愛媛県宇和島市からの良いたより♪

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現在社会は、なぜ愛を培わない人が多いのでしょうか?

2015-11-30 23:07:00 | 神の言葉・聖書

 ご承知の通り、現在社会は科学進歩も著しく、かつ多くの人々は高等教育を受け、生活物資は溢れています。科学技術や教育に多額な資金が投入されながら、多くの人々は不透明、混沌とする社会に直面し、幸福感に満たされない人々が増えているようです。

 日本では、昭和40年代半ばの日本列島改造論を経て、その後の第一次、第二次オイルショック後、利他的な考えが急速に弱くなり、自己主張・利己的な考えが広まり、人間の競争社会が主流になったと思います。社会が大きく変化した中で、聖書の真理をお伝えするべく、家から家にお訪ねし、お家の人の意見を聞く機会があります。私たちが幸福な生活をするために何が必要か、についてお尋ねしますと、考えながら「愛情とお金」と答えられる方がいらっしゃいます。また「お金が第一」と答えられる方や「愛など言っていたら食べてゆけない」と答えられる方もおられます。20歳代の方は「現在の若者は愛など考えていないので、自分たちが社会の中核、指導的立場になる40歳代後半には、日本は滅びを被る」と述べられました。この方自身は「愛が重要」と考えてはいるものも、「愛について真面目に同世代の中で語り、愛を培うことが生活習慣にない」とも言われました。あるご年配の男性は「愛がない言動は暴力」と、名言を述べ、しかしながら「今はどうしょうもない時代」とも述べられました。中高年の方の中にはまだ、心の中では「愛が大事」とお考えの方もいらっしゃいますが、イエスがこの事物の体制の終結の複合的しるしの中で「大半の者の愛が冷える」と預言された通りに、人々の間で愛が冷えた状態になっています(マタイ24:12)。社会の出来事や人間関係や家族生活を省みながら、まだまだ、人間として愛を学び培う必要があると感じたり、考えながら、なぜ愛を培わない人が多いのでしょうか。あなたはどのように考えられますか。

 愛を学び培う必要があると思いながら、愛を学び培うことをしないのは、イエスが預言されたこの事物の体制の終結の複合的記しの一つです。イエスは1914年以降は世界的な規模で「不法がますため、大半の者の愛が冷えるでしょう」と述べられました(マタイ24:12)。「不法がます」とは、神エホバの教えの律法を学び守り行なわない人が増加することを教えられています。これらの人たちは神エホバから出る愛を学びませんので、必然的に愛が冷えます。さらに聖書は「愛さない者たちは神(エホバ)を知るようになっていません。神は愛だからです」と記しています(ヨハネ第一4:8)。愛の冷えた人たちは神エホバの教えをいっそう学ばないので、ますます愛が冷えてしまう悪循環に陥ってしまいます。

 神エホバを求める人たちは、神エホバから出る教えの実・霊の実の「愛」を培います。を培い基盤にすると、は互いに喜び合い、平和を造り出します。愛は互いに辛抱強く接し、親切にし、善良に振る舞います。愛は真の信仰を培い、保証された希望に堅く立ち、互いを愛し合います。愛は温和な心を培い、自制をすることができるようになります(ガラテア5:22,23.ヨハネ13:34,35)。愛を学び培うことを怠る人たちは、「真実な事と共に歓び合う」高潔な気持ちを育てていませんので、霊の実を真剣に学び、育てようとしません(コリント第一13:6)。真実さを求める人たちは愛を学びますが、愛の冷えた人たちは朽ちる「肉の業」を行ないます(ガラテア5:19~21)。
 
 この終わりの日には対処しにくい危機の時代が来ることが予告されていましたが、人々は聖書の神エホバの教えを無視し、お金を愛する者、つまり金銭第一にする者、自分を愛する者、つまり自己中心で利他的な心を持たない者、ごう慢な者、快楽を愛する者となり、愛を培うことから離れているのです(テモテ第二3:1~5)。
 
 現在社会は「対処しにくい危機の時代」を反映し、多くの人たちは、金銭第一、つまり「経済第一、経済第一」と求め、子供の教育は少しでも他の人より良い学業を修め、良い職場に就くことを求め、愛を学びません。その結果、永続する満足のゆく生活を得るのではなく、逆の結果を刈り取っているのです(ガラテア6:7,8)。イエスは受けるより与える方が幸福と、教えられたことを守り行う必要があるのです(使徒20:35)
 イエスは、悪魔サタンがは最初からの人殺しで、自分の性向のままに語り、真実さがなく、偽りの父と教えられた通り、サタンには愛が全くありません(ヨハネ8:44)。この悪魔サタンは、イエスを通した神エホバの教えの光明を輝き渡らないように、愛の冷えた人々の目をふさぎますので、人間として最も重要な愛を培えないでいるのです(コリント第二4:4)。
 
 では、どうすれば、人間が「神の像(かたち)」に創造されていることを自覚し、愛を学び培うことができるでしょうか(創成期1:26,27)。それは、あなたのお近くにお住いのエホバの証人のクリスチャンの援助を受けて、み言葉・聖書を通して、神エホバの最高度の愛とは何かを学び、古い人格を脱ぎ捨て新しい人格を身に着けることです(ヨハネ第一4:8.エフェソス4:20~24)。そうすれば、神エホバがあなたを霊的に育ててくださいます(コリント第一3:6)。
 
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