備前の古社を訪ねる(備前国内神名帳の研究)

備前の由緒ある神社を巡礼する

コラム203.一宮(その13・伯耆国・倭文神社)

2009-09-05 12:05:28 | Weblog
倭文神社(しとりじんじゃ)。
場所:鳥取県東伯郡湯梨浜町宮内754。東郷湖東岸にある「東郷湖羽合臨海公園」から鳥取県道234号線(東郷羽合線)を約1km北上すると、当神社への案内板があり、やや狭い道に入って約1km。この道は当神社で行き止まりになる。駐車場あり。
「倭文神社」という神社は日本各地にあり、本源は奈良県葛城市にある式内社「葛木倭文座天羽雷命神社」、通称「倭文神社」であるという。ただし、こちらは「しずりじんじゃ」と呼ばれている。「倭文織」(しづおり)というのは日本(倭)独自の織物と考えられるが、現存していないようだ。一般に「倭文神社」の祭神は機織の神、健葉槌命(タケハヅチ)で、当神社の主祭神も同じであるが、伝承では下照姫命(シタテルヒメ)のものが多く、長らく下照姫命が主祭神と思われていたらしい。そのため、機織の神というよりは、安産の神として信仰されるようになったという。
境内にある「経塚」はもともと下照姫命の墓であると伝承されてきたが、発掘の結果、銅製の経筒などが出土し、古墳ではなく、経塚であることがわかった。この経筒は国宝となっているが、康和5年(1103年)という年号が入った銘文に「伯耆国河村東郷御座一宮大明神」とあり、これが「一宮」という称号が書かれた最初期のものと思われる。つまり、遅くとも12世紀初めには「一宮」という社格が成立しており、かつ、当時すでに当神社が伯耆国一宮であったということになり、大きな発見だった。
ところで、岡山県神社庁加盟の神社では、津山市油木北にある「倭文神社」が唯一で、備前国には殆どなじみがない。津山市の「倭文神社」は旧・倭文村にあり、機織の民が居た場所なのだろう(地元では「倭文織」の復元を試みているようである。)。
なお、下照姫命は大国主命の娘とされるが、備前国では下照姫命の兄である味耜高彦根命(アヂスキタカヒコネ)=賀茂大神を祀る神社が多い。


玄松子さんのHPから(倭文神社(湯梨浜町)):http://www.genbu.net/data/houki/sitori2_title.htm

津山瓦版さんのHPから(倭文織の復元):http://www.e-tsuyama.com/kankou/check/shitori/shidsuori.html


写真上:「倭文神社」鳥居。扁額は「伯耆一宮倭文神社」。


写真中:経塚。随神門を通って、すぐ右手の小高い丘の上にある。


写真下:安産岩。境内の少し手前の道路脇にある。




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