皆様方も平和の神エホバが戦わざるを得ないのはなぜか、とお考えになったことがあるかも知れません。その正しい答えを知るのはとても重要なことです。
モーセは、神エホバを「雄々しい戦人」として称賛した後、こう質問します。「エホバよ、神々の中にだれかあなたに並ぶ者がいるでしょう。神聖さにおいて強大なことを示されるあなたに並ぶ者はいるでしょうか」(出エジプト記15:11)。同様に、預言者ハバククもこのように書き記しています。「あなた(エホバ)は悪を見るには目があまりに清く、難儀を見ていることがおできになりません」(ハバクク1:13)。神エホバは、愛の神ですが、同時に、神聖さ、義、公正の神でもあります。時にはそうした特質のゆえに、強大な力を用いらざるを得なくなります(ヨハネ第一4:8.イザヤ59:15~19.ルカ18:7)。ですから、神エホバが戦われても、その神聖さにきずが付くわけではありません。それどころか、神エホバは聖なる方であるゆえに、ご意志を守り行なわない邪悪な者に対して戦われるのです(出エジプト記39:30)。
最初の人間夫婦アダムとエバが、悪魔サタンに唆され、神エホバに反逆した後に生じた状況について考えてみましょう(創世記3:1~6)。もし神エホバが、最初の二人の不義を容認したなら、宇宙の主権者としての神エホバの立場は損なわれていたことでしょう。義の神であるエホバは、二人に死刑を宣告することに余儀なくされました(ローマ6:23)。聖書の最初の預言の中で神エホバは、ご自身の僕たちと「蛇」、つまり悪魔サタンの追随者たちとの間に敵意が存在するようになる、と予告されました(啓示12:9.創世記3:15)。この敵意は、最終的に悪魔サタンの頭が砕かれることによって初めて解消されます(創世記3:15.ローマ16:20)。神エホバが、神の王国の王イエス・キリストを用い、この裁きが執行されることは、義にかなった温和(柔和)な人々にとって大きな祝福となります(詩編37:8~11.ペテロ第二3:10~13.啓示20:1~3.10)。この地上から悪魔サタンの影響が取り除かれ、全地球的な義の宿る楽園の道が開かれるのです(ペテロ第二3:13.マタイ19:28)。その保証された時が来るまでは、悪魔サタンにくみする者たちが、神エホバの民の身体的また霊的な福祉を脅かし続けるので、時には神エホバの強力な力の介入が必要になるでしょう。最終的は神エホバは悪魔サタンを捕らえ無活動にし、そして永久に処断します(啓示20:13.10)。なんと喜ばしい神エホバの強力な力の用い方でしょうか。
次回は、「神エホバは悪を除くために行動される」の内容でお伝え致します。引き続きお読み下されば嬉しく存じます。
陽を浴びて 群生可憐 姫サユリ 今日の一句
裏の畑の「ジャガイモの花」
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