普通に考えると、戒めを与えるのは、義を行なう人をあざける人、あるいは心のよこしまな邪悪な者に与えるものと考えます。あなたはどのように考えますか。聖書は、そうではなく戒めは「賢い人に与えよ」と、教えています(箴言9:8,9)。それはなぜなのでしょうか。箴言の書には、次のように記されています。
「あざける者に矯正を施している者は自分の身に不名誉を得ており、邪悪な者に戒めを与えている者は - 自分に欠陥を。(義なる者を)あざける者を戒めてはならない。その者があなたを憎むようにならないためである。賢い人に戒めを与えよ。そうすれば、彼(賢い人)はあなたを愛するだろう。義なる者に知識を分け与えよ。そうすれば、彼(義なる者)は学識を増すであろう」(箴言9:7~9)。
聖書は「賢い人に戒めを与えよ」と教え、その意味を明らかにしています。「賢い人」に神エホバの教えに基づく戒めを与えるなら、賢い人は増々賢くなり、深く感謝を表わす人となり「あなたを愛するだろう」と述べています。聖書が述べる「賢い人」とは、「心の賢い人」のことであり、謙遜で温和な特質を表わす人なので、神エホバからの知恵と識別力を学び適用しますので、愛が育ち真実な事と共に歓び合い、エホバの教えの戒めを与えた「あなたを愛する」と、教えています(箴言3:13~18.コリント第一13:6)。
さらに心の賢い人は「義なる者」なのです。「義なる者」は神エホバが憎まれる悪を憎みます。悪から離れた義なる者は、エホバの律法を毎日学び、生活に適用しますので、「学識が増し」、人生が成功の道に導かれるのです(詩編1:1~3.箴言6:16~19)。
イエス・キリストが、有名な山上の垂訓の中で、真珠、つまり神エホバの教えの神聖なものを豚に与えてはなりません、と教えられたことも、是非とも心に留めて欲しいと思います(マタイ7:6)。あざける者や邪悪なものは、神聖なものの価値が分からないので、踏みにじります。ですから豚のような人には、識別力を働かせ、エホバからの戒めを差し控える必要があるのです。エホバ神の教えの戒めは心の賢い人、義なる者に与えることが肝心なのです。
小田原の お堀に咲きし 花菖蒲 今日の一句
庭に咲いている「イワギボウシ」
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