備前の古社を訪ねる(備前国内神名帳の研究)

備前の由緒ある神社を巡礼する

コラム260.一宮(その27・常陸国・鹿島神宮)

2011-05-04 22:42:41 | Weblog
このたびの東日本大震災により被災されました皆様に謹んでお見舞い申し上げます。1日も早い復興を祈念いたしております。

関東に引っ越してきたので、まず鹿島神宮と香取神宮にお参りしてきた。特に、何はともあれ、地震を鎮めるため、要石にお祈りしてきた。

鹿島神宮(かしまじんぐう)。
場所:茨城県鹿嶋市宮中2306-1。JR鹿島線「鹿島神宮」駅の南東、約500m。駐車場有り。
社伝によれば、創建は神武天皇即位の年(紀元前660年?)という。天地開闢以前に高天原から天下った「香島の神」(建甕槌神または建御雷神)が霊剣「韴霊剣(フツノミタマノツルギ)」をもって神武天皇東征を助けたことから、その報恩のために祀ったのが始めとされる。
タケミカヅチは、大国主命の子である建御名方神(タケミナカタ)に勝って葦原中国を平定した神で、その後も、古代東海道の終点(=陸奥の入口)である常陸国に鎮座して東北の荒ぶる神々と対峙することとなったのだろう。ただし、元々は鹿島の土着神で、一般に海上交通の神であったといわれるが、雷に関係があることから、あるいは農業の神だったのかもしれない。中臣氏が常総地方の出身で、「香島の神」を信仰していたらしく、後に一族の氏神として春日大社(奈良市)に勧請した。このとき、御神体を神使である鹿に載せて運んだということから、「鹿島」という名を使うようになったともいう。
さて、茨城県は地震が非常に多いところである。気象庁のデータによると、1986~1999年(14年間)の各都道府県庁所在地における有感地震の回数をみると、茨城県(水戸市)は915回に及び、全国第1位になっている。全国平均は182回であったというから、いかに多いかがわかる。昔は、地震は地中の大鯰が起こすものとされ、これを当神宮境内の要石が押さえているといわれている。当神宮の要石は社殿の東の森の中に祀られているが、地上に出ている部分はごくわずかで、上面が窪んでいる。実は巨岩で、地中深く続いているとされ、有名な水戸黄門こと徳川光圀公が、要石の根元を確かめようとして七日七晩にわたって石の周囲を掘ったが、掘りきれなかったという。
現在、当神宮の参道は西側にあるが、かつては北側から参るようになっていた。北側に御手洗池があり、現在も清水が湧いているが、参拝者は御手洗池で身を清めてからお参りしたのであるという。そうすると、御手洗池~奥宮(本来の神社の位置か?)~要石が直線的に並ぶことになる。要石が磐座であったかもしれないというのは、上面が窪んでいるという形状も、一つの証拠ではないかと思われる。磐座には盃状穴(カップホール)があることが多いからである。


鹿島神社のHP


写真1:境内入口の社号標。震災により「大鳥居」が失われている。境内も多くの石灯籠が倒れており、地震の大きさがわかる。


写真2:社殿


写真3:奥宮。当神宮の摂社で、武甕槌大神の荒御魂を祀る。


写真4:大鯰を踏まえる建甕槌神のレリーフ


写真5:要石が祀られている。覗き込まないと、要石は見えない。


写真6:要石。地上に出ている部分はごくわずか。

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