junzirogoo!!!

日々勉強。〈COPYRIGHT © 2004-2024 KANGAWA, ALL RIGHTS RESERVED.〉

1.17

2005年01月17日 11時58分54秒 | 社会・経済

僕は神戸からは少し離れたところに住んでおり、被害のような被害もなかったものの、それでも、あの日のことは、しっかりと覚えている。
当時、婚礼のカメラマンをしていて、多数の挙式を終えた連休明けの火曜日。仕事は休みだった。
お昼までゆっくり寝るつもりだった。でも、起こされた。
しばらく布団の中で揺れがおさまるのを待つつもりだったが、いつまでたってもおさまらない。
仕方がないので、ベットの上で起き上がったが、部屋から出ようとは思わなかった。
家が崩れるか?とか思いつつ、僕は何を思ったか、窓から外の電柱が揺れているのを眺めている。
飛び起きて、確実に家が崩れると思った父は慌てて外に出る。そして、しきりに僕に1階に降りてくるように叫んでいる。
僕は、降りていく途中に家が崩れ下敷きになる方が危ないと思ったので、その旨の返事をするが父はまだ降りてこいと叫んでいる。
それでも、まだ揺れている。
しばらくしてから、やっと揺れが止まった。後で揺れていた時間が十数秒だったと聞くが、非常に長く感じられた。
揺れがおさまってから、はじめて1階に降りていった僕は、情報が欲しいと思ったので、とりあえずテレビをつけ、その時間帯で唯一、地元関西から生放送をしている朝日放送の「おはよう朝日です」を見る。しかし、画面が真っ暗だった。声だけが聞こえる。どうも福島区のスカイスタジオ(大阪タワー)は停電しているらしい。
それで、とりあえずNHKに変える。神戸の方が震源とわかったが、こちらもアナウンサーが断片的に送られてくる情報を読み上げているだけで、全体的な状況がわからない。が、その内容はあまりにも凄すぎて想像が出来ない。画面では神戸の震度だけ表示されずわからない。そのことで、神戸が尋常な状況でないことが十分感じられた。
それから、1,2時間かして初めてヘリで空撮された阪神高速の倒壊現場の映像を見た時、僕は背筋が寒くなった。なぜなら、父がその現場に巻き込まれている可能性が完全になかったとは言い切れなかったからだ。
恐ろしくなったのは、それからだった。恥ずかしい話であるが、その夜、僕はひとりで自分の部屋で眠れなかった。

それから、10年。
今日の朝、地下鉄に乗った時、車掌さんが「今日は『防災とボランティアの日』です。阪神・淡路大震災の教訓を忘れず、日頃から災害への備えを心掛けましょう。」と言った瞬間、それまで騒がしかった車内が静まりかえったように感じた。たぶん、その一瞬、乗客一人ひとりのそれぞれの胸にそれぞれのあの日とこの10年が去来したに違いない。
そう、これからも忘れてはいけない。
それを糧に、次の新しい10年を始めよう。

TB。--------
rea.log: 阪神・淡路大震災から10年
追加TB。--------
日本応援地図阪神大震災から10年・・・あの日あなたは何をしていましたか?


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 震災10年を前に。 | トップ | 「DX7」 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

社会・経済」カテゴリの最新記事