 今日の一句
雨上がりの庭の「ハナニラ」
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