備前の古社を訪ねる(備前国内神名帳の研究)

備前の由緒ある神社を巡礼する

コラム108.古代山陽道を探す(その12・三野~玉柏)

2008-12-20 22:22:17 | Weblog
古代山陽道が、岡山市北区三野付近から東はどういうルートになっていたか、備前国府がどこにあったかに大きく関連してくる。備前国府の位置については、以前に書いた(「備前国府の所在地」の項。2008年10月27日~11月6日記事)。
「改新の詔」(646年)によれば、国司と官道の制度の創設は同時である。1つの問題は吉備国の分国で、備前・備中・備後に分割されたのは7世紀後半とされている。更に、備前国から美作国が和銅6年(713年)に分国された。吉備分国前の吉備国府(吉備大宰府?)は備前国にあったとは限らず、備中国の区域内にあったかもしれないし、備前・美作分国前には備前国府が美作国の区域内にあったかもしれない。もう1つ、備前国府が三野郡(御野郡)にあったとする場合も含めて、「延喜式」に記載された「高月駅家」(赤磐市馬屋付近に比定)から岡山市北区三野までは「牟佐の渡し」で旭川を渡り、旭川の右岸を山麓に沿って南西に進むのが自然で、岡山市中区国府市場付近を通るのは明らかに迂回となる。
したがって、通説は、旭川右岸を通る古代官道が先に出来て、その後岡山市中区国府市場付近に備前国府が出来た(または移転した)ため、「高月駅家」から南下するルートが新設され、「釣の渡し」で岡山市中区今在家と北区三野を結ぶことになったとする。
国府市場付近を通過するルートについては次回以降に書くことにして、三野~牟佐間だが、「自然」なルートと考えられてきたため、ほとんど実証されていないように思われる。この間は、現在では旭川堤防上に快適な県道27号線(岡山吉井線)ができているが、当然、古代にはもっと山麓沿いにあったと思われる。JR津山線の西側の道路がそうだろうか。直線的ということであれば、JR津山線がもっとも直線的に思われる。県道386号線(津高法界院停車場線)はかなり屈曲しているし、JR津山線「備前原」駅のところで西に向かい、旭川から離れていく。むしろ、その先の中原橋から北東方面の道路は、途中、山麓の地形に沿って方向を変えつつ、直線的になっており、旭川の渡河ポイントまで至る。


写真上:三野公園から玉柏方面を眺める。現在では、岡山市から赤磐市方面に向かうには旭川沿いの県道27号線(岡山吉井線)を利用するだろう。中央に見えるのは「中原橋」で、右(東)に渡っていくと国府市場・原尾島方面。


写真中:岡山市北区宿本町の北端から先の道路(県道386号線)。直線的ではあるが、正面には山。


写真下:牧石小学校の南の交差点から北東に延びる道路。この交差点を曲がって北へ進むと「金山寺」。

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