ご承知の通り、現在社会は科学進歩も著しく、かつ多くの人々は高等教育を受け、生活物資は溢れています。科学技術や教育に多額な資金が投入されながら、多くの人々は不透明、混沌とする社会に直面し、幸福感に満たされない人々が増えているようです。
日本では、昭和40年代半ばの日本列島改造論を経て、その後の第一次、第二次オイルショック後、利他的な考えが急速に弱くなり、自己主張・利己的な考えが広まり、人間の競争社会が主流になったと思います。社会が大きく変化した中で、聖書の真理をお伝えするべく、家から家にお訪ねし、お家の人の意見を聞く機会があります。私たちが幸福な生活をするために何が必要か、についてお尋ねしますと、考えながら「愛情とお金」と答えられる方がいらっしゃいます。また「お金が第一」と答えられる方や「愛など言っていたら食べてゆけない」と答えられる方もおられます。20歳代の方は「現在の若者は愛など考えていないので、自分たちが社会の中核、指導的立場になる40歳代後半には、日本は滅びを被る」と述べられました。この方自身は「愛が重要」と考えてはいるものも、「愛について真面目に同世代の中で語り、愛を培うことが生活習慣にない」とも言われました。あるご年配の男性は「愛がない言動は暴力」と、名言を述べ、しかしながら「今はどうしょうもない時代」とも述べられました。中高年の方の中にはまだ、心の中では「愛が大事」とお考えの方もいらっしゃいますが、イエスがこの事物の体制の終結の複合的しるしの中で「大半の者の愛が冷える」と預言された通りに、人々の間で愛が冷えた状態になっています(マタイ24:12)。社会の出来事や人間関係や家族生活を省みながら、まだまだ、人間として愛を学び培う必要があると感じたり、考えながら、なぜ愛を培わない人が多いのでしょうか。あなたはどのように考えられますか。
愛を学び培う必要があると思いながら、愛を学び培うことをしないのは、イエスが預言されたこの事物の体制の終結の複合的記しの一つです。イエスは1914年以降は世界的な規模で「不法がますため、大半の者の愛が冷えるでしょう」と述べられました(マタイ24:12)。「不法がます」とは、神エホバの教えの律法を学び守り行なわない人が増加することを教えられています。これらの人たちは神エホバから出る愛を学びませんので、必然的に愛が冷えます。さらに聖書は「愛さない者たちは神(エホバ)を知るようになっていません。神は愛だからです」と記しています(ヨハネ第一4:8)。愛の冷えた人たちは神エホバの教えをいっそう学ばないので、ますます愛が冷えてしまう悪循環に陥ってしまいます。
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