み言葉・聖書が教える神エホバから出る教えの実・霊の実と「愛」についてお伝えさせて頂きました(ガラテア5:22,23.コリント第一13:1~8)。み言葉を通し、神エホバの教えの愛を培い、生活に適用することの重要性をご理解してくださった方々は幸いです。中には、み言葉を学び適用することが困難に感じられた方もいらっしゃるかも知れませんが、勇気を出し、強くあって、学び続け少しずつ適用してくだされば嬉しく存じます。愛の神エホバは、私たち人間を「神の像(かたち)」に創造してくださっていますので、丁度映像を映し出すように、偉大な創造者エホバ神の比類のない特質・属性の愛、公正、知恵、力を調和よく反映した生き方ができるのです(ヨハネ第一4:8.創世記1:26,27)。
しかしながら、現在は終わりの日の対処しにくい危機の時代に私たちは生活しています(テモテ第二3:1~5)。私たちが愛を表わす点で、難しい状況にも直面することがあるかも知れません。
イエス・キリストもこの事物の体制の終結の複合的なしるしの大預言をされた中で、1914年以降の終わりの日には「また不法が増すために、大半の者の愛が冷えるでしょう」と教えられました(マタイ24:3,12)。
イエスの教えられた「不法が増す」とは、人間の定めた法律を守らない人が増えるだけではなく、取り分け神エホバの定めた律法・聖書の教えを守らない人が増大することを指しています。多くの人々は神エホバの教えを学び適用しませんので、「大半の者の愛が冷える」状態を誘起しているのです。多くの人々は自己中心・利己的であり、日常生活の中から「利他的」という言葉も忘れている状況が生じ「愛が冷えて」います。ですから、心ある多くの人たちまで、愛を表わすことが難しい、と感じてしまうかも知れません。そうであればなおのこと、私たちは「神の像(かたち)」に創造されている人間ですので、人として愛を表わす必要があるのです(創世記1:26,27)。
使徒パウロが述べた通り、愛が無ければ「ただ鳴り響くシンバル」、つまり騒音の中の生活になってしまいます(コリント第一13:1)。
聖書は愛が最も重要であることを次のように教えています。「そうです、だからこそ、真剣な努力をつくして答え応じ、あなた方の信仰に徳を、特に知識を、知識に自制を、自制に忍耐を、忍耐に敬虔な専心を、敬虔な専心に兄弟の愛情を、兄弟の愛情に愛を加えなさい」(ペテロ第二1:5~7)。
イエス・キリストは新しいおきてとして次を与えられました。「わたし(イエス)はあなた方に新しいおきてを与えます。それは、あなた方が互いに愛し合うことです。つまり、わたし(イエス)があなた方を愛したとおりに、あなた方も互いにあいすることです。あなた方の間に愛があれば、それによってすべての人は、あなた方がわたし(イエス)の弟子であることを知るのです」」(ヨハネ13:34,35)。
現在は、「大半の者の愛が冷えた」世の中ですが、クリスチャンであってもなくても、落胆することなく一人でも多くの方々が、神エホバのご意志である、み言葉の教える「愛」を身に着けてくださり、適用してくだされば嬉しく存じます。愛は結合の完全な絆なのです(コロサイ3:14)。
犬と共 散歩の道も 風薫る 今日の一句
鉢植えの「ツツジ」
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